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ブックマーク / dilemmaplus.nhk-book.co.jp (7)

  • 「“言葉はどこまで届いているか?” ~ジレンマフェス2014~」番組収録後インタビュー:先崎彰容 | 語った | ジレンマ+

    ――番組出演にあたって、いちばん伝えたかったことは何ですか。 先崎 今回のジレンマは「言葉」の問題。この抽象的なテーマを一年間の総集編をふまえて語るという、なかなか難しいお題でした。では、それにどう対応したか(したつもりか)――ここで改めて先崎の考えをまとめておきましょう。 この一年で論じられた「大学とは何か」あるいは「資主義とは何か」。こういった問いに共通するのは、「戦後日の価値観は正しかったのか」という反省です。1945年以降、私たち日人はある価値観を無条件の前提に生きてきた。でもそれが今、「無条件」ではなくなってきているんです。 番組では、それを「速度」というキーワードで表現した。戦後の日は、全ての事柄を効率よく、合理的に、つまり「早く、早く」することを良しとしてきた。効率化と合理化は、当は=当初は日人の生活を豊かにするためだったはずだ。だが今や、資主義の歯車に翻弄され

    「“言葉はどこまで届いているか?” ~ジレンマフェス2014~」番組収録後インタビュー:先崎彰容 | 語った | ジレンマ+
    nebokegao
    nebokegao 2014/03/29
    「効率化と合理化は、当初は日本人の生活を豊かにするためだったはず。だが、「速度」はそのままではもはや肯定できない/「言葉」とは、自分の心を直接表現できるものではない異物。馴染む=時間という概念が必要」
  • 「僕らが描く この国のカタチ2014」番組収録後インタビュー:與那覇潤 | 語った | ジレンマ+

    2014年1月1日(水)23:00~25:30放送予定のニッポンのジレンマ「僕らが描く この国のカタチ2014」収録後、與那覇潤さんにインタビューを行いました。 與那覇 潤 (ヨナハ・ジュン) 1979年生まれ。歴史学者。愛知県立大学准教授。専門は日近現代史。著書に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、『中国化する日』(文藝春秋)、『史論の復権』(新潮新書)、共著に『「日史」の終わり』(PHP研究所)、『日の起源』(太田出版)など。 ――今回の番組で“もっとも伝えたかったこと”は何でしょうか。 與那覇  いまある「国のカタチ」は、私たちの選択の結果なんだ、ということですね。歴史上のある時点で我々がなにかを選択して、その結果いまのような国があるのだと、そういう認識を持てるかどうかが重要だと思うんです。 もちろん選択したといっても、なんでもかんでも自由に選べるわけ

    「僕らが描く この国のカタチ2014」番組収録後インタビュー:與那覇潤 | 語った | ジレンマ+
    nebokegao
    nebokegao 2014/01/01
    「「いまさら地震の話はいいよ」。日本人の歴史感覚はそこまで短くなっているというか、歴史ではなく「現在の連続体」になっている/〔国のカタチを議論するという〕「例外状態」は終わった」
  • 豊かな社会の道しるべ : 「小さな参加の革命」(3/3) 山崎亮×國分功一郎 | 語った | ジレンマ+

    コミュニティデザイナー・山崎亮さんと、哲学者・國分功一郎さんの対談第3回は、前回の“つながり”の議論を経て、より広い視点へとシフトしていきます。経済的な豊かさが達成された「豊かな社会」に潜む、満たされなさの質とは。住む場所への参加は、その日常にどんな可能性をひらくのか。現代社会の課題だと思われているこうした問いも、かつて同じように悩み、答えを出そうとした人々がいました。「小さな参加の革命」、いよいよ最終回です。 忘れられたもう1つの社会主義 國分 山崎さんと僕ですごく共感する部分は、二人ともウィリアム・モリス、そしてその師匠のジョン・ラスキンに関心があることなんですよ。 山崎 國分さんの『暇と退屈の倫理学』の裏表紙には、モリスの言葉が引用されていますよね。 國分 そうなんです。ウィリアム・モリスという人は19世紀のイギリスの思想家で、デザイナーで、建築家であるというような、当に多くの顔

    豊かな社会の道しるべ : 「小さな参加の革命」(3/3) 山崎亮×國分功一郎 | 語った | ジレンマ+
  • 「わざとらしさ」に意味がある : 「小さな参加の革命」(2/3) 山崎亮×國分功一郎 | 語った | ジレンマ+

