サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
tmsigmund.hatenadiary.org
エジプト、カイロ市のImbaba地区で、金曜日のイスラム教の礼拝後、市民は市街に繰り出し、ムバラク大統領の退陣を求めた。警察は催涙弾やラバー弾を発射するのに対し、抗議の人々は投石などで応じた。 http://cassel.photoshelter.com/gallery/Egyptian-Intifada-Imbaba/G0000NxTVSKl2mxw パレスチナの西岸地区ナブルスで入植者に殺害された20歳の若者の葬儀の様子。 1
「パレスチナ・ヨルダン渓谷連帯委員会(Jordan Valley Solidarity)−非暴力による草の根の住民活動」のサイトを紹介させていただいています。ぜひ本サイトへアクセスしてご覧ください。 http://jvsj.wordpress.com/ ほとんどがC地区(警察権・行政権がイスラエルに掌握されている地域)であるヨルダン渓谷での状況がいかに切迫しているか、イスラエルによる占領と入植地拡大がいかにパレスチナの人々の生活と人権を踏みにじるひどいものであるか、が手に取るように分かります。報告が、そこで実際に暮らす人々の目線からなされているからです。 1 1 1 1 1 1 1
間違われてイスラエルに殺されたことは、この男性とこの奥さんにとって、本当に悲劇であり、おそろしいことである。しかし、間違われなかった場合でも、イスラエルは結局別のパレスチナ人を殺していたのであり、そしてつもそのように殺しているのである。「安全保障」という名のもとに。いったい市民の寝入りを襲って、問答無用に「処刑」することのどこが、「安全保障」だろうか? 「人間の安全保障」を脅かしているのは、イスラエルであり、それを知っていて放置している米国、EU、日本、その他列強&国連である。 1 1 ↑孤独なツイートが印象深いLivefromgazaさんの撮ったガザの夕焼け空。 1
シュロモー・サンド著『ユダヤ人の起源―歴史はどのように創作されたのか』(高橋武智 監訳)についての書評を以下にあげました。これはパレスチナの平和を考える会の機関紙『ミフターフ Vol.28』(2010年12月発行)に掲載されたものの転載です。 本書は、ユダヤ国家としてのイスラエルナショナルイデオロギーの中心にあるシオニズムを批判的に問い直すこころみとして、邦訳出版されるやいなや話題をよんだ。歴史研究家の立場からだけではなく、現代の聖書研究やポストモダニズム系のナショナリズム論などの成果を援用したうえで、「ユダヤ人」や「ユダヤ民族」をめぐる根深い神話の解明・解体につとめていて、論述は全体として説得的である。著者がユダヤ系イスラエル人であることから、このこころみは「イスラエル(ユダヤ人)内部からなされるシオニズム批判」として見なされ、また著者自身がそうした姿勢を明確にしていることも、本書が注目
「なぜイスラエル左派は、人権の名の下に数千人もの人が集まって、闘争とその価値観を共有できるのに、パレスチナ人とともに闘争するために積極的に西岸に行こうとしないのか? 共存の道はそうした連帯行動にこそあるのだし、パレスチナ人がテルアビブに行くことが許されていない現在においては、イスラエル人のほうが西岸に赴く責任があるはずである。テルアビブにおける人権とパレスチナ被占領地の人権とがつなげられていないことが、昨日はっきり示された。」 しかしそれはイスラエルだけの問題ではない。東京渋谷のど真ん中で、在日朝鮮人への差別と排斥を扇動する極めて悪質な言説テロ集団「在特会」らにたいして、果敢に上記の横断幕をかかげて抵抗をしめした1人の人間を集団でリンチし、警察がその正当な訴えを行った被害者のほうを不当にも連行逮捕するということを引き起こすのが日本である。在日朝鮮人韓国人、在日中国人にたいする日本人と日本国
パレスチナの子供がおかれている苦しみに満ちた現実を写真の色調が示しています。だれがなんのためにこんなことを? イスラエル国家とそれを支持するイスラエル人による違法な(言うまでもない!)入植活動のためです。報道によると今後10年に関しても、イスラエルはこの犯罪を続ける計画のようです。 イスラエルの行っていることは、虐殺であり、民族浄化です。フィンケルスタインの言葉に従って、あらためてこのことを確認しましょう。 1 1 1 1 1 1 1 1
パレスチナの人々の生活を、暴力を使ってでも脅かそうとするイスラエル入植者がこんなにもいるのはなぜでしょう? それはパレスチナ人を追い出そうとするイスラエル国家の政策だからです。 1 1 1 1 http://www.maannews.net/eng/ViewDetails.aspx?ID=324763 1 1 1 http://paper.li/tag/BDS
人から土地を奪い、生きる権利を取り上げるイスラエルや日本の差別政策こそが、米国の異様な軍事開発野心をサポートします。 1 1
