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[ホーム] 人生用語辞典(第47回) 【即非の論理】 鈴木大拙は大乗仏教の基本である 般若系思想の論理として、 金剛経の「仏説般若波羅蜜多、即非般若波羅蜜多、 是名般若波羅蜜多」という表現に着目し、 これを「仏説−A即非A是名A」(Aは非Aである、 故にそれはAである)と公式化し、 「“AがAである”のは“A”が即“非A”で あるからである」、すなわち、 「A」と「非A」と「肯定」(即)と「否定」(非)とが そのまま自己同一であるという「即非的自己同一」 なる独自の同一律を創提した。 これが西田哲学のいわゆる「絶対矛盾的自己同一」の 宗教論的基盤となった。 西田は言う、「我々の自己(個)は、どこまでも 自己の底に自己を超えたもの(超個)において自己をもつ。 自己否定において自己自身を肯定するのである。 かかる矛盾的自己同一(即非)の根底に徹することを
` ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沢木興道老師の言葉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 内山興正著「宿なし興道・法句参」(柏樹社)より 抜粋、整理したものです。(全900行) 01 わしのことを宿なし興道といいおるが、 これはべつにわしを、けなしたわけじゃない。 一生寺をもたず、住居ももたんときておるから、 宿なしというたんじゃろう。 ところが人間だれでも、じつは宿なしなんじゃ。 固定した宿があると思うとるだけは、間違いなんじゃ。 02 人生観と関係のない宗教なんてペケだ。 仏法とはゆきつく所へゆきついた人生観を教える宗教である。 外道降伏とは中途半端、いい加減、ゴマカシ、 不十分な人生観を入れかえさせて、 ゆきつく所へゆきついた人生を歩ませることである。 03 大概の人間のやることは、べつにはっきりした人生観が あってやっているの
濁川の仏教&人生論ノート。昭和28年生まれの、現役サラリーマンの個人サイトです。若い人たちが、人生を考える上で、ヒントを提供できたらいいなと願っています。人生論のほか、歎異抄なども勉強しております。
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