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s24.hatenadiary.org
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=379 ■園監督はその先があると言う。〈社会〉の中の自分と〈社会〉に収まらない自分を両方容認できる場合に限り救われるのだ、と。監督によれば、〈社会〉に収まらない自分が「脱社会的存在」なのではなく、両方容認できる存在が「脱社会的存在」だということになる。 ■そうした「脱社会的存在」になれれば良いのだと監督は言う。〈社会〉を過剰に否定しようとする時点で彼ないし彼らは〈社会〉に内在し尽くしている。真に「脱社会的」であれば、〈社会〉と内と外を、区別しながらも等価に生きられる筈ではないか。そう語った。 脱社会化することなど可能なのだろうか。社会の内側と外側を等価に生きることなど。僕の場合、社会の内側で自己を確立できていない時点で脱社会的存在としての生きる条件を満たしていないことになるだろう。 イマの僕にとっては社会のすべ
『メーデー!メーデー!メーデー!4.30弾圧を許すな8.5プレカリアート@アキバ〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜』に参加 デモなんて、初体験だったわけだけど、警官と公安警察の多いことこの上ない。どちらがデモ隊なんだか分からない程だ。デモの目的もあまりよく分からずに、ただ何かが起こるかもしれない、何かが変わるかもしれないという、微かな期待を胸に参加したわけだけど、案の定、何も変わることはなかった。いや、何も変わらないことを実感できたことが重要なのかもしれない。 空は青く、セミの声が響く。「もう、8月なんだなぁ」そんなことをひとり呟き、デモ行進に加わっていた。シュプレヒコールを上げて、久しぶりに何かを叫ぶ行為は、僕にとって意味があったのかもしれない。でも、僕は引きこもりでも、ニートでも、フリーターでも、契約社員でもないのだ。ぎりぎりだけど、経済的には独立した生活を送ることが出
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