連載については、大学が休みに入って研究室に置いてる資料を確認できなかったので一休みさせてもらっていたのだけど、それとは別にこの鼎談が面白かった。 【さやわか×東浩紀×海猫沢めろん鼎談】「10年代の状況とコンテンツ」 – イベントレポート | ジセダイ 内容的には東さんとさやわかさんの意見の食い違いに目が行くところだけど、個人的にはLifeで取り上げた「里山ウェブ」の話が出てきていたので、そこについて補足すべきかなと。 海猫沢:マスメディア以外の方法で、どう面白いコンテンツを確保していくかという話で言うと、先日、TBSラジオ「文化系トークラジオLife」という番組で、里山ウェブというテーマが出たんです(6月22日「里山ウェブの時代」)。里山ウェブって、造語なんですけど、元は藻谷浩介さんの「里山資本主義」から来てるんですね。ようはアメリカ的なマネー資本主義のサブシステムとして、エコな里山で生活
1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 対談 漂白される社会 売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…好奇の眼差しばか
1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 対談 漂白される社会 売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…好奇の眼差しばか
マックス・ウェーバーの日本 受容史の研究1905−1995 著者:ヴォルフガング・シュヴェントカー 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事・政治・行政 マックス・ウェーバーの日本 [著]ヴォルフガング・シュヴェントカー 本書は、日本のウェーバー研究の内容を、大正時代から現在にいたるまで詳細に検討するものである。実は、ウェーバーは日本で、ドイツで以上によく読まれてきた。にもかかわらず、日本人のウェーバー研究はドイツでほとんど知られていなかった。したがって、本書がドイツの読者にとって役立つことは当然であるが、日本人にとっても、いろいろと考えさせる事柄を含んでいる。 日本は、非西洋圏で唯一、近代資本主義国家となった。その理由を問うために、日本人は特に、ウェーバーの理論を必要としたといえる。しかし、ウェーバーが広く読まれるようになったのは、1930年代、天皇制ファシズムが席巻し、マルクス主義運動
社会学そのうちこちらでプレゼンをすることになりそう...なので頭の整理メモ。話自体は家族と仕事に関する日本の研究アジェンダの変化についてを予定しているのですが、家事分担研究も重要なパートです。家事分担研究は、いくつかある家族社会学の流れの中でもかなり目立ったグループを形成しています。なかでも盛んなのは夫婦間の家事分担規定要因の研究(家事分担はどういった要因で決まるのか?)です。参考までに、日本の夫婦の家事分担の現状を示すデータをご紹介しましょう。以下は、夫婦の家事時間の総量を100としたときの妻の分担割合(%)です*1。...というわけで、ごらんのとおりのありさまです。日本の家事分担の妻への偏りぶりは家族社会学界では周知の事実で、世界を見渡してみても、日本の男はダントツで家事をしていません。このデータを見て、「そりゃ日本の男はめちゃくちゃ働いているもん、無理もない」と思われるかもしれません
理由1 社会学系ブックガイドの決定版である 社会学および社会学へ影響を与えた周辺領域(哲学、歴史学、言語学、教育学、心理学、文芸批評等)の基本書をカバーした事典である。 用語や概念についての辞典はいくつもあるが、この分野の文献に焦点を合わせた事典には類書がない。 いや、正確に言えば、1998年に出たこの『社会学文献事典』の成功によって、同じ弘文堂から『精神医学文献事典』(2003)、『日本史文献事典』(2003)、『文化人類学文献事典』(2004)、『宗教学文献事典』(2007)という弟書たちが誕生した。 ブックガイドといえば、紙面の制約からせいぜい2〜3百字程度の紹介文のものが多い。あまり少ない字数だと紹介よりも惹句(おすすめ)にしかならず、その内容を伝えて読み手に判断させるところまで到達しないが、この本は違う。 事典という性質を活かして、1冊にまとめたものとしては、紹介冊数と紹介文量を
