サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
円安とは
otaka0090.hatenadiary.jp
母の葬儀が先週あり少しずつ、悲しみが押し寄せて自然に涙がでる。 通夜の朝、長女の姉が母に化粧をし、母はとてもきれかった。 私も通夜まで仕事に行き、仕事に意識を集中させてた。 長男の弟が花が好きだった母の為に花一杯にしてくれる葬儀屋を選んでくれて 本当に嬉しかった。 通夜はみんなが集まって、明るく過ごして母の想い出を話したり お通夜なのに、花が一杯なお通夜は明るい雰囲気で 私達は姉弟四人はこの母から産まれて幸せだった。 みんな夫婦仲良くできるのは、両親の仲の良さを見て育ち、 自分達もそういう家庭を築きたいと思っていたから。 母が出棺する時は本当に辛くて、 みんな泣き、父はずっと下を向いていた。 母は仏様になるとお坊さんは言うけども、 母は仏様なんかにならないと想う。 母は独自の世界で私達を見て、亡くなった母の母私のおばあちゃんに、甘えて、安心してるような気がする。 母を早くなくした母は辛かっ
子供がコロナ感染し、高熱が二日ほど出て、今はもう平熱に戻り、 元気になりました。 私は今の所、症状がなく明日明後日と抗原検査をし陰性なら出勤可能らしく 上司と話をしました。 でも、旦那さんが陽性になり、 父と遅くまで話していたらしく、 感染してしまいました。 本当に父を引き取った事で こんな事になり、 申し訳なく、ごめん。 下の子と同じ部屋にいてもらい 家族それぞれ、距離を置き、近ずかないようにしています。 幸いに家が二階建てなので、トイレも二つあり 体温計も一つ壊れていたので 家族、共有するのもよくないと買いに行き、 抗原検査のキッドも上の息子もするので 薬局に買いに行くと、 一つ1200円程で、家族の分、数日測るのに、量がいるので 合わせると高い。 ネットでは安いけど、ネットで10個程買い 紙コップや皿、消毒液などや 病院代も合わせると、 高く、余計な出費となりました。 仕事は休ませも
私がブログを書くのは母の影響かもしれないです。 母はくも膜下出血で倒れる前に 苦労して早く亡くなって自分の母の事を 私にしたら祖母になりますが 母の事を供養として母の生涯を書き残したいと 本を自己出版しました。 祖母が亡くなったのはまだ私が小学生低学年でぼんやりしか覚えてないけども 長女の姉には、母が泣きながら 本を書くと言っていたそうです。 あれから母は私達を育てながら自営業の父と仕事をし、 私達がみんな大人になり、結婚した後 母は文学学校に通い 本を書き上げました。 大阪の実家の自営業で後継ぎをしている弟が 母が倒れてから 店のホームページで載せてくれています。 昭和24年頃から神戸港で輸出入の荷を積んだ艀船(艀ハシケ)の話です。 戦後の時代背景と共に厳しい海上生活をし子供達を育ててくれた両親、 特に母親の苦労を織り交ぜた作品です。 読売新聞様に取材して頂き、兵庫版に掲載して頂きました
久しぶりの投稿です。 私がコロナ感染した時期とウクライナ戦争が始まった時期が同じで とても心がザワザワしニュースを見るたびに辛くなります。 毎日、何百人死亡など、耳に入り、 1つの命に沢山の人の想いがあるのに。 でも自分では何も出来ずで、心が痛いです。 金曜日にお姑サンの病院に付き添いました。 お姑サン、肺癌4で抗がん剤治療で奇跡的に今年で7年目です。 抗がん剤治療はとても辛く、食べれなく、でも 頑張ってくれています。 お姑さんがコロナ感染し、 そこから、順調だった体調を悪くし、 今また肺に水が溜まってきて とてもしんどく、不安で怖いと想う。 お姑さんはいつも、死ぬ事は怖くないけども、孫の成長が見たいって欲が出る。 この家族と離れる事が辛いと言ってくれ、 本当に良いお姑サンの所にお嫁に来たなと 私は幸せです。 私達夫婦、共働き、私もフルで仕事をしているので、 今まで子供達はお姑さんが私が仕
コロナに感染して 六日目 昨日 長男もが熱を出し 陽性でした。 私も長男もお互いに感染しないよう、させないようにしていても 家族内感染予防は難しい。 できるだけ 近づかないようにお互いに気をつかい、 アルコールも頻繁にしていた長男だけども 387℃まで熱発し、陽性が出た時やっぱりなと。昨日から喉が痛かったと ごめんね。可哀想だけども、本当に感染力はすごいと想う。 コロナ感染してから 上の部屋で過ごし、必要以外は下には降りないようにしてたけども 10日間と長い療養生活で 体調が戻ったら 日頃できない掃除をしたいって想っていたけども 私があちこち触ると、感染するからと言われ、 結局何もできないまま日が過ぎていく。 もったいないと思っていても、 感染したせいか 頭もボーっとし、元々集中力がないのに更に、集中力が続かなくって 頭の中が霧がある感じでモヤモヤし、勉強しょうと想ってもダメで これコロナ
コロナに感染し、自宅療養となり 自由に外にも出れず、身体も重く、頭がボーっし咳、痰が出だし 旦那さんからと上の息子は、感染したら、また学校や仕事に行けなくなるので 必要以外は、部屋から出ないように言われ、 わかっているけども、私だって普通に家で生活したいと言うと しっかり手洗いうがいしてない、私が悪い。 その言葉に、コロナ感染した人は自分が原因で自己責任という意味?と腹が立ちました。 でも、介護士をしていたら、利用者サンと密着もするし 口腔ケアや排泄介助で、感染する恐れは十分にあります。 十分に手洗いをしていなかったもしれないですが とても嫌な気分になりました。 旦那さんは医療関係の事を差別として感じてはないけども 仕事行けなくなった事は収入の事あって困るけども 人の言葉ってとても傷付きます。 たまたま、見つけた、コロナの差別の宣伝を見つけ www.youtube.com 泣きそうになりま
