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bobdeema.hatenablog.com
君たちにブラック・パンサーの同志を殺し、ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ド・ゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある(頭脳警察「世界革命戦争宣言」) 銃が鳴り響くフッドに、ブルースを歌う。「Hood Gospel」のT-Pablowは、何一つ持たぬ身から成り上がった現在までを語る。「クソ貧乏な少年は隠してた/本音を隠すのをやめたらラップしてた」。しかし、それだけか。「武道館のネジをゆるますほどの低音」。ここではなぜ「ヒップホップ」でなく、「ブルース」「ゴスペル」と言われるのか。低音はそのような過去と響きあい、現在の「ネジ」をゆるめて、そしてその隙間からある歴史が漏れだそうとしているのではないか。 「いまだ雨風にハスラーは打たれてる/伝説のギャングたちは無期か路上で撃たれてる」。無名のハスラーたちや伝
※この記事は、それぞれ全く別の文章である「『POPEYE』7月号取材記事追記」と「Too Green To be Clean~DOTAMAの一件について~」の二本立てである(分けた方が読みやすいのかもしれないが、端的に面倒だった)。 ・『POPEYE』7月号取材記事追記 『ポパイ』2019年7月号の映画特集に私の取材記事が載っている。「なぜ『ポパイ』に、しかも映画について?」というのは依頼をもらったときに私自身が思ったことだが(「シティボーイ」などとは縁遠い人間であるし、そもそも映画について語ったこともツイッターですら多分一度もない)、せっかくなので、日本語ラップ、ヒップホップと絡めた形でよければ受けると返し、了承を得たので、取材を受ける運びとなった。 特集のテーマは「面白い映画、知らない?」というもので、各人に「どんな映画が好きですか」という質問に答えてもらう形で、私は「ラッパーが好きな
I'm out for presidents to represent me (Say what?) あるときふと、日本のポリティカルラップについてどれほどのことが論じられてきただろうかと、疑問が浮かんだ。もちろんその政治性一般についてならば、多くのことが言われている。というかそれを避けて語られることなどほぼないといっていいくらいだ。ただそうではなくて、直接的なポリティカルラップに限り、どんなラッパーがどんな政治的主張を歌ってきたのかという、ある種一番ベタなことは実は行われてこなかったのではないかと思い至った。そこで、まだまだ抜けは多いだろうが拾える範囲で、日本のポリティカルラップの歴史と言うと大袈裟だが、概略のようなものを書いてみることにした。その意図はいくつかあるが、一つだけ言っておけば、安倍批判の歌が出たら拙速かつ一時的に騒いでみせるだけの末期的な状況から抜け出るために、少なくともま
ヒップホップの「ミソジニー」について、椿の『フリースタイルダンジョン』での告発を主なきっかけとして、日本でもここ最近特に取り沙汰されるようになった。これについては、私もヒップホップファンの一人として無責任なことではない(というよりも紙媒体にヒップホップについて複数書いてきたのだからより責任は重いだろう)。しかし、そのとき「またそこからですか」(RHYMESTER「ガラパゴス」)の感を抱かないわけでもない。ミソジニー批判を聞き飽きたというのでは決してなく、ミソジニーについての議論がいまだきわめて初歩的な段階にとどまっているからである。批判者を責めているのでもない。それほどに日本のヒップホップシーン及びそれを取り巻く批評的言説が遅れているのだと解釈されるべきことである。私も問題を放置してきた一人であることは認めた通りだ。敬意をはらうべき告発が注目を集めているからこそ、これからより深い議論が行わ
日本語ラップの商品発売情報を掲載している非常に有益なメディア、「2D Colvics」(http://blog.livedoor.jp/colvics/)の毎年末恒例の年間ベストアルバム/ソング企画に、昨年に引き続き参加させてもらった。ただ作品を挙げているだけなのもせっかく選んだのだからもったいなく、また一年を振り返る意味でも、ランキングに入れた作品についてコメントしておこうと思う。ちなみに、私は選出の際に、ベストアルバムに収録されている曲はベストソングには入れないようにした。普通に選べば被ってしまうのが当然だが、被っていては面白味に欠けるとおもったからだ。ランキングを転記しておく。 2017 BEST ALBUMs In 日本語ラップ (http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52267307.html) #01:PUNPEE「MODERN TI
SALUのミックステープシリーズ『BIS』(Before I Singed)の第三弾『BIS3』が10月13日に公開された。そもそもSALUは日本でフリーダウンロードのミックステープを上手く利用して成り上がるという手法をいち早く取り入れたラッパーの一人だった。一作目のミクステ『Before I Singed』は2011年の末に公開された。周知の通りSALUと並走したのがAKLOで、般若が2013年に「時代はやっぱりSALUとかAKLO」(「はいしんだ feat. SAMI-T」)と歌ったのは有名である。ミクステに関して言えば、2009年に『DJ.UWAY Presents A DAY ON THE WAY』を出しているAKLOの方が早いのだが。SALUとAKLOが並べて語られるのは、それぞれのデビューアルバム『IN MY SHOES』、『THE PACKAGE』を、日本屈指のビートメイカー
※この文章は「SEEDA入門」といったものとしても、ましてや「SEEDA論」としても、「SEEDAを通して見る日本語ラップの歴史」としても、「日本語ラップ入門」としても読まれることを望まない。また、このような文章の書き手が私である必然性が皆無であり、むしろ日本語ラップにまったく日本語ラップに詳しくない私よりも、ただ日本語ラップに詳しいだけの多くの人たちにこそ書いてほしい文章であった。なぜなら、この手の文章は一切考えることを必要としないものであるから。したがって、日本語ラップに詳しいだけの人には、この文章の補足や、誤りの訂正をお願いしたい。本来の書き手となるべきはあなたたちであったはずだから。また、この文章の読み手は本来存在してはならない。なぜなら、題にあるようにこの文章に書いてあることは「誰もが知っている事柄」を記しただけであるから、常に(ということはむろん、既に)、誰もが知っていなければ
2016 - 12 - 01 絶対的にHIPHOPであるために ここ最近、 TWITTER 上で限りなく暴言に近い批判を繰り返してきた。反省している。文字数の制限があり、伝えるべきことを十分に書くことができないと感じたので、ここに書く。 11月16日放送の『フリースタイル ダン ジョン』、じょう VS T-PABLOW戦について、じょうがバトルに勝利したことに不満を漏らしているツイートをいくつか見た。しかし、個々人の好き嫌いは別として、勝敗についてプレイヤーには責任は一切ないことをまず押さえておかねばならない。言うまでもなく、ラッパーは何を言ってもよいし、どんなラップをしてもよい。客に媚びてもよいし、バトルはエンターテイメントだと割り切って嘘八百を並べたり、事実と異なるディスをしても、何をしてもよい。重要なのは、観客及び審査員の評価基準である。バトルにおいてプレイヤーは丸腰であり、その身と
2015 - 11 - 26 押韻と比喩 KREVA「音色」を添えて 日本語ラップ を好むヘッズたちにもおそらく共有されているであろう素朴な疑問がある。しかし、その疑問に対する答えを探す前に誰もがみなその問題をたいしたことではないとやり過ごすか、あるいはそこで少し立ち止まったとしても答えに向かおうという気持ちすら見せずにそれ指摘するだけでまたそこを通り過ぎてしまう。だが、誰の胸にも等しく引っかかっているであろうその疑問にはとても重大な問題が含まれているかもしれない。 その疑問とは、ラッパーはなぜ比喩を好むのか、というものだ。直喩、隠喩、換喩など比喩の種類を問わず、とにかくラッパーたちは自分を、あるいは他者を、そこにあるものを、何かに喩えずにはいられない。 ZEEBRA なら自分のことを「鼻息荒いシマウマ」と言うのだし、彼の相方K DUB SHINEは「渋谷のドン」と、自らを政治的、 暴力団
2015 - 10 - 29 KREVAの特異さについて KREVA がかつてKICK THE CAN CREWのメンバーとして活動し、 紅白歌合戦 にも出演するほどの商業的成功を収めたということ、解散後ソロとしても目覚しい活躍を見せ続けていることは、 日本語ラップ ファンでなくてもよく知られていることかもしれない。 日本語ラップ を追いかけてきた者であれば、KICK以前に彼がB-BOY PARKのMCバトルで三連覇を果たしたということも、そしてKICKでの活動が般若、MACCHOらの強烈な拒否反応をもたらしたこともあらためて紹介するまでもない。彼らにディスられたことで、 KREVA は 日本語ラップ のシーンにおいてほとんど 村八分 のような状態になった向きもあったが、少し前のKEN THE 390、SKY-HI、AKLO、SALUらが台頭してきたとき、 KREVA は再びシーンにとって
2016 - 01 - 13 晋平太について MCバトルという形式と「CHECK YOUR MIC」 日本におけるMCバトルで特権的な立ち居地にある一人のラッパーは誰であろうか。史上最強であろうR-指定、それともR-指定と同じく日本一に三度輝きその後の活躍も華々しい KREVA か。あるいは、UMBという日本最大のMCバトルを創始し、自らもMCバトルの伝説的な存在であるMC漢か、バトルにカムバックするたび毎に奇跡的な試合を演じてみせる般若か。HIDADDY、鎮座DOPENESSその他いくらでも名前を挙げることができよう。しかし、晋平太というラッパーに比肩しうる者はいないのである。 なにも晋平太を褒めることが目的ではない。UMB二連覇をはじめ、数々の語り継がれるバトルを繰り広げたことは周知の通りで、ここで改めて言う必要もあるまい。晋平太が特権的であるのは、彼が日本で、もしかすると世界ではじめ
2015-09-24 MC漢について 漢 aka GAMIの「ヒップホップ・ドリーム」を再読し、ツイッターを見ていたら、あゆみBOOKS小石川店のアカウントがこの本を紹介しているツイートに当たり、思わず膝を打ってしまった。 MC漢の直筆のリリックも掲載!取り消し線や書き直し、筆跡、筆圧、すべてが生々しくて字面から胸を鷲掴みにされる感覚!ラッパーの書き文字の持つ強度!声として身体の中で練られたものが指先で紡がれる鮮烈!「これで何本目のボールペン」というMC漢の言葉が頭の中で何度も何度もリピートされる! — あゆみBOOKS小石川店 (@AyumiBooks_Koi) 2015, 6月 26 なぜ、このツイートが、ほかのしっかりとした紹介文、書評などとは比にもならないくらい私の目を引いたかといえば、「何食わぬ顔してるならず者」のこの歌詞を引用するセンスというか、感覚に深く共感を覚えるからだ。
2015-11-13 ライムタイプ研究への批判 ネット上に、ライムタイプという研究についての記事( ライムタイプ—押韻の分類 / the 8 rise | Music Theory Workshop Japan )が上がっており、それがどうやら重宝がられているようだ。だが、押韻するときの母音と子音の一致する音数によってそれぞれパーフェクトライム、ファミリーライムなど五つの分類を行ったこれは率直に言ってほとんど役に立たないことは明らかである。なぜなら、この研究には決定的な欠陥があるからだ。それは、押韻という技術の本質についての誤解、あるいは認識不足である。 このライムタイプの分類は、押韻が単なる音の類似であることを前提としてなされているが、そこが間違っているのである。押韻は音と意味(ソシュールでいうならばシニフィアンとシニフィエ)の両面に渡る技術なのである。この視点が抜け落ちている限
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