Date: Fri, 18 Aug 2000 21:47:21 +0900 From: 小松丈晃 Subject: [luhmann:01454] Re: 小松「非知のコミュニケーション」 東北大学の小松です。 仙台では、暑さも(ちょっとだけ)和らぎつつありますので、冷房なしのムサい部屋でもなんとかしのげそうです。 角田さん、お忙しい中、拙稿への丁寧でかつ適切なレスポンスをありがとうございました。ちょっと長くなりますが、レスへのレスをさせてください。 ルーマンの例の リスク/危険 という区別には、もちろん、ハイダー以来の「帰属理論(attribution theory)」の影響は明確にあります。 というより、ほぼそのものです。 たとえば、『リスクの社会学』(1991) の S.34f. には、 以上の少しだけの指摘からも、リスク/安全の図式からリスク/危険の図式へと移行したさいに獲得できる
※修正しました(2015年1月4日) 知識というものが、意識的に経験することを意味するとすれば、結局、危険については誰も知らないのである。 (U・ベック『危険社会』p.115) 除染について、次のような意見が存在しています。 放射能汚染について、住民達が除染を望んでいるのだからするのだ。除染ボランティアもそれを支援するのに、どこに問題があるのかという意見。 また同様なものとして、除染は住民の選択。ボランティアでするのも自己決定ではないか。というのも散見されます。 これらに対して、私は、リスク論、あるいは、リスクコミュニケーション論の見地から、認識を異にしています。 「リスク社会」で有名なベックは、高度な科学技術がもたらすリスクをどう認識するかについて、次のように述べています。 「…大衆による反対、不安、抵抗は純粋に情報の問題なのである。技術者の知識と考えを理解さえすれば、人々は落ち着くはず
Here used to be @sunnyfunny99 profile Well, apparently not anymore. Return to main page
私たちはジェンダーやセクシュアリティに関する話が好きだ。とくにセックスワーカーや風俗嬢などに関する噂話が大好きだ。なかでも、そういう仕事をなぜ好んでしているのか、どういうきっかけでその仕事に入ってきたのか、あるいは、そういう仕事に就くような女の子は、どういう家族構成で、どういう暮らしをしていたのか、という、動機や原因を探るような話が大好きである。 しかし、おそらく、セックスワーカーに関するこういう話し方は、彼女たちをなにか逸脱したもの、規範から外れたもの、おおげさにいえば「異常」なものとして扱ってしまうことになる。 本書の筆者にとって、序文にも書かれているとおり、風俗やキャバクラ、そしてAVの世界は身近な世界だった。だから、筆者はそういう場所にいる女性たちを、なにか私たちと異なるものとして描きたくなかったのだろう。 性を売る女性たちのなかでもAV女優はとくに、動機や原因を語る圧力につねにさ
すぐ読めるものとして一般の方に(も)ぜひおすすめしたいのは、河合幹雄『日本の殺人』(筑摩書房[ちくま新書]、2009年)など。統計を駆使し、「殺人事件」についてなんとなく持ってしまっている思い込みをどんどん突き崩していくさまは、これぞ法社会学というスリリングさに満ち溢れています。さらに興味を持たれた方は、同著者の『安全神話崩壊のパラドックス――治安の法社会学』(岩波書店、2004年)もどうぞ。「治安」というものがどれほどあやふやな思い込みで形成されるのかがよくわかります。 講義で参考書に指定しているのは、ダニエル・フット『裁判と社会――司法の「常識」再考』(NTT出版、2006年)など。「司法」について我々が抱きがちな、たとえば「日本人は権利意識が未熟だから訴訟が少ない」といった常識とはまったく違う見方をもたらしてくれます。
「よろしければ、この美しい肩に野蛮な男のキスはいかがですか?」 「もっとよくみた後なら好きなだけ」 (ヘンリー・ジェルボーのスケッチにつけられたキャプション、1901年) コケットリー(英語: coquetry、フランス語: coquetterie)またはフラーティング(英語: Flirting)は、女性特有のなまめかしさのこと。フランス語のcoq(オンドリ)に由来する語である。 社会学においては、男女間の権力関係において女性が男性に提示する媚態とされ、ゲオルク・ジンメルにより社会化の形式の一つとして研究され、フランスの社会学者ルネ・ジラールが欲望の理論として定式化した。 ジンメルは「事物の「魅力」は、できそうで、できないもの、手に入りそうで、手に入らぬもの、イエスか、ノウか、まだ決まっていないものの間に発生する」と述べている[1]。コケットな女性は誘惑と拒絶を同時に提示することで、所有と
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