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MAD削除について、ある権利者側の人間の感想… - Life in Prison/生きるしかすることがない MADを巨人の肩に加えるのか - 万来堂日記3rd(仮) この辺りを今朝読んで。 ブクマやらダイアリーやらを見ていると、MAD関連でようやく向こう側(権利者)の動きがこっち側にみえてきている。 MADを巨人の肩に加えるのか - 万来堂日記3rd(仮)のなぜ90年代のサンプリング、リミックスを通過したHIPHOPは許せて、現状のMADが許せないかというところ。 現状MADに充分な敬意が払われていない理由は容易に想像がつく。市場が形成されていないからだ。つまり、金にならない。 お金に関する権利については、角川の動きで落としどころが探られつつある。 YouTubeにハルヒMAD上げてたら角川からメールが来たでござる - coldcupのメモ 少し前に色々言われていたと思うけど感情面に関する
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080228/1204149870を読んで思ったこと。 形骸化というか大衆化 歌詞の意味が普通にわかってこそばゆいため大意しかつかめない洋楽に引きこもった僕なので、そもそも「J-POP」って何?という感じだですが、要は90年代英国の「ブリット・ポップ」みたいなものだろうなあとか思います。一時期国産のポップスが全くしょぼくれ洋楽に押されていた時期に盛り返してきた国内勢の総称みたいな(知りませんが)。 「POP」というからには大衆の身近に偏在する何かを対象にしているわけで、大衆の共感を得なければならない。あるいは大衆に共感を強いる。個性がどうだとか多様化が云々言われている昨今なわけで、これだけ興味の対象が広域に細分化され掘り下げられてしまえば大衆の共通項はつまりポップス自体ということになるのでしょうか。そうなるとまあ大衆が何を望
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