橿原市城殿町で、藤原京期(694~710年)の3つの大型建物跡を含む建物群(計7棟)跡が見つかり、奈良文化財研究所が発表した。本(もと)薬師寺跡の南側で、奈文研は貴族の邸宅跡の可能性があるとみている。 建物群跡は、「前方後円墳の原型か」と注目を集めた弥生時代の大型円形周溝墓と同時に出土。天皇が住んだ藤原宮跡の南西約1キロで、道路によって碁盤の目状に区画されていた藤原京の「右京九条三坊」という京南西部にあたる。 3つの大型建物跡は、南北方向に細長い南北棟跡と、東西方向に細長い東西棟跡2棟分。うち、規模が確定できた南北棟は東西5・4メートル、南北15・6メートル。方形状の柱穴は一辺が0・7メートル~1・2メートルと大きく、底にこぶし大の礫を詰めて柱がしっかりと建つように工夫されていた。東西棟のうち1棟は長さが13メートル以上あった。 建物群跡の東側では、塀跡を挟んで京内道路の西二坊大路(幅約1
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