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僕の投じた一石が、思わぬ(?)波紋を広げてしまったのかも知れませんが… すでに収束気味? だとしたら、新たな波紋を広げることになるのかも知れませんが… 前置きはこれくらいにして。 「テクストの意味はそれが置かれた文脈に依存する」という表現には、おそらく少しでも哲学的な話を齧った人ならば同意するだろう(多分)。 それは、「テクストの意味は、テクストを構成する単語の意味(および統語規則)によって特定される」という原子論的意味論とでもいうべき言語観に対するアンチテーゼである(ホーリスティック=全体論的な言語観と言い換えてもよい)。 ちなみに、原子論的意味論は、私見ではヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に最も象徴的に表れている。 論理実証主義はそのアイデアを極限まで推し進め、科学を正当化しようと試みた(が、残念ながら失敗に終わったと言わざるを得ない)。 その後のヴィトゲンシュタインが、原子論的
自分の中でも今一つ(?)消化しきれてない気がするので、人様にどれだけ説得的に説明できるか、今一つ自信はないのですが。 せっかくトラックバックを貰ったので、頑張って書いてみよう。 トラックバックのURLを忘れてました(スミマセン)、コチラになります。 細かいなあ、オレも。 キーワードはエントリータイトル通り、「モデル化」と「近似」です。 まず、「モデル化」についてですが、一般には「モデル化とは、現象を理解・説明するための図式化ないし数式化」ということが言えるのではないかと思います。 で、「モデル化」で重要なことは、理解の手助けとなるかどうかであって、それが件の現象と近いかどうかはとりあえず問題にならない(モデルが現実と似ていれば理解の手助けにはなると思うが、必須ではない)。 その意味で、「モデル化」はとりあえず「近似」とは別物と考えられる。 科学とは別の例になってしまうが、「モデル化」の理解
えー、FC2のブログでは疑似科学に関することを取り上げて論じたこともあるわけですが(疑似科学批判ではなく)、当ブログでは疑似科学を取り上げる予定は当面ありません(未来永劫ない、とも言いませんが)。 最近、疑似科学批判(あるいは疑似科学批判批判、さらには疑似科学批判批判批判、and more…)に関わるブログ間のやり取りを眺めていて、思うところがあるので述べてみよう。 ただし、疑似科学に関するものではなく、科学に関するものであるが。 もちろん、疑似科学批判は主に科学的見地からなされる以上、科学に関することがらが疑似科学と全く無関係と断ずることも出来ないのだが。 言いたいことは、僕自身はこの論考を疑似科学(ないしは疑似科学批判)と絡めて論じるつもりはない、ということである(他の誰かがこの論考と疑似科学を絡めて論じることを阻む意思は全くない)。 では、本題へ。 えー、とある疑似科学批判派(と思わ
取り敢えず、欲張ってFC2とHatenaを並行運営しております(ま、どちらも過疎ですが)。 ただ、当面は独立した形で運営を行っていこうと思います。 時期を見て相互リンクするつもりですが、いきなりリンクを貼るのも能がない感じがして…(というか、並立運営が困難になったときがカッコ悪いので) ということで(?)、本日のお題はエントリータイトル「ポジショントークと属人論法」でございます。 実はFC2のブログの方で、属人議論(論法)について論じたことがあります(批判的スタンスで)。 ま、そのブログエントリーもいずれはリンクするつもりですが。 以下では属人論法に用語を統一します。 ところで、僕は最近「小倉秀夫氏VSモトケン氏」のヲッチャーと化しつつあるわけですが、モトケン氏が小倉氏が以前持ち出した属人論法を逆手に取って(?)、小倉氏の批判をされています。 属人論法に関しては小倉氏が次のエントリーで述べ
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