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中東情勢
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天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近にあった。鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて奉安されたといわれる。 当初は、伽藍守護のために、風水害または火災からの除難を目的としてこの二神がまつられたもので、一種の護法善神(ごほうぜんしん)と見るべきものであったが、さらには、風雨順時の天下泰平、五穀豊穣の祈願もこめられるようになったものと推測される。 現在の門は、慶応元年(1865)12月12日の田原町大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器創始者松下幸之助氏のご寄進により、復興再建され、浅草寺の総門として威容を誇っている。また、浅草の顔としても全国的に有名。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)。 なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があって、7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになりました。 また、この両日には「ほお
浅草寺の縁起 時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、 檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、 はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)は これを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、 自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、 夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。 浅草寺を知る
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