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2021年12月19日のブックマーク (5件)

  • 渋沢敬三とアチック・ミューゼアム | 研究所紹介 | 神奈川大学日本常民文化研究所

    渋沢敬三は、1896(明治29)年、渋沢栄一の孫として東京に生まれました。東京帝国大学経済学部を卒業後、横浜正金銀行に入行、その後第一銀行に入り、取締役、副頭取を歴任し、1942(昭和17)年に請われて日銀行副総裁に転出、1944(昭和19)年には総裁に昇任しました。 第二次世界大戦後は、1945(昭和20)年10月に幣原喜重郎内閣の大蔵大臣となり、預金封鎖、新円切り替え、財産税導入など混乱した戦後経済の処理にあたります。その後公職追放を経て、1953(昭和28)年に国際電信電話株式会社の初代社長に就任し、その後も金融制度調査会の会長等、多くの要職をつとめます。 以上のように、「日近代資主義の父」とよばれる渋沢栄一の後継者としていくつもの会社役員を兼任し、日銀総裁、大蔵大臣までつとめた渋沢敬三は、それだけで日の経済界に多くの貢献をした重要な人物として記憶されています。 ところが渋沢

    渋沢敬三とアチック・ミューゼアム | 研究所紹介 | 神奈川大学日本常民文化研究所
  • Windows版、Mac版アプリ終了のお知らせとおわび - ストレージならYahoo!ボックス

    いつもYahoo!ボックスをご利用いただきありがとうございます。 Yahoo! JAPANでは、より多くのお客様の課題解決ができるアプリに注力するため、選択と集中を行い、下記のアプリからの利用を停止することといたしました。 ※追記2016年1月13日 下記のアプリは2016年1月4日をもちましてサポートを終了いたしました。 ※追記2016年4月1日 下記アプリは2016年3月31日を持ちまして接続を終了いたしました。 ・Yahoo!ボックスアプリ Windows版 ・Yahoo!ボックスアプリ Mac版 2011年にYahoo!ボックスのサービス開始以後、スマートフォン端末の急速な普及による大きな環境変化があり、ストレージ市場へのニーズにも大きな変化が起こりました。 サービス公開当初は、Yahoo!ボックスは、パソコン端末からのご利用が多いクラウドサービスでしたが、年々スマートフォン端末に

    Windows版、Mac版アプリ終了のお知らせとおわび - ストレージならYahoo!ボックス
    shig-i
    shig-i 2021/12/19
    “選択と集中を行い”
  • 博物館内の危険性、震度6強で実験 三木・E-ディフェンス

    阪神・淡路大震災クラスの地震が博物館の展示物に与える影響を検証する実験が17日、兵庫県三木市志染町の実大三次元震動破壊実験施設(E-ディフェンス)であった。 防災科学技術研究所によると、大地震では建物自体の倒壊に加え、家具などの転倒でも多くの死傷者が発生。そのため、室内の危険性を検証しようと、重い物が多い博物館を想定した。来年1月には、オフィスや住宅を模した空間を再現して検証する。 展示室をイメージし、仏像や甲冑などを並べた空間で、首都直下型を想定した震度6強の揺れを再現。約250キロのガラスケースが動いたり、20キロ近い額縁が落下したりした。 担当者は「しっかり固定していたので被害が少ないように見えるが、対策がないと非常に危険」と話す。今後、人の被害軽減や展示物の保護に向けた対策を練る。(藤井伸哉)

    博物館内の危険性、震度6強で実験 三木・E-ディフェンス
  • 大多喜城分館リニューアルへ 県立博物館→町に移譲 5年後めどに耐震工事:東京新聞 TOKYO Web

    千葉県教育庁は、県立中央博物館大多喜城分館について、施設が所在する大多喜町に移譲することで合意したと発表した。今月二十七日から長期休館に入り、県が耐震やバリアフリー化など改修工事を図った上で町に引き渡し、早ければ五年後をめどに町営の博物館としてリニューアルオープンする見込み。 近世大多喜城は徳川家康に仕え、「四天王」と呼ばれた武将の一人、多忠勝が初代城主で、一八七一年に明治政府の廃藩置県で取り壊された。一九七五年に城の丸跡に三層四階建ての天守閣造り(鉄筋コンクリート造り)の博物館として再建された。再建を記念した毎秋の「大多喜お城まつり」のメイン会場となるなど、町のシンボルとして観光客にも人気がある。

    大多喜城分館リニューアルへ 県立博物館→町に移譲 5年後めどに耐震工事:東京新聞 TOKYO Web
  • 文化審議会答申 興福寺旧境内など史跡2件追加指定へ:朝日新聞デジタル

    国の文化審議会は17日、奈良市の史跡興福寺旧境内と御所市の史跡宮山古墳の範囲を広げ、追加指定するように文部科学相に答申した。 興福寺は710(和銅3)年に藤原氏の氏寺として平城京外京に創建された。度重なる天災や戦火で被災したが、創建当時の伽藍(がらん)を復興し、古代以降の宗教儀礼や信仰を考える上で重要という。今回は、現在の指定地(約1万2715平方メートル)に瓦窯(かわらがま)跡(約908平方メートル)が追加される。 瓦窯跡は3基が奈良時代後半、9基が平安時代後期~鎌倉時代のもので、奈良時代後半のものは2017年の発掘調査で見つかった。創建期の寺の屋根をふいた瓦をつくっていたとみられる。 宮山古墳は古墳時代中期に築造された墳長238メートルの大型前方後円墳。今回は指定されている1万3886平方メートルに陪塚(ばいちょう)のネコ塚古墳の一部など約2757平方メートルが追加される。(米田千佐子

    文化審議会答申 興福寺旧境内など史跡2件追加指定へ:朝日新聞デジタル