初期大和政権の有力者の墓か 奈良・ヒエ塚古墳に葺石 2014年02月24日(最終更新 2014年02月24日 21時24分) ヒエ塚古墳の墳丘に沿って置かれた葺石=24日、奈良県天理市写真を見る 初期大和政権の中心とされる大和古墳群にある奈良県天理市のヒエ塚古墳(3世紀半ば~4世紀初め、前方後円墳)で、後円部南側から葺石や周濠とみられるくぼみが見つかり、同市教育委員会が24日、発表した。 邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある箸墓古墳(全長約280メートル)と墳丘の形の類似が指摘されているが、埴輪は全く出土せず、埴輪普及前の古墳時代前期前半に築造された可能性が高いことが判明。市教委は「初期国家形成に関わった大和政権の有力者が埋葬された墓と考えられる」としている。 古墳は全長約130メートルで、後円部のくびれ部に近い南側を発掘した。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く