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今年のはじめ頃、四谷に岡崎乾二郎と松浦寿夫による、「芸術作品を見ること、作ること」と題された公開対談を聞きにいった。理論的にと言うよりも、ルネサンスから近代くらいまでの、具体的な芸術作品の写真に即して作品の見方についてざっくばらんに語るという趣旨で、対談は非常に興味深く、刺激を受けた。ただ一方で、端的に持たざるを得なかった感想は、フォーマリスティックに作品を分析することの限界だった。それを象徴的に示していたのは、ターナーに関する部分で、岡崎氏はターナーの風景画が持つ複雑性を評価するのに対して、「ボブの絵画教室」で知られるボブ・ロスによるシステマティックな絵画制作を批判する。しかし、個人的な趣味判断の範疇を超えて、具体的になぜターナーの作品よりもボブ・ロスの作品が劣っているのかということについて、納得のゆく説明はなされなかったように思う。勿論、ボブ・ロスの作品には、ターナーの作品にあるような
ある美術評論家のアーカイブをめぐって――文化財情報資料部研究会の開催(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/817111.html 2005年に京橋のPUNCTUMというギャラリーで初めての個展を開いたとき、美術評論家の鷹見明彦氏が観にいらしたことがあった。作品のコンセプトや当時興味のあった作家のことなどについて、随分と長く話したのを覚えている。まだキャリアの浅かった私の個展にも観にいらしたくらいなので、相当の数の展覧会を観て歩いていたのだろうと思う。その時にも、何かの展覧会の企画をしている雰囲気だった。鷹見氏が「また連絡する」と言って会場を出たきり、再びお会いすることはなかったが、何かに突き動かされるようにして、現場を観て歩いていた美術評論家の佇まいが、ずっと心に残っていた。 上田和彦展 2021 UEDA Kazuh
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