添田町教委は18日、同町中元寺の陣屋遺跡が、奈良~鎌倉時代の墓群だったとする調査結果を公表した。火葬に用いた石室墓などが見つかっており、町教委は「火葬文化が九州に広まった時期を推測できる貴重な発見」としている。 町教委によると、昨年10月から同遺跡の発掘調査をしたところ、2基の石室墓や焼却灰を捨てた3か所の「灰原」、土葬に使った5基の「土壙(どこう)墓」が見つかった。このほか、副葬品の碁石や磁器の破片、木棺に打ち付けたとみられる鉄クギなども多数出土した。 石室墓は方形で、縦1・3メートル、横1・9メートル、深さ40センチ。石に付着した炭化物を調べた結果、使用されたのは1290年頃と推測されることが判明した。人骨は見つからなかったが、武士や僧侶のような有力者を火葬したとみられる。 遺跡がある地域は大宰府政庁の直轄地だったが、その後、大分・宇佐地方の寺社や地元豪族の支配地になったとされる。また