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円安とは
tragedy.hatenablog.com
ウマ娘の勢いがすごい。 アニメ二期は大成功、マンガ(『シンデレラグレイ』)も本屋を何軒回っても見つけられないほどに好調で、何よりアプリゲームは世界の有名ゲームとも引けを取らない人気ぶり。一時は不安視されていたウマ娘だが、数年越しに逆転大当たりの様相だ。 anime-umamusume.jp ynjn.jp umamusume.jp 「ウマ娘」とは、Cygamesが企画するメディアミックスプロジェクトであり、またその作品群におけるキャラクターたちの総称でもある。「ウマ娘」が提供するのは、過去に活躍した競走馬たちの擬人化コンテンツだ。トウカイテイオーやオグリキャップなど、競馬に明るくない人でも名前くらいは聞いたことがある、そんな「名馬」たちがウマ娘プロジェクトでは美少女キャラクターに擬人化される。そして彼女たち自身が、自身のその脚で、芝やダートを駆け抜ける(美少女が馬に跨って走るわけではない)
※簡略版(3000字ほど)をnoteに投稿しているので、時間の無い方はこちらへどうぞ。 note.com VTuber論投稿者の1人に、「余接」という方がいる。理路整然とした文章を書かれる方で、記事を見かけた際は必ず拝見している。 その余接氏が、先日私の記事(「VTuberの「中の人」は公表すべきか?」)を引用してくださっていた。「心身未分」の箇所を気に入ってくださったようである。ありがたい。 t.co tragedy.hatenablog.com そこで、この記事では「心身未分」について、改めて論じてみたいと思う。 展開としては、余接氏の記事に適宜触れながら、心身未分とは何かを議論していくことにする。 まず心身未分を説明し、次にVTuberの「虚構性」と「実在性」という対立の解消を試みる。そして実在性を支持することの意義について考えたあと、どこまでこの議論が妥当するのか考え、最後に「引退
遊びみたいなことをちゃんと仕事にするからVTuber事業成り立ってんだろうが! ——DWU 今回はDWUの一件についてです。DWUとそのセバスチャン(「運営」のこと)の一連のやりとりをよくご存知でない方で、精神に余裕のある健常者は一度該当の動画をご覧になってください。 そこには、「仕事」をしたいDWUと「遊び」をしたいセバスチャンの対立の様子が収められています。多くの人にとってはDWUのほうが至極真っ当に思えるでしょうし、実際DWUのほうが真っ当なのですが、どうやらセバスチャンの側にも彼らなりの一貫した論理があるらしい、というのは後で書きます。 ともかく、あの一連のやりとりを見て、私は正直恐怖を感じました。セバスチャンの得体の知れなさゆえの恐怖です。彼らが一体何を考えているのか、全く分からない。みなさんがご覧になった通り、DWUの告発(?)は「企業案件の宣伝動画」から始まるのですが、セバス
キズナアイの動画サムネイルより この記事では、ファンとクリエイターという二項対立を軸として、キズナアイ分裂騒動および識者たちの発言を総括し、私個人の意見を述べることを目的としています。 まずキズナアイ分裂騒動をまとめ、次にキズナアイとは何かを考察、そしてファンとクリエイターそれぞれの見方を分析したのち、東浩紀氏の観光客論を用いて私なりの提案を述べることにします。 ファンとクリエイターという二項対立がどのようなものであるのか、その定義は徐々に行っていきますが、最初に宣言しておくと私はファン側です。この記事で私がDD(どっちもどっち)論を展開する心配はありませんので、そこはご安心ください。 キズナアイ分裂騒動 キズナアイとは何か 「ファン」と「クリエイター」 「ファン」のVTuber 「クリエイター」のキズナアイ パーソンをめぐる争い キズナアイと観光客 感情とキズナアイ 「キズナアイ」への寛
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