日曜日に寒気がし、熱が38.9 ℃まで出た。 仕事もいろいろあって精神的にも体力的にも大変で少し免疫力が落ちてるんだなって 周りにはコロナ感染の方もいないし、まさかコロナではないだろうとうと、 ロキソニンを服用していたら熱は下がって明日仕事行かないと想い寝たけども 月曜日、朝起きても熱が下がらず、寒気と頭痛と倦怠感で熱があったら仕事も行けないし、 とりあえず病院に行かないと、発熱外来している病院に連絡すると どこの病院もコロナ感染かもの方が多く、予約は一杯らしく、 幸い近くの多い病院が受診可能との事で しんどいけども行って 行くなり、パーテンションで区切らた、裏口のような自動ドアがあるロビーで待たされ またここが自動ドアから入ってくる隙間風で寒くって 熱は下がっていたけども、もう寒気と倦怠感で、いつまで待たされるんだろうと。 看護師サン達も本当にコロナ対応で忙しくされており、大変そうで仕方
今日は滋賀のグランスキー伊吹山に行ってきた。 コロナ感染は怖いけども、甥っ子は学校でコロナが流行り少し前コロナに感染してました。実母の元で 自粛生活後 今は感染力がなくなって、帰ってきてくれ、進学も決まったし、スキーに行きたいと言っていたので行って来ました。 去年は実子が高校受験で行けずで 今年はみんなで行きました。 旦那さんは甥っ子も実子も分け隔てなく愛情を持って小さい頃から毎年、スキーに連れて行きスキーの 楽しさを教えていました。 私は上手く滑れません。スキーには旦那さんと結婚して初めてして やっぱり怖いです。 けども子供の頃からすると子供ってなんでも柔軟で すぐに滑るようになり 今では上二人は仲良く自由に滑り 旦那さんは下の子に 上の子達の様にスキーを教えていました。 旦那さん子供達にも優しく、悪いことは叱り、私はやっぱり甥っ子には気を使って 叱る事が出来なかった時も旦那さんは愛情を
昨日、職場で高齢者の方のオムツ交換をしました。 私がこの職場にきた頃もこの方は車椅子でしたが 話かけるとよく話をしてくださいました。 高齢で仕方のない事だけども今は痩せておられ、ほとんど話もあまりされなくなり 生きているエネルギーが感じない。 食べ物はミキサー食で、もう胃が吸収しない。 人間の自然な事なのかもですが オムツ交換しても、されるがままで 本当は苦痛だと思う。 二人になった時、大丈夫?と声をかけると 早く死にたい....。生きるのしんどい。と寂しくなるからそんな事言わないでと言うと あなたはまだ若い。お友達も沢山いてる。 そう言われ、切なくて仕方なかった。 私は何がこの人に出来る? 私はどうしてあげたらいいかと。 仕事なのに自分の感情が出て オムツ交換してると、母の事を思い出し涙が出て 母はもっと重度で、目の焦点が合わず、話かけても、わからない。 母もこうやってオムツ交換をされい
お坊さんの良寛サンが 子供らと手毬つきつつこの里に 遊ぶ春日はるひは暮れずともよし 良寛サンはとても子供が好きだった方らしく 詩を書いてはるんだけども、 こんなお話があるようです。 子供達とかくれんぼをしていて 自分が隠れている間に子供達が帰ってしまう。 私達は子供の頃ような柔軟な心、自由な心を忘れている。 ああそうだったなって。 職場に男性で65才から初めて介護の仕事、初心者だけどもしたいと定年後、スタッフとして先週から入って来られた。 歳をとっても新しく何か始めたり、学ぼうってする姿勢に私、尊敬して、 なかなか、覚える事も困難にしてはるけども、感動してみんな、したことないことは、初めてだし年齢関係なく、楽しく経験する事が素敵なんだなって。 私もそんな人から気がつかされて、 私も、介護以外はわからない事だらけども、まだまだ、知らない世界は沢山あって 来年、50歳、人生二周目、楽しく、柔軟
今年、高校生になる息子の入学の書類を書いていたら 健康調査表があり、 そうだった、息子が5歳の頃、急に川崎病になった。 風邪の熱が出たかと、いつも行く小児科の病院がお休みの日で 大きい病院に行き、風邪だと診断され、でも2日、熱が下がらず、 息子もしんどそうで 何かおかしいと、やっぱりいつもの小児科に行くと 川崎病だとすぐ緊急入院を言われ、 頭の中が真っ白になりパニックになった。 あの時、夫婦で喧嘩も多く 小さい息子の身体を抱きしめて ごめんなさいと、いけないお母さんだったと、神様、息子を助けて欲しい願った。 息子が喧嘩はやめて欲しいと、身体で教えてたかもしれない。 息子が川崎病になり、夫婦喧嘩所でなく 入院生活は夫婦交代でいろいろし、 息子の為にまた夫婦仲が戻ったと想う。 運よく後遺症もなく、完治したけども 川崎病はどんな病気かも勉強した。 そんな事もあったんだと想いだし 今、息子は健康で
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『私は100点。どんな自分も愛する事ができるように。』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く