杜若 (かきつばた) (Japanese iris) 「八つ橋(やつはし)」と、花 (花) 2007. 5. 8 小石川後楽園 定点観測 カキツバタの花が 開花していくようす 写真集 1(写真14枚)へ (つぼみ、花、実、葉っぱ) 写真集 2(写真7枚)へ (八つ橋(やつはし)、花) ↓ 下へ ・文目(あやめ)科。 ・学名 Iris laevigata Iris : アヤメ (アイリス、イリス)属 laevigata : 無毛の、平滑な、磨いた Iris(アイリス)は、 ギリシャ語で「虹」の意味。 学名 I へ ・開花時期は、 5/ 5 ~ 5/末頃。 梅雨の少し前に咲く。 花色は、青紫、白。 ・■「杜若(かきつばた)色」 (色 いろいろ) ・昔、花の汁で布を染めたので 「書き付け花」となり、 だんだん 「かきつばた」に 変化していったらしい。 「燕子花」とも書く。 また、万葉集の時
洋画 モロッコへの旅-「カサブランカ」のイングリッド・バ-グマン・当時26歳 (1915.8.29-1982.8.29) バ-グマンの美貌に魅了された映画-モロッコを舞台にした「カサブランカ」。ワ-ナ-・ブラザ-ス、1942年 鈴木慶治-心に残る映画 「カサブランカ」 <1942年封切映画 >をBS放送(2020.3)で見た。「イングリッド・バ-グマン」-は心に残る魅力的な女優さんだ。 1960年代後半の10代の終わりに初めて見た時は、社会・歴史背景-フランス領モロッコと反ナチ活動-などがよく理解出来ず、バ-グマンの演じるイルザという女性の葛藤・心の揺らぎが正直よくわからなかった。その当時の自分より「大人の映画」だったのだ。単なる恋愛劇かとさえ思っていた。今、この映画の制作が、78年前・昭和17年-第2次大戦中の映画だったのが信じられない。反ナチ活動は映画の中だけの事ではなかった。最初の感
川端康成、大佛次郎など鎌倉文士が集った二楽荘の「花シュウマイ」と「えびの汁そば」 2022年04月13日 明治時代以降、東京から行き来しやすい別荘地として注目されるようになった鎌倉。その後昭和にかけて、夏目漱石、芥川龍之介、大佛次郎(おさらぎ じろう)、川端康成など、多くの文学者が滞在・移住するようになり、「鎌倉文士」の呼び名が生まれるまでになった。 その鎌倉文士が度々集っては杯を交わし、時には激しく文学論をたたかわせたともいわれる店が鎌倉の中心街にある。今回は、鎌倉の中国料理店では最も古いといわれる老舗「二楽荘」を紹介する。 戦前から鎌倉文士が度々集った「いつもの店」 鎌倉文士といってもほんの数年鎌倉に住んだ人から、半生をほぼ鎌倉で過ごした人までさまざまだ。『伊豆の踊子』『雪国』などで知られ、日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家・川端康成は、1935(昭和10)年から1972(昭和47
A: おたずねの文に該当するドイツ語を、当館所蔵の数種類のドイツ語版ゲーテ全集で調べましたが、この内容に合致するドイツ語文は(いまのところ)発見できていません。 なお、「天に星/地に花/人に愛」(縦書き、句読点なし)は、武者小路実篤が1948~9年ごろ書いた詩文(求められて即興で色紙に書いたのが初めという説もある)として、たとえば『武者小路実篤全集』第十一巻(「詩千八百」、小学館、1989年)等に再録されています。 しかし、『太陽』(明治29〔1896〕年8月号)に初出の「『今戸心中』と情死」(『樗牛全集』第二巻、博文館)という文章のなかで、高山樗牛が、 天にありては星、地にありては花、人にありては愛。(全文に傍点の総ルビ)と書いていますので、武者小路は当然読んでいたはずで、彼が「天に星・・・」と書いたときは、この文章を自分流に若干アレンジしただけだったのかもしれません。 【注】→高山樗
Old Fashioned Club -オールドファッションド・クラブ- Old Fashionedとは「古風な」「時代遅れ」の意。西洋絵画を中心としたクラシカルな美、アート。レトロで少しマニアックな雑学。テレビドラマ(特に『相棒』『科捜研の女』)。古めの映画や俳優、芸能、音楽、アイドル、プロレス。時に社会問題。またワインやカクテル、Barの事など拙く記し、巷で撮った下手な写真を貼り散らすブログです。 since 2010.07 / author 月野景史 *注 一番下に小説『長いお別れ』のネタバレあり 「ギムレットには早すぎる」 レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説『長いお別れ』に登場する有名なセリフです。 ギムレットとはジンベースのメジャーなスタンダードカクテルの名前。 このセリフは大変有名で、私自身もギムレットというカクテルを実際に飲む前から、 また、『長いお別れ』という小説
「とんでもなくクリスタル」「わたしを探さないで」 「下町のロボット」「蚊にピアス」 「おい桐島、お前部活やめるのか?」 「人生が片付くときめきの魔法」「からすのどろぼうやさん」 「ねじ曲がったクロマニョンみたいな名前の村上春樹の本」 「八月の蝉」「大木を抱きしめて」 「昔からあるハムスターみたいな本」 だいぶつじろう 池波遼太郎 …… 利用者さんの覚え違いに爆笑し、司書さんの検索能力にリスペクト。 SNSでもバズりがとまらない! クイズ感覚でも楽しめる、公共図書館が贈る空前絶後のエンターテイメント。 あなたはいくつ答えられる? * * * 本の正確なタイトルは、なかなか覚えづらいもの。そしてうっかり間違って覚えたタイトルを文字通りに想像してみたら、とんでもなくシュールでおもしろすぎる事態になっていることもしばしば。 そんな図書館利用者さんの「覚え違いタイトル」の実例を集め、HPで公開してい