Ma'an News Agencyより、この2、3日のガザや西岸でのことを写真とともに引用。 昨年のイスラエル軍によるガザ虐殺戦争のことも。 http://www.maannews.net/eng/Default.aspx 1年が経っても変わらないガザ――がれきの上での生活 小麦の収穫をするガザの農作業者。昨年の戦争でイスラエルの兵器によって化学物質がまき散らされ、ガザの土壌は汚染されている。 ラファの密輸トンネルの入り口。エジプトが金属プレートでトンネルを塞ぐ壁を建設し始めたため、何日かのうちに数十のトンネルが崩落する恐れがある。 イスラエル、エジプトにより封鎖され、物資や人の出入りがコントロールされる検問所 12月26日(土)ガザ北部のエレツ検問所近くで、3人の若者がイスラエル軍に殺害される。 ナブルスでは、同じ12月26日(土)未明に「アル・アクサ旅団」のメンバー3人がイスラエル軍に
賛同者・賛同団体がかなり集まっているようです。 http://action1010committee.blog103.fc2.com/blog-entry-7.html あと、当日の行動予定をお知らせいたします。 ★外国人排斥を許さない10・10関西緊急抗議行動★ ◆日時 10月10日(土) 12:00 集会開始(愛染公園) 13:00 デモ出発 14:00すぎ デモ解散(なんば周辺) 15:00 なんば周辺にてビラ配り ◆場所 愛染公園 http://ekoen.jp/osaka/c%C2%E7%BA%E5%BB%D4%CF%B2%C2%AE%B6%E8/d6872/ 地下鉄堺筋線恵美須町駅下車、日本橋4丁目交差点を東へ、阪神高速高架をくぐってすぐ右折一つ目信号左手。 それと当日の情宣ビラの文章を以下に引用します。在特会による在日差別・外国人排斥の主張が、市民社会の原理からまったく
排外的な主張を掲げたデモを全国各地で繰り返している「在特会(在日特権を許さない市民の会)」という団体が、今度は10月10日(土)に大阪の御堂筋で在日差別・外国人排斥を煽り立てようとしています。 国籍や民族、思想の違いによって人を分け隔て、弱い立場の人々の権利を制限し、暴力によって排撃しようという、この連中の悪辣な振る舞い(どこかの国でも見かけるこの振る舞い)を、絶対に許すことはできません! 足元の「人種差別」にも断固反対していきましょう。 以下に緊急行動の呼びかけ文を転載いたします。大阪近郊・関西圏の方はぜひとも参加して、在特会に圧倒的なダメだしをしていただきと思います。団体・個人による賛同のほうも募っております(連絡先は呼びかけ文の最後にあります)。 よろしくお願いいたします。 ※呼びかけ団体が増えました。(2009/10/02/18:00) **********************
「パレスチナの平和を考える会」が定期的に発行している機関紙『ミフターフ』の最新号(Vol.23)が、発行されました。 特集は「ガザ虐殺と私たち」と題されています。 イスラエルによる激しい攻撃をうけるガザの人々の悲劇を伝えるパレスチナ人ジャーナリストの現地報告から始まって、イスラエルへの抗議・糾弾の声を上げた関西・東京・パリ・ロンドンなどの各地の緊急行動レポートを読むことができます。そのほか、パレスチナ問題にかんする最近の学習会や講演の感想や内容の報告、ISM(国際連帯運動)/ビルイン村反壁闘争に参加者の覆面対談、ボイコット運動に関する情報、連載やコラムなど、非常に盛りだくさんで、読み応え抜群です! この間のイスラエルのガザ侵攻に怒り、パレスチナ問題に関心を持たれた方には、とくに一読していただくことをお薦めいたします。詳しい目次や入手方法については、以下の「パレスチナの平和を考える会」のサイ
mojimojiさんから、わたしが書いたことへの応答と反論を以下の 「自分を棚上げにするということ、隠喩の問題」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090222/p1 というエントリーとしていただきましたので、できるかぎりわかりやすくお答えします。 「えげつない国家」とはどこの国のことか 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日本国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日本国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのかしないのか、という問題だと思いますけど。 mojimoiさんのご意見にある面では同意します。自分の国家のやってきたこ
村上春樹が「エルサレム賞」授賞式で行ったスピーチをめぐって、いろいろと議論があるようだ。必要最小限のことだけ、明記しておきたい。 スピーチを受け止める側の多くが、単に村上の政治的な姿勢を問うていたはずであるにもかかわらず、たとえば「壁と卵」といういかにも村上らしい表現に引きずられて、その本来の問題提起をぼやかせてしまっていることに、かなりの違和感をわたしは感じている。ちょっとはっきりいうと、今回の村上のスピーチに賞賛を送るのは、もともとのヒューマニズムのそこの浅さが、露呈してしまっているのではないか。 確かに村上は、イスラエルのガザに対する軍事攻撃に批判的なコメントを寄せた。それに意想外の印象を受けて、「村上春樹もいいところがある」と考えるのもいいと思う。イスラエルを批判する意見が、世界に多くあることをそれなりに示す機会をつくったのだから。そこで話をやめるならいい。しかし、村上のスピーチに
