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2010年10月25日のブックマーク (3件)

  • asahi.com(朝日新聞社):絵巻物末尾、実は冒頭だった 国立歴史民俗博物館で展示 - 文化トピックス - 文化

    絵巻物末尾、実は冒頭だった 国立歴史民俗博物館で展示2010年10月24日10時27分 「結城合戦絵詞」から。上部中央の自刃している人物は足利持氏とされる 約700年間にわたって存在した武士の虚実に光をあてた展示「武士とはなにか」が26日から、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で開催される。15世紀半ばに関東地方で起きた合戦を題材にした絵巻物「結城合戦絵詞(ゆうきかっせんえことば)」(同館蔵、重要文化財)については「錯簡(さっかん)」と呼ばれる、場面の順序が誤っている状態だったことが判明。修復した状態で説明書きを添えて展示するという。 同館では約3年前から研究チームを立ち上げ、展示品を精査。エックス線調査などで「結城合戦絵詞」の末尾の場面が、不自然に接続された痕跡を見つけた。冒頭に張り付けるのが妥当という判断になった。この場面では、桐紋の武士が切腹している。 これをめぐって従来、歴史学と美術

  • 大仏殿で発見の刀、1250年不明の正倉院宝物 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    奈良市の東大寺で、明治時代に大仏殿内から見つかった金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)2が、約1250年にわたって行方がわからなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」だったことがわかり、同寺と元興寺文化財研究所が25日、発表した。 同研究所のエックス線調査で、大刀2から「陽劔(ようのけん)」「陰劔(いんのけん)」と象眼された銘が見つかった。 「陽寶劔」「陰寶劔」は聖武天皇の遺愛品で、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳」に記載されている。光明皇后が大仏に献納し、正倉院にいったん納められたが、外へ持ち出したことを示す「除物(じょもつ)」となり、その後存在が確認されていなかった。大刀は1907〜08年の大仏殿の修理に伴い、大仏の足元の蓮華(れんげ)座の周囲から出土していた。

  • asahi.com(朝日新聞社):消えた正倉院宝物、1250年ぶりに確認 X線調査で - 文化

    奈良・東大寺の大仏の足元から明治期に出土し、「東大寺金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)」として国宝に指定された金銀荘大刀(きんぎんそうたち)2振りが、約1250年にわたって行方がわからなくなっていた正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようほうけん)」「陰寶劔(いんほうけん)」だったことが、元興寺(がんごうじ)文化財研究所(奈良市)のX線調査でわかり、研究所と東大寺が25日、発表した。  「陽寶劔」「陰寶劔」は東大寺を創建した聖武(しょうむ)天皇(701〜756)の遺愛品で、の光明(こうみょう)皇后(701〜760)が大仏に献納した後に持ち出され、その後、存在が確認されていなかった。  金銀荘太刀は1908年、大仏の足元から掘り出された。保存修理に伴うX線調査で、刀身の根元近くに「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけん)」の象眼(ぞうがん)が施されていたことがわかり、陽寶劔、陰寶劔と特定された。

    shig-i
    shig-i 2010/10/25
    除物が見つかる