【読売新聞】 作家の三島由紀夫(1925~70年)が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、割腹自殺する8か月前の1970年3月、師と仰いだ川端康成(1899~1972年)宛てに送った書簡が見つかった。「決起」に向けた計画を立て始めていたと
ノーベル文学賞作家、川端康成の代表作とされる「雪国」の結末を検討したとみられる創作メモが残されていたことが、日本近代文学館への取材で新たに分かりました。発表された作品とは異なる展開をうかがわせる記述もあり、名作誕生の過程を示す第一級の資料として注目されます。 創作メモは、日本近代文学館が2日から開く展覧会のために行った調査で確認されました。 縦横20センチほどの用紙には「玉蜀黍色」など「雪国」に使われた語句が羅列され、実際に使ったアイデアは線を引いて消すという、川端の創作過程で見られる特徴がありました。 「雪国」は親譲りの財産で暮らす主人公の「島村」が、温泉街のある雪深い町を訪れ、2人の女性との関わりを深めていく様子を、繊細で美しい情景描写と共に描いた作品です。 最後は火事の明かりの中で、主人公が流れ落ちてくるような「天の河」を見上げる場面で終わりますが、今回のメモには「狂つた葉子、駒子の
画像は第3弾『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』より - Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ “ハリウッドの破壊王”ことマイケル・ベイ監督が、自ら手がけた映画『トランスフォーマー』の続編を作りすぎたと、英UNILADに後悔の念を吐露した。 【画像】最新作『ビースト覚醒』に登場する新生オートボット 巨匠スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮に名を連ねた『トランスフォーマー』(2007)は、あらゆるテクノロジー機器に変身する地球外生命体と人類の攻防を描いたSFアクション。1作目は全世界累計興行収入7億970万9,780ドル(約851億円)のメガヒットを記録し、その後シリーズ化されたものの、第5弾『トランスフォーマー/最後の騎士王』は興行成績と批評共に散々な結果に。同作は、その年の最低映画を決める祭典・ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)
埼玉県浦和町(現さいたま市浦和区)出身の児童文学作家・翻訳家の石井桃子さん(1907~2008年)が、10日で生誕115年を迎えた。さいたま市図書館では記念の企画を実施。「くまのプーさん」「ピーターラビットのおはなし」など翻訳に携わった膨大な作品群が今も読み継がれる、そのわけは-。 子どもの魂を揺さぶる言葉がわかる人 現在の浦和区、旧中山道沿いの金物店に生まれた石井さんは、生家や母の実家があった三室村(現在の同市緑区三室)の豊かな自然が創作の源であったと、講演やエッセイで繰り返し触れている。翻訳作品の仕事が最も多いが、「ノンちゃん雲に乗る」など児童文学を執筆し、「岩波少年文庫」創刊による日本での児童文学普及、家庭文庫や読み聞かせ運動などで子どもの読書環境の発展に尽力したことでも知られている。
もう一つ、他球団が積極的に山本をマークしなかった要因があった。山本は当初、プロ志望届を出さず、社会人野球に進もうと考えていたからだ。 だが悩んだ末、期限ギリギリのタイミングで、プロ志望届を提出した。 山本と話を進めていた社会人チームには、山口と同い年で親しい間柄だった関係者がいた。 「その人ともずっとやり取りをしていたんですが、その社会人チームに(山本側から)正式に断りの連絡があった時に、その人から連絡をもらったんです。『だったらうちが一番に行かないといけない』と、調査書を持って、宮崎にすっ飛んで行きました」と明かす。 「そういう不思議な縁があったんですよ。だから他球団が知らない情報を教えてもらえたりした部分もあったので」 自分の手柄ではなく、ご縁のおかげ。山口の謙虚な人柄がうかがえる。 いくつもの縁と決断が重なった末に、「オリックスの山本由伸」は誕生した。 山本は19年のオフ、背番号を4
日本の植物分類学の基礎を築いた牧野富太郎(まきのとみたろう)博士。2023年度前期 朝ドラ『らんまん』のモデルとなったことで大きな話題となりました。博士が生涯で収集した植物標本は、なんと約40万点。描いた植物図は約1700点にものぼります。 そんな植物を愛し研究し続けた94年の人生とは、どのようなものだったのでしょうか。作品と共に、ダイジェストでご紹介します。 自らを「草木の精」といい、草木への偏愛が生んだ牧野富太郎の植物学 牧野富太郎 幕末、文久2(1862)年に高知県高岡郡佐川村(現佐川町)の酒造業を営む裕福な商家に長男として生まれた牧野富太郎。何不自由なく暮らしていましたが、実は物心つかないうちに両親と祖父を相次いで亡くし、祖母の手ひとつで育てられました。ひとり草木と遊ぶのが好きな子供でした。早春には、裏山の金峰神社の辺り一面にバイカオウレンの花が咲いていたそうで、おそらくこれが牧野
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