サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
パリ五輪
norajirushi.hatenablog.com
前回から、大阪市西区の九条に来ています。 大阪メトロの九条駅から、戦前には「西の心斎橋」と呼ばれた九条商店街を、西に抜けてきました。 ところで、大阪には三条や四条がないのに、どうして「九条」という町があるのでしょうか。 諸説ありますが、大川(旧淀川)が海へ出るところに大きな中州があり、これを幕府の儒官であった林羅山が、「衢壌(くじょう 賑やかな地の意味)島」と名付けたのが始まりとのこと。 「衢壌」は、やさしい「九条」の文字に変わっていったようです。 キララ九条商店街を抜けた先には、「源兵衛渡」の交差点。 この交差点の向こうには、安治川が流れ、かつては渡し場がありました。 そして、この安治川ですが、九条島を分割するように掘られた人工の川になります。 少し上流へ行くと、安治川を開削した土木家・河村瑞賢の紀功碑があります。 瑞賢は、たびたび大阪平野に起こる水害を、大川が海に出る直前に九条島が流れ
あいにくの天候ですが、JR大阪駅前に来ました。 万博会場シャトルバスターミナルの建設が、始まっているようです。 広い曽根崎通と四ツ橋筋が交差する「桜橋」交差点。 曽根崎通の南側は、江戸時代には全国から米が運び込まれ、諸藩の蔵屋敷が建ち並んだ「堂島」になります。 今回は、この曽根崎通と少し南にある中之島に挟まれた、「堂島」を歩いてみようと思います。 少し南へ歩くと、「元 櫻橋 南詰」の碑。 大きな交差点の名前にもなっている桜橋ですが、橋はもちろんのこと、川の姿も今はありません。 すぐ近くには、「左 堂島薬師堂」の道標。 道標の示す方角には、「堂島」の名前の由来にもなっている、薬師堂がありました。 でも、すごい。 右手に見えるお堂が、反射ガラスで覆われた丸い形状になっていて、大きなミラーボールのよう。 聖徳太子の時代が起源の歴史あるお堂と言われても、にわかには信じられません。 桜橋跡や薬師堂の
阪急神戸線の神崎川駅に、初めてふらりと来てみました。 大阪梅田駅から3つ目の小さな駅です。 土地勘はありませんが、すぐに「三津屋商店街」のアーケードに出会いました。 アーケードは、駅の西口から南方向へと続いているようです。 左手には、赤い装飾の沖縄料理店。 右奥には、ネパール料理店。 「スナック アリラン」。 「神崎川に在るキリストの集会所」の前には黒猫さん。 街猫なのでしょう、お腹まで出して撫でさせてくれました。 スタミナ食品の「宮里商店」。 店頭で焼いてくれるホルモン焼は、タレ味というよりは塩味ベースのようですが、おいしい。 カウンター上には、サーターアンダギーやスパムなど、沖縄らしい食品も置かれていました。 この静かな商店街では、ゆったりとアジア方面からの風が吹いているようです。 と思ったら、ヨーロッパもありました。 大好きな、アーケードのうねり。 通路沿いの柱には、「ヤカーリングの
今回は、大阪市東住吉区にある近鉄針中野駅周辺を歩きます。 「針中野」とは、面白い駅名です。 しかも、駅周辺には鍼灸院や整骨院がやたらと多い。 針中野の「針」は、鍼灸の「鍼(はり)」と関係がありそうです。 針中野駅の少し東には、近鉄南大阪線と並行するように庚申(こうしん)街道が南北に通っています。 庚申街道は、日本の庚申信仰発祥の地といわれる四天王寺へと続く、庚申堂参りの古い道。 街道沿いには、旧家も残ります。 旧家の屋根には、珍しい亀の鬼瓦もありました。 住所表示には、しっかり「針中野」とあります。 街道沿いの中井神社。 901(延喜元)年に書かれた『日本三大実録』にも、摂津国の「田辺東社」として記される街道沿いの古い神社です。 旧街道には祠が多いものですが、この祠の向こう側、赤い郵便ポストの横に、何やら石柱らしきものが見えます。 道標です。 「☞でんしゃのり( )」、「☜はりみ( )」と
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『norajirushi.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く