東 「「フクシマ」は思想的課題になりうるか」というテーマで震災後の日本を振り返りつつ議論します。ここでまず気になるひとのために言っておけば、フクシマというカタカナ表記にかぎかっこをつけているのは、福島をフクシマという表記に押し込めてしまう現在の状況、それを自明のものとするのではなく、むしろそれそのものをここでは議論の対象にしたいという意志の現れです。そして、基本的には「フクシマ」は思想的になりうるというのが僕の立場、なりえないというのが浅田さんの立場なので、今日は予定調和ではない話ができるのではないかと楽しみにしております。 浅田 そう、のっけから言ってしまうと身も蓋もないけれど、プラグマティックな工学や社会工学(経済学なども含めて)にとって震災と原子力発電所事故は緊急かつ重大な問題であるのに対し、工学や社会工学が前提としている枠組み(科学主義や資本主義まで含めて)そのものを問いなおそう