    社会参加を考えるうえで要となる、住む人と地域の関わり合い。その貴重さや必要性は多く語られるものの、一方で「コミュニティ」「つながり」という言葉は、ともすれば敬遠されがちなことも事実です。当事者としての2人はかつて何を思い、そして今、何を考えるのか。コミュニティデザイナー・山崎亮さんと、哲学者・國分功一郎さんの白熱の対談「小さな参加の革命」第2回。見えてきたのは、「わざとらしさ」というキーワードでした。 「つながり」なんて胡散臭いと思っていた 國分 ランドスケープアーキテクトのローレンス・ハルプリンが、「優れたデザイナーは、住民の意見を聞けば聞くほどいいデザインを出せる」と言っているそうですね。山崎さんもいくつかのメソッドを使って、さまざまな意見の集積から、ひとつの完成されたデザインを、ある意味誘導するかたちで作っていくわけじゃないですか。これって、非常におもしろいなと思うんですよ。 山崎

    「わざとらしさ」に意味がある : 「小さな参加の革命」(2/3) 山崎亮×國分功一郎 | 語った | ジレンマ+
  • 民主主義にはバグがある : 「小さな参加の革命」(1/3) 山崎亮×國分功一郎 | 語った | ジレンマ+

    数年に一度、選挙に行って投票するだけ。「民主主義」と謳われる社会で、住む人自身が地域の舵取りに関わる機会は、実は限られています。そして今まさに全国から注目を集めるのが、東京都小平市の都道建設問題。住民の合意なしに道路敷設が行われようとする事態に対し、たくさんの疑問が投げかけられています。 どうすれば住む人が、まちの決定から排除される仕組みを乗り越え、新たな「参加」の回路を生み出せるのか。そしてその「参加」は、どんな意味を持ちうるのか。今回は、2013年3月18日に行われた紀伊國屋サザンセミナー「小さな参加の革命」における、コミュニティデザイナー・山崎亮さんと、哲学者で小平市の住民運動に関わる國分功一郎さんの対話を、全3回でお送りします。 山崎 亮 (ヤマザキ・リョウ) 1973年生まれ。studio-L代表取締役・コミュニティデザイナー。京都造形芸術大学教授。地域が抱える課題を、そこに住む

    民主主義にはバグがある : 「小さな参加の革命」(1/3) 山崎亮×國分功一郎 | 語った | ジレンマ+
  • “ガチンコバトル”を避ける知恵—新世代の日中関係論【前編】與那覇潤×家永真幸×福嶋亮大 | 語った | ジレンマ+

    中国交正常化40周年を迎える年。先の大戦を知らず、国交正常化当時もまだ生まれておらず、物心つくころには冷戦も終焉を迎えていた--そんな、新世代を担う若き俊英たちの目に、日中関係はどう映っているのか。これまでの歴史的文脈に新たな展望を加えるべく、南山大学アジア・太平洋研究センター主催のシンポジウム「新世代の日中関係論―日中国交正常化40周年に寄せて」が開催され、三者の熱い討論が行われた。(2012年10月27日 於 南山大学) 友と敵を分けない政治の知恵 (左から)與那覇、家永、福嶋 與那覇 日はせっかく、1980年前後の生まれの論者3人が日中関係を論ずるという珍しい機会になっておりますので、それぞれが会場の皆様からの質問に答えるとともに、お互いの報告にもコメントする形で議論を深められればと思います。 たとえば、私に寄せられている質問に目立つのが、「中国の伝統的な政体である『一君万民』

    “ガチンコバトル”を避ける知恵—新世代の日中関係論【前編】與那覇潤×家永真幸×福嶋亮大 | 語った | ジレンマ+
    nebokegao
    nebokegao 2013/04/10
    「ヨーロッパの近代的な自由民主主義は、政治と道徳の一致を断念/いつまでもそこを諦められない東洋」
  • 新たな“中国像”を描き出す方法—新世代の日中関係論【後編】與那覇潤×家永真幸×福嶋亮大 | 語った | ジレンマ+

    中国交正常化40周年を迎える年。先の大戦を知らず、国交正常化当時もまだ生まれておらず、物心つくころには冷戦も終焉を迎えていた--そんな、新世代を担う若き俊英たちの目に、日中関係はどう映っているのか。これまでの歴史的文脈に新たな展望を加えるべく、南山大学アジア・太平洋研究センター主催のシンポジウム「新世代の日中関係論―日中国交正常化40周年に寄せて」が開催され、三者の熱い討論が行われた。(2012年10月27日 於 南山大学) 曖昧な決着を阻むナショナリズム 家永 インターネットの話が出ましたが、科学技術史というかメディアの進化は、歴史を見る上ですごく大事だと思うんです。 今、裏表のある外交的な曖昧な決着というのが、すごくやりづらい時代になってしまっている。私のイメージですけれど、1990年代以降と以前で、全然違うんじゃないかと思うんです。なので、曖昧にすればいいというだけの話にはなりに

    新たな“中国像”を描き出す方法—新世代の日中関係論【後編】與那覇潤×家永真幸×福嶋亮大 | 語った | ジレンマ+
    nebokegao
    nebokegao 2013/04/10
    「トリビアルなところにでも国境線を無理やり引いておかないといけないというのは、東アジアにはもともとなかった発想」
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