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久しぶりの「LIFE」更新が、こういう内容でなんとも言えないのですが、10月15日に発表された仲も良く縁の深かったキリンジからの堀込泰行君の脱退正式報告を受けて、その日の深夜に僕が連続してTweetした以下の内容を要望が多かったので記録として残したいと思います。 ーーーーーーーーーーーー キリンジから泰行君が「脱退」する決断に関して。僕が彼の音楽を初めて知ったのは大学三年、94年春のこと。当時僕のバンド「スリップスライド」のドラマー小林君はふたつのバンドを掛け持ちしていた。彼のメインは3ピースバンド「ハーミット・クラブ」。曲を書き歌っていたのが泰行君だった。 ある時、僕の部屋に泊まりにきた小林君が泰行君が宅録した「ハーミット・クラブ」のデモを持っているというので、軽い好奇心で聴かせてもらった。で、僕はぶっとんだ・・・。ヤバい、こいつ天才だ、と。あの衝撃は今も忘れない。その後「あるレコー
僕にとって二冊目の書籍、講談社現代新書「マイケル・ジャクソン」が、発売されて一週間がたちました。おかげさまでなんとすでに4刷りが決定し、熱い反響も多数送られてきています。ありがとうございます。 この本を講談社の編集者、岡本浩睦さんから最初に依頼されたのは、09年の10月中旬のことでした。その時期は、最初の書籍「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」(以下「教科書」)が出たばかり。
アルバム《ヴィクトリー》の日本盤のブックレットは読み物として非常に充実していた。湯川れい子さんによるライナー・ノーツ、上田力さんによるコード進行の分析、村岡裕司さんによるディスコグラフィ。そして、最後に吉岡正晴さんによる「ジャクソンズ・ストーリー 〜栄光の15年間の軌跡〜」が収められていた。
いわゆる西寺郷太の「自分史」みたいなものだが、最近ぼくのことを「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」で知ってくれた人のためにも、ノーナのファンにも、もう一回まとめとくとわかりやすいかな、と思い回想・整理してみることにした。
TBSラジオ、ライムスター宇多丸の「ウィークエンド・シャッフル」にて、2009年7月4日土曜日、特集・ "西寺郷太の「マイケル・ジャクソン論」"にて、決定版「メイン・ストーリー・オブ・マイケル・ジャクソン」を残させてもらいました。
『(仮説)We Are The World の呪い』 西寺郷太 「USAフォー・アフリカ」 1985年1月28日、ロサンゼルスにてレコーディング。 夜、9時から、3時までにコーラス。写真撮影。8時まででリード・ヴォーカル収録。 「We Are The World」、記憶に残る楽曲である。1984年末、イギリス勢によるバンド・エイドのシングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」が世界規模で大ヒット。アメリカ勢もこれに触発され、きらめくスーパー・スターが協力・結集し、アフリカの飢餓問題に音楽で立ち向かった。 中心人物は、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、そしてプロデューサーのクインシー・ジョーンズなど。 参加者も含め多くのスターが一度に集まれるアメリカン・ミュージック・アウォーズの終了直後に行なわれた。 そのためにマイケル・ジャクソンは授賞式を欠席。ライオネル・リッチーは司会
作ったレジュメのすべてはさすがに言えなかったので、ここで公開します(毎回こういうレジュメを作っています)。
『We Are The World の呪い』 西寺郷太 「USAフォー・アフリカ」 1985年1月28日、ロサンゼルスにてレコーディング。 夜、9時から、3時までにコーラス。写真撮影。8時まででリード・ヴォーカル収録。 「We Are The World」参加者も含め多くのスターが一度に集まれるアメリカン・ミュージック・アウォーズの終了直後に行なわれた。 そのためにマイケルは授賞式を欠席し、リッチーは司会終了後にスタジオに来た。 3月7日、「We Are The World」アメリカ・リリース。 次々と世界中で発売され、20世紀のポップ・ミュージックを代表する楽曲となった。 1)発端。 子供の頃から、何度も何度も繰り返し見てきた「We Are The World」のヴィデオ。 数年前、ぼくは不思議なことに気がついた。 ん?あれ??? ポインター・シスターズの末妹でリード・シンガーのジューン
「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説」 西寺郷太による 「マイケル・ジャクソンと小沢一郎についての一考察 ~ポップ・ミュージックと戦後日本政治の"申し子"の共通点~」 TBS RADIO ライムスター宇多丸の『ウィークエンド・シャッフル』にて 2007年10月6日発表。 Podcast「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説(前編)」「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説(中編)」「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説(後編)」 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ <1955年> MICHAEL JACKSON ● 1955年、ロックン・ロール誕生 1955年7月、ヒット・チャート紙「ビルボード」誕生 最初のナンバーワン・ヒットはビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「(We're Gonna) Rock Aro
ただ、今回のライヴは彼の音楽人生の評価を大きく左右するとてもプレッシャーの強い企画だった。正直チケットは売れていたとはいえ、肉体的、そして彼の現在の周りのスタッフや、組織的なことを考えると、2時間以上の公演を同一都市で50回もやるなんて無謀ではないかとずっと思っていた。 嫌々テレビをつけたら相変わらず薄っぺらい愛情と知識でマイケルが短くまとめられている。その昔、モーツァルトを馬鹿にして追いこんで殺してしまったメディア(噂)と大衆が、マイケルもここまで追いつめたのか。「幼児虐待」疑惑の裁判、あれほど何年も国家ぐるみで調べて無実・無罪になったのにまだ犯罪人扱いするのか・・・。
デュラン・デュラン、武道館。はじめてライヴ見たけど、なんか嘘みたいやったなー。すごい燃えた・・・。「ノッ、ノッ!ノ・トーーリアス!!!」とか「ワイルド・ボボボーイズ!」とか心から叫んだよー。やらなきゃいけないことがあって40分くらい遅れたので、「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」、「プラネット・アース」は見れなかったけど、「RIO」、「グラビアの美少女」、「オーディナリー・ワールド」、「セイヴ・ア・プレイヤー」、「ザ・リフレックス」、「プリーズ・テル・ミー・ナウ」とか書いてるだけで笑えるほどの名曲、キャッチー曲をオリジナル・メンバーがやっちゃうんだからねー・・・。 今回特にサイモン・ル・ボンのボーカリストとしての存在感と、余裕?っていうかユーモア感覚を改めて感じたナー。サイモンはほんとぼくのイメージではリズム感があんまり良くなくて、どんどん突っ込んじゃうし、もちろん大好きなんだけど、なんと
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