イスラエルによるガザへの空爆と軍事侵攻がとりあえずしばらくおさまって、もうすぐ一ヶ月になる。日本でもそれなりに報道されていたように、10日のイスラエル総選挙の結果「極右」政党が支持を伸ばし、「右派」の連立内閣の可能性が取りざたされている。そうなると、イスラエルがさらなる残忍な殺戮を開始するのは、そんなに先のことではないかもしれない。もちろん「左派」や「中道」と呼ばれている労働党やカディマも、基本的には対パレスチナ政策では、違いがあろうはずもなく、どちらにせよ平和的な解決への取り組みはなかなか期待できなかったのだが、それでもあからさまにパレスチナ人排斥を訴える人間がこれほど支持を集めるとなると、極めて悪い予想がなされるしかない。 それでガザ虐殺22日戦争によって死亡したり負傷したパレスチナ人の写真を集めているサイトを見つけたので、もう一度じっくり見てみた。正直、あまりにひどい写真は、まさに殺
ご存知のかたも多いかもしれませんが、村上春樹が今月15日からイスラエルで行なわれる「エルサレム賞」という文学賞を受賞するという話が伝わっています。あれだけガザでえげつないことをやっているイスラエルから、しかもこんな時期に賞を貰い受けるということに強く反対するため、「パレスチナの平和を考える」が、 「エルサレム国際ブックフェア参加と『エルサレム賞』受賞に関する村上春樹への公開書簡」 を発表しています。またこれは、2月6日発売号の『週間金曜日』にも掲載される予定だそうです。ぜひ書店などでお買い求めください(急きょの変更で、掲載はなくなったということです)。そのほか、 ビー・カミムーラ(ナブルス通信編集部)さんによる公開書簡「編集拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について」 media debuggerさんの「村上春樹に読者の声を届けるよ!」 mojimojiさんのブログでの一連のエント
京都造形芸術大学大学院連続公開講座第6回 柄谷行人「力の構造」(12/16) ほんじつ、じょうきのこうざをちょうこうにいった。タイトルからして、『あっと at』でげんざいれんさいしている「『世界共和国へ』に関するノート」において、てんかいされている「権力論」が、ぎろんされるのか、とおもっていた。柄谷ソンセンニンじしんも、とうしょは、そのつもりだったようだが、じっさいは、すこしちがうことをはなすことにした、ということのようだった。よそうとは、ちがったが、しかし、それだけいっそう、しんせんで、みりょくてきなぎろんが、ひろうされた。いかに、がいようを、わたしじしんがそしゃくしなおすために、まとめてみる。メモときおくをもとに、かいているので、まちがいやごかいがあるかもしれないので、ごちゅういを。 「力の構造」というタイトルは、講演依頼があったときにとりあえず適当につけただけです。それなりにタイトル
こういったことは、文学においてもパラレルなこととして現象している。日本の近代の批評家はずっと「私小説」を批判していた。そういう意味で、日本では〈3〉の「私」の領域がずっと大きかったといえる。一時期、プロレタリア文学が一世風靡しました。これは〈1〉にあたるもので「私小説」に対する抵抗だった。しかしすぐに転向する。そのとき〈2〉に行かずに、〈3〉や〈4〉へと撤退してしまう。戦後文学の一部だけが、個人主義として〈2〉へ行った。しかしこれも60年代まで。共産党の力が強かった時期までが、それが可能だった。 日共、国労、解放同盟、総連、こういった戦後の中間団体といえる組織は、すべて弱体化され、つぶされていった。安保闘争と同じ時期に、三池闘争があった。安保でのこともあるが、やはり三池闘争に敗北したのが大きいと思う。これで日本の労働運動は弱体化したから。だから60年代後半以降の運動には、60年までのそれに
浅田:どうもありがとうございました。えー、羽仁五郎の『都市の論理』という本がありましたが、そこでは、公共の市民自治について論じられていて、それを思い出しました。また、お話の背景としていえば、60年以降に朝日・岩波的なものが貶められるような傾向がありましたが、先日亡くなられた加藤周一氏などは、そのような時代の変化にもブレることなく、市民社会的な価値を重んじる立場を最後まで貫いた人といえるわけですが、新聞からコメントを求められたときに、はからずも、最後の正統派の知識人の死によって、そういった「基準」が完全に失われてしまった、というようなことを述べました。(このあたり、あさださまの、おことばがウルトラはやくて、メモがおいつかず、かなりはしょったり、あやふやだったりしますので、まちがっているかも) 古典的近代が培ってきた「civic virtue(公民としての徳、市民道徳)」が、フランス革命におい
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ブログのきおくそうしつ Amnesia on the Blog』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く