渋沢敬三は、1896(明治29)年、渋沢栄一の孫として東京に生まれました。東京帝国大学経済学部を卒業後、横浜正金銀行に入行、その後第一銀行に入り、取締役、副頭取を歴任し、1942(昭和17)年に請われて日本銀行副総裁に転出、1944(昭和19)年には総裁に昇任しました。 第二次世界大戦後は、1945(昭和20)年10月に幣原喜重郎内閣の大蔵大臣となり、預金封鎖、新円切り替え、財産税導入など混乱した戦後経済の処理にあたります。その後公職追放を経て、1953(昭和28)年に国際電信電話株式会社の初代社長に就任し、その後も金融制度調査会の会長等、多くの要職をつとめます。 以上のように、「日本近代資本主義の父」とよばれる渋沢栄一の後継者としていくつもの会社役員を兼任し、日銀総裁、大蔵大臣までつとめた渋沢敬三は、それだけで日本の経済界に多くの貢献をした重要な人物として記憶されています。 ところが渋沢