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猫
summer-3.hateblo.jp
先日、Tiny Bridgeかミニブリッジをしていたときだったと思う。取れば得をするカードを取らなかったことがある。結局それでダウンしてしまったのだが、終わってからおかあさんとおとうさんが、「あそこで取れば良かったのに」と半分責めた口調で言うと、機嫌を悪くして「どうして勝たないといけないの?」と半べそで主張した。 なかなか面白い質問だった。どうして勝たないといけないのか。うーむ、勝つと面白いからか。それは本末転倒の答えのような気がする。そうだ、勝つ必要はないと言える。そもそも、ゲームで遊ぶ上で、というか、遊びで、勝つか負けるか、ということが意識されるもの、でない遊びだって多いはず。大人は、どうしてゲームと言うと勝ったり負けたりするものばかりが多いのだろう? 公園で、ジャングルジムに登って遊ぶことがある。これは勝ち負けがない。娘はその時間とても楽しそうである。おとうさんも、おそらく楽しいのだ
そういえば、ふと思い出した。 昨日は短いジン・ラミーだったが、娘をこてんぱんに破ってしまった。その後の運ゲーム、ドーナッツでも勝ってしまって、これで終わりというと涙をポロポロ出して権造(ごんぞう)になった。 しかし、最後におとうさんが「ありがとうございました。」と頭を下げると、娘も泣きべそをかきながら「ありがとうございました。」と頭を下げた。今のところはおとうさんに対してだから、こう挨拶することに抵抗がないのかもしれない。他の人に対してはどうだろうか。とにかく、これからもずーっと、教えていこうと思っている。娘に教えているのだが、実はおとうさん自身にあらためて刻んでいるというのが正しい。 「あそんでくれて、ありがとうございました。」トランプは1人ではできないから、勝っても負けても最後には「一つのことに、時間をともにしてくれて、ありがとうございました。」これはラグビーのノーサイド精神と同じだろ
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