タグ

2010年12月10日のブックマーク (3件)

  • 大田皇女の墓か石室を新たに発見 牽牛子塚古墳  (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    天皇クラスの墓に限定される八角形墳であることが今年9月にわかり、被葬者が斉明天皇(在位655〜661年)であるとほぼ確定した奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳のすぐ前から、存在が知られていなかった7世紀後半の石室が新たに発見され、同村教育委員会が9日、発表した。667年、斉明天皇陵の前に孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を埋葬したと記している日書紀の内容と一致し、被葬者を決定づける超一級の資料となった。 大田皇女は天智天皇の娘で、大海人皇子(おおあまのおうじ=のちの天武天皇)の后(きさき)となったが、20代で亡くなったとされている。見つかった石室は「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」という構造で、牽牛子塚古墳の約20メートル南東で出土。地名から越塚御門(こしつかごもん)古墳と名付けられた。 石室は、石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)をくり抜いた4メートル大の上石(うわいし)を

  • 【牽牛子塚古墳】日本書紀の記述そのまま「画期的発見だ」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    「斉明天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬する。皇孫大田皇女(みまごおおたのひめみこ)を陵(みささぎ=斉明天皇陵)の前の墓に葬る」。奈良県明日香村の牽牛子塚古墳の前で発見された越塚御門古墳は、日書紀のこの記述をそのまま裏付けた。大海人皇子(のちの天武天皇)の后になりながら20代で夭折(ようせつ)したとされる悲運のプリンセス、大田皇女。その終(つい)の棲家は、かつて女帝として権勢を振るった祖母・斉明天皇に見守られるかのような場所に築かれていた。 「驚きを通り越して感動した。画期的発見だ」と話すのは、前園実知雄・奈良芸術短大教授(考古学)。「牽牛子塚古墳が斉明天皇陵である可能性は、99・9%から99・99%になった」−。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)も「日書紀のこの時代の記述は、確実な史料に基づいて書かれているとみていい」との見方を示す。 ただし日書紀は、大田皇女の

  • 歴史家bot (@historian_bot) | Twitter