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■大火の記録展示(解説バナー) →展示品の解説は こちら →駅北大火記録映像はこちら(YouTube糸魚川チャンネルへのリンク) おとな向け/https://www.youtube.com/watch?v=Rcso36TJs-k&t=119s 子ども向け/https://www.youtube.com/watch?v=n3n2Xms4eWw 概要(心に強く刻み、記憶する) 大町1丁目のラーメン店から出火した火災は、フェーン現象を伴う強い南風にあおられ次々に“飛び火”が発生し、国内では1976(昭和51)年9月の山形県酒田市における大火以来、40年ぶりとなる大規模な市街地火災となりました。 強風にあおられた火災は旧街道の風情豊かな本町通りを包み込み、巨大な炎が消防隊に迫りました。 3階建ての建物の高さをはるかに超える火柱。消防隊の消火作業は困難を極めました。 火災の様子を不安そうに見つめる大
フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味です。 左の図にように、古い時代の岩石(おもに中生代・古生代、「薄い茶色」)でできた 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代、「緑色」)がつまっています。 この溝は、上空から見下ろしてわかるような、地形的な溝ではなく、山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。この「地質学的な溝」を、ナウマン博士は「フォッサマグナ」と呼びました。 ナウマン博士は、フォッサマグナの西縁を糸魚川 -静岡構造線、東縁を直江津-平塚線と考えました。 このようにフォッサマグナは 三次元の地質構造(二次元の広がりを呼ぶ場合もある;フォッサマグナ地域など)をさすものです。したがって、糸魚川-静岡構造線は、その西縁の境界面(断層面)ですから、「フォッサマグナ 」と「糸魚川-静岡構造線」は同じ意味ではないこと
「糸魚川」という河川が無いのに何故このような地名が付いたのか、その疑問にお答えするため、下記のようにまとめてみました。 伝説レベルでは下記のようなものがあります。 諸説1 弘法大師(空海)が竹管に糸を巻いて川に投じたところ、たちまち魚となって泳ぎまわった。 諸説2 対立する軍(どのような軍かは不明)がこの地で挑(いど)みあったので「いどみ川」から転じて「いといがわ」となった。 諸説3 淀(よどみ)川から転化して「いといがわ」となった。 その他、災害がよくおこるので「厭(いとい)川」から転化した。 また、最もまことしやかに囁(ささや)かれる説に下記のものがあります。 諸説4 糸魚(イトヨ)が市内の河川に多く棲(す)んでいたことから付いた。 イトヨは下の写真・図のような魚です。背の3本のトゲが特徴です。 これが旧糸魚川市(昭和29年[1954]6月1日市制施行)の市章となったものですから、いよ
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フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味です。 左の図にように、古い時代の岩石(おもに中生代・古生代、「薄い茶色」)でできた 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代、「緑色」)がつまっています。 この溝は、上空から見下ろしてわかるような、地形的な溝ではなく、山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。この「地質学的な溝」を、ナウマン博士は「フォッサマグナ」と呼びました。 ナウマン博士は、フォッサマグナの西縁を糸魚川 -静岡構造線、東縁を直江津-平塚線と考えました。 このようにフォッサマグナは 三次元の地質構造(二次元の広がりを呼ぶ場合もある;フォッサマグナ地域など)をさすものです。したがって、糸魚川-静岡構造線は、その西縁の境界面(断層面)ですから、「フォッサマグナ 」と「糸魚川-静岡構造線」は同じ意味では
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