戦後補償問題に取り組む市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」(神戸市)は5日、新潟県の佐渡鉱山に戦時動員された朝鮮人の名簿と、終戦直後に京都府の舞鶴港で沈没した旧日本海軍の輸送船「浮島丸」の朝鮮人乗客名簿を公開し、韓国政府にも提供するよう求める要請書を日本政府に郵送した。 日本政府は1990年代初頭、韓国政府の要請を受け、動員した軍人軍属や労働者などの名簿を提供した。その後、新たに存在が分かった名簿も提供すべきだと要請した。
国指定史跡「橘樹官衙(たちばなかんが)遺跡群」(川崎市高津区千年など)で復元工事が進められている飛鳥時代(7世紀後半)の倉庫1棟で、屋根のかやぶき作業が行われている。川崎市教育委員会は18日、見学会を開催。好天の中、多くの人が訪れ、いにしえに思いをはせた。(小田克也) 市が遺跡群で整備中の歴史公園は来年5月中旬にオープン予定。倉庫は公園の中心となる建物で、2月までに完成する見通し。市教委によると、飛鳥時代の倉庫は現存せず全国初。既に床や板壁が組み立てられ、かやぶき作業は13日に始まった。12月末までに終えるという。 かやは、ススキなど細長い茎が屋根をふくのに使われる草本植物の総称。市教委の説明では、飛鳥時代、屋根をふくため使われたのは瓦、板、かやのほぼ3種類だが、瓦は現地調査で見つかっていない。また、道具が今ほど発達していない時代、木を切って板を用意するのはかなり労力が必要で、板ぶきは大王
川崎市は二日、二〇一九年の台風で地下収蔵庫が浸水し長期休館中の市市民ミュージアム(中原区)に代わる新たなミュージアムの基本構想案に対するパブリックコメント(意見公募)の結果を、市議会文教委員会で報告した。生田緑地ばら苑(えん)隣接区域(多摩区)とされた開設候補地を巡り、アクセスが不便とする反対意見や「学芸員を市の職員としてほしい」といった趣旨の意見が多く上がった。(竹谷直子) パブコメは今年三〜四月に実施。メールやファクスなどで百十通(意見総数四百五十八件)が寄せられた。市の基本構想案では、新ミュージアムの開設候補地について、市のハザードマップに該当しない場所として、閉園した向ケ丘遊園跡地の市有地(約八千六百平方メートル)とされた。 ただ、JR南武線の宿河原駅や小田急線向ケ丘遊園駅から徒歩で二十分以上かかり、急勾配の坂道があるなど、アクセス面で課題がある。パブコメでは「立地条件が悪いので反
日本で初めての瓦ぶき宮殿が建てられた藤原宮(694~710年、奈良県橿原市)跡に近い日高山瓦窯で新たに窯跡3基が見つかり、奈良文化財研究所が29日発表した。計6基の瓦窯が並び、宮の造営初期に瓦を供給した大規模拠点とみられる。 6基には瓦を入れる焼成部が平らで、日干しれんがを用いた「平窯」と呼ばれる構造の窯もあり最古例。同時代の中国に類例があり、宮の造営に当たり当時の最新技術を取り入れたらしい。 日高山瓦窯は藤原宮の南門・朱雀門から南に約300メートル。藤原宮に瓦を供給した工房は複数あるが、宮の最も近くに立地する。以前に3基が見つかり、同研究所が2021年にレーダー探査を実施。他にも複数の窯があると想定されていた。
国道246号のバイパス「厚木秦野道路」建設に伴う「及川伊勢宮(おいがわいせみや)遺跡」の発掘調査で、公益財団法人「かながわ考古学財団」(横浜市南区)は、厚木市の荻野川流域で初めて古墳時代(3〜7世紀ごろ)の前方後円墳が見つかったと発表した。20日に現地見学会を開く。 財団によると、前方後円墳は全長37メートル、幅は21メートル。昨年の現地見学会では、前方後円墳のうち円形の盛り上がりだけが確認できたため、円墳として紹介していた。現地では他にも、古墳時代のものとして方墳の一部、土器、石器が見つかった。また、近世と中世の塚が各1基、周辺では縄文時代の住居跡1基も見つかっているという。 現地見学会は20日午前10時からと、午後1時半からの2回で参加無料、申し込み不要。現地集合(厚木市及川2)で、最寄りのバス停「松蓮寺」付近に案内人がいる。詳細は同財団のホームページで。(志村彰太)
統一地方選で、議会の勢力図が激変したのが東京都杉並区だ。女性の当選者が男性を上回り、現職や最大勢力の自民党の候補が大量落選。新陳代謝を印象づけた。変化を引き起こしたものは何か。(原田遼)
戦前から横浜市中区の海岸通り沿いに立つ「横浜郵船ビル」=写真=一階の日本郵船歴史博物館が、四月から長期休館する。一帯の再開発に伴い、博物館は二〇二六年十月に近くへ移転、再開する予定。三十一日まで、建物の歴史を振り返る企画展「また会いましょう−横浜郵船ビル写真展」を開いている。建物は歴史的な建築を保全したうえで大規模改修され、ホテルなどに使うことが検討されている。(神谷円香) 郵船ビルは一九三六年、日本郵船の創業五十周年記念事業で、横浜支店として完成した。「大オーダー」といわれる大きな柱が正面に十六本並び、荘厳な雰囲気を今も醸し出す。戦後は五四年まで連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、返還後は再び支店となった。支店業務を上階に集約し、二〇〇三年に博物館が開館した。 企画展は、GHQからの返還式の写真をはじめ、歴史的な資料を中心に五十三点を展示。大規模改修前の記録として撮影した非公開の二、三
公的な資料や論文の根拠となるだけではなく、歴史ファンには貴重な読み物でもある自治体史。東京都世田谷区では、その制作が物議を醸している。新たな区史づくりに着手した区が、執筆陣に著作権の譲渡を求めると、1人が猛反発。専門家は「発注者が当然に著作権の譲渡を受けられるわけではなく、事前によく協議すべきだった」と苦言を呈す。(原田遼)
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