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パリ五輪
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ここで私の本業である哲学が重要になってくる。というのも哲学界ではとんでもなく有名なのだが世間ではほとんど知られていない、合理性にもとづくアプローチを支持する定説があるからだ。アメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンによって展開され、デイヴィッドソンが「寛容の原則」と呼んだものに依拠する説だ。 基本の考えは、きわめてシンプルである。人間の行為は観察できるが、動機は観察できない。人の考えていること、達成しようと努めていることは本当はわからない。だからある人の行為についてのどんな作り話も、多くの異なる話のなかで自分の目に映るものと一致する一つになるだけのことだ。では、どうやって一つの話を選