石炭で極めた明治の威厳を漂わせる「三菱御殿」と称せられた洋風建築物 唐津港は、明治32年の唐津線の開通により唐津炭田の積み出し港として発展しました。この建物は、石炭の輸出などを手がけた三菱合資会社唐津出張所として海岸の埋立地に明治41年に建てられたものです。 木造で正面23.3m、側面18.3mの総2階建ての洋風建築です。海に面しては1・2階ともベランダが付いています。建物の設計は、三菱の「丸の内建築事務所」が担当しました。当時、三菱の建築顧問は唐津市出身の曾祢達蔵であり、この建物の設計への関与があったとされています。 1階に車寄せ、玄関ホール、廊下、階段、計算室、用度課、運炭課の事務室、応接室があり、2階は食堂、タイプ室、会議室、部長室、庶務課室、支店長室の間取りになっています。建設当時、近傍の人はこの建物を「三菱御殿」と称したと伝えられています。 建物の基礎は赤煉瓦(あかれんが)積み基