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ブックマーク / www.shinchosha.co.jp (5)

  • 立ち読み|新潮|新潮社

    東 「「フクシマ」は思想的課題になりうるか」というテーマで震災後の日を振り返りつつ議論します。ここでまず気になるひとのために言っておけば、フクシマというカタカナ表記にかぎかっこをつけているのは、福島をフクシマという表記に押し込めてしまう現在の状況、それを自明のものとするのではなく、むしろそれそのものをここでは議論の対象にしたいという意志の現れです。そして、基的には「フクシマ」は思想的になりうるというのが僕の立場、なりえないというのが浅田さんの立場なので、今日は予定調和ではない話ができるのではないかと楽しみにしております。 浅田 そう、のっけから言ってしまうと身も蓋もないけれど、プラグマティックな工学や社会工学(経済学なども含めて)にとって震災と原子力発電所事故は緊急かつ重大な問題であるのに対し、工学や社会工学が前提としている枠組み(科学主義や資主義まで含めて)そのものを問いなおそう

  • あまちゃん、大吉とユイが見た衝撃の景色 | Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 | 新潮社

    9月1日は関東大震災が起こった日です。その関連の記事を先週5日間ブログに掲載しました。今日は9月2日(月)ですが、NHK朝ドラ「あまちゃん」では、3月11日でした。たまたま今年は9月1日が日曜日だったからでしょう、関東大震災の日にして防災の日、ここに3月11日を持ってきたんですね。 大吉が乗務する北三陸鉄道の列車は、地震によって畑野トンネル内で急停車しました。東京に向かうためにこの列車に乗車していたユイ。前方に見えるトンネル出入口に向かって歩いて行く大吉。そして出入口に立ち尽くします。目の前には津波によって何もかもが破壊された景色がありました。大吉に続いてその景色を見たユイも呆然と立ち尽くしました。 ここで使われていた変わり果てた景色は、実際には島越(しまのこし)駅付近の景色です。 ▲撮影:編集部 平成23年4月30日 大吉とユイが見たことになっている景色とほぼ同じ位置から撮影したのが、こ

  • 斎藤環『原発依存の精神構造―日本人はなぜ原子力が「好き」なのか―』|書評/対談|新潮社

    原発依存の精神構造―日人はなぜ原子力が「好き」なのか― 斎藤環 原爆を落とされても、原発事故が起こっても、なぜ原子力信仰は揺るがないのか。安全/危険の不毛な二項対立を越えるには、どうすればいいのか。象徴・反復・否認・両価性・無常観……精神分析的視点から、親/反原発を問わず全ての日人の心に潜在する「享楽」の正体を読みとく。閉塞状況に風穴を開ける新しい脱原発論。 ISBN:978-4-10-314052-8 発売日:2012/08/31 書は二〇一一年九月から二〇一二年五月にかけて文芸誌「新潮」に掲載された斎藤環の連載評論「“フクシマ”、あるいは被災した時間」をまとめたものである。単行化にあたりタイトルが変更された。新しいタイトルは書全体の紹介となっており、連載時のタイトルはその出発点にあった問題意識を伝えている。原発事故は我々の時間意識を完全に変更させてしまった――これが

    nebokegao
    nebokegao 2012/09/06
    「フクシマ」の象徴化への抵抗(國分功一郎)
  • 芸術新潮 2024年6月号 | 新潮社

    【特集】安彦良和 アニメの快楽、マンガの叡智 第一章 描く人 完全密着取材! 「芸術新潮」表紙ができるまで 担当学芸員が語る 「描く人、安彦良和」展の見どころ10選 解説 小林 公 安彦良和インタビューI 北海道に生まれ、学生運動で挫折するまで 第二章 アニメの快楽 氷川竜介に聞く アニメーター安彦良和は何がすごいのですか? 『宇宙戦艦ヤマト』/『機動戦士ガンダム』/『クラッシャージョウ』/『巨神ゴーグ』etc. 安彦良和インタビューII アニメでの絶頂と敗北と 第三章 マンガの叡智 大いなるifで歴史を照らす 神は人なりの日誕生物語 『ナムジ』/『神武』/『蚤の王』/『ヤマトタケル』 近代史再考 I 戦争と青春の満州 ノモンハン事件 『虹色のトロツキー』 II 可能性としての王道を生きる 秩父事件~日清戦争 『王道の狗』 III へたれ主人公の危険な時間旅行 日露戦争 『天の血脈』 I

    芸術新潮 2024年6月号 | 新潮社
  • 第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】- 東浩紀|新潮|新潮社

    第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】 東浩紀 一九七一年東京に生まれる。成績がよかったので筑波大学附属駒場に通う。また成績がよかったので東大文Iに進学する。このままでは法学部に行くことになるぞ、という時期になりようやく真剣に将来について悩みはじめる。二〇歳の秋、法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人のもとに人生相談に行くが、阪神の話しかされず、一念発起して書いた文章が人生最初の評論。それが意外なことに『批評空間』に掲載されることになり、舞い上がって悩むのを止める。快調に大学院に行き博士号を獲得。博論と同じ文章を出版して一九九八年にデビュー。同年直前に結婚もしており順風満帆に思えたが、人生について考えてこなかったツケがついに回り、遅れたアイデンティティ危機に陥る。そもそもおれ、思想とか評論とか好きじゃなかったんじゃね?的な気分になり批評空間派を離脱。流浪のサブカル漫遊の旅に出る。二

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