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マッキノンの強姦認識は、スーザン・ブラウンミラーの「強姦=暴力」説に対する反論である。「強姦=暴力」説では、暴力的なセックスはセックスと認められない。これは、暴力的でない「善い」セックスの存在が前提となる。その前提自体の問い直しをマッキノンは主張する。「性的に侵害されたことのない女というのはこれまでに誰もいない。なぜならば性的侵害こそがセックスであるからだ」[ibid.1991134]。つまりマッキノンによれば、セックスの一部に性的虐待が重なるのでもなく、また、強姦は暴力であってセックスではないという意見でもなく、セックスとは女にとって強姦そのものであり、性的虐待以外の何ものでもない。したがって、性的侵害そのものであるセックスに着目し、そのセックスを変えることが平等を実現するための最重要課題となる。先ほどの誤訳によって、「暴力は認められないがセックス自体は善である」というえ方を前提にしてい
ポルノグラフィを見る人はやがては、なんらかの形で、それを三次元の世界で実行したくなるのだ。やがては、なんらかの形で彼らは「やる」のだ。そうさせられるのだ。それが可能だと感じたとき、そのために罰せられないと感じたとき、実際にやるのだ。自分たちが影響力をおよぼせる分野にしたがって、自分たちの持っている力をすべて使って、この世の中をポルノグラフィ的場所に保ち、いつもペニスが勃起しているようにする。 キャサリン・マッキノン『ポルノグラフィ――「平等権」と「表現の自由」の間で』
水野忠邦(1794-1851) 都条例の文案を見て最初に想起したのは江戸幕府末期の「天保改革」、特に戯作者や歌舞伎へのヒステリックな弾圧だ。当時幕府はすでに末期症状を呈していた。急速に成長する資本主義経済の前で中世以来の封建経済支配は原理的に破綻し、徳川政権に可能な施策はせいぜい「徳政」と称して大名の借金を無理やり棒引きにする程度だった。これとブッシュ政権末期に臨界点を超えた金融破綻は若干二重写しにも見える。 末期の幕閣で老中水野忠邦(みずの・ただくに)は一方で反動的な経済・財政「改革」に終始、並行して為永春水(ためなが・しゅんすい)、柳亭種彦(りゅうてい・たねひこ)など「人情本作家」を弾圧。風俗は取締りを強化して寄席類を閉鎖、特に歌舞伎は七代目市川團十郎が江戸処払(ところばら)い、歌舞伎は再び江戸に戻ることなく、再解禁されたのは明治五年、「東京」と名前が変わった後だった。 「公共事業仕
山本ゆう子(神奈川県議会議員) ~保護育成の観点でなく、必要なのは支援すること!~ 10月15日に議案の採決がありました。その中で、「神奈川県青少年保護育成条例の一部を改正する条例」について、討論を行い反対しました。(結果は賛成多数で可決) 平成20年9月議会では、本来、国の法律で規制すべき「出会い系喫茶」の青少年の立ち入り禁止など、「店舗型異性紹介営業」に規制をかける本条例の改正には、国の法改正が進まない中で、被害者が出ている状況から、知事には「粘り強く国に対し、法改正を働きかけて頂くよう要望し」賛成しました。今回の改正では、国の風俗営業法の規制対象になったことから、条例から「店舗型異性紹介営業」の部分が削除されたことは、当然のことです。 今回の条例改正には、インターネット利用環境の整備が盛り込まれていますが、国は既に「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に
http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/danjo/keikaku/third/pdf/soan-gaiyou.pdf
・ニコニコ生放送を見た。規制推進派が一人も来場しなかったことがこの問題の性質を象徴している。もっとも来場していても、あとに述べる「規制推進の二大ロジック」を際限なく反復する以上のことは主張しない(あるいはできない)のかもしれない。 ・今回の登壇者ではないが、児童ポルノ問題の実務家である奥村徹弁護士は、そもそも人権ベースの「権利侵害情報」と、性倫理ベースの「わいせつ的情報」とを分けて考えるべきという立場。わたしもこれに同意。すくなくとも東が問題にしようとしていた小学生などの第二次性徴以前の年少青少年の描写については「わいせつ的表現」を超えて、「わいせつ」そのものに該当すると判断される可能性もある。とはいっても「わいせつ」それ自体がそもそも流動的なものにすぎないのではないかという伝統的な疑問が存在することもたしかなので、そこは素通りされるべきではない。 ・規制推進の二大ロジック。1.おまえはわ
35. While the Committee welcomes legislative measures taken against child prostitution, such as the revision of the Act Banning Child Prostitution and Child Pornography which increased the maximum term of imprisonment for offences committed under this legislation, the Committee is concerned at the normalization of sexual violence in the State party as reflected by the prevalence of pornographic vi
マッキノンの論文および著作等によれば、ジェンダー不平等の現実を批判するうえでの基盤となっている彼女の考えは、 セックス・イクォリティ(sex equality)」の追求、言いかえるとセクシュアリティ追究の平等である。 (略) 性的虐待は、もっぱら女にだけ起こり、セックスとして経験される。そのため性的虐待は、セックス・イクォリティについての主流の教義からは排除されてきた」[ibid. 243]。すなわち、性的虐待とは女にとってセックスそのものであるため、それが不平等問題であるとは考慮されてこなかったとマッキノンは言う。 (略) マッキノンの強姦認識は、スーザン・ブラウンミラーの「強姦=暴力」説に対する反論である。「強姦=暴力」説では、暴力的なセックスはセックスと認められない。これは、暴力的でない「善い」セックスの存在が前提となる。その前提自体の問い直しをマッキノンは主張する。「性的に侵害され
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