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猫
yuzunohana.hatenablog.com
歩いても 歩いても みわたすかぎり 一面のひまわり畑🌼 坂を登るとコキアの群生している みはらしの丘 その向こうには つづく大きな海 小さなことで悩んだり 小さなことで傷ついた気になったり そんな事どうでもよくなるくらい ひろい景色 わたしは 「その人」を良く知ろうとする時 せなかを見ます。 いままで親しくしていても たまに「ふっと」 自分が思っているような人なのか わからなくなる事があるからです。 せなかを見ると 「その人」のウソのない姿が見えてきそうで 見て安心することもあれば その反対。余計に不信感がうまれることも。 「せなか」は正直さのあかし どのぐらい純粋か どのぐらい頑張ってきたのかが 何となく伝わってきます きのう(一昨日)そんな事を考えながら 歩いたのは「国営ひたち海浜公園」 なぜ こんなに広大な敷地なのか調べてみました Wikipediaより抜粋 飛行場という歴史に
〜言葉のダシのとりかた〜 長田弘 かつおぶしじゃない。 まず言葉をえらぶ。 太くてよく乾いた言葉をえらぶ。 はじめに言葉の表面の カビをたわしでさっぱりと落とす。 血合いの黒い部分から 言葉を正しく削ってゆく。 言葉が透きおとってくるまで削る。 つぎに意味をえらぶ。 厚みのある意味をえらぶ。 鍋に水を入れて強火にかけて 意味をゆっくりと沈める。 意味を浮きあがらせないようにして 沸騰寸前サッと掬いとる。 それから削った言葉を入れる。 言葉が鍋のなかで踊りだし 言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら 掬ってすくって捨てる。 鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら 火を止めて、あとは 黙って濾しとるのだ。 言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。 それが言葉の一番ダシだ。 言葉の本当の味だ。 だが、まちがえてはいけない。 他人の言葉はダシにはつかえない。 いつでも自分の言葉をつかわねばならない。 と
「いってきます」と言うと 「いってらっしゃい」と送り出す 「ただいま」と帰ってきたら 「おかえりなさい」と言える 戦時中の「いってまいります」は もっと別な意味で使われていたのですね 赤紙が届いた 「大切な人」 それは 父親 兄 弟 従兄弟だったり 小さい頃から仲のよかった 友人 こいびと····· 「ただいま」が言えないかもしれない 「ただいま」が聞けないかもしれない 強制的に軍に入隊して戦場に行く大切な人は 「いってまいります」 大切な人を送り出す人は日の丸を振りながら 「いってらっしゃいませ」 わたしが 日常生活で何気なく使っていた言葉も 8月15日は とても切ない言葉に感じます 13日は 親戚の皆さんと本家に集まり 御先祖さまを感じながら おいしいお食事を囲み 賑やかな1日でした わたしは 酢飯は好きなのですが生物が苦手です 食べられるのは まぐろのみ🙊 おばのお気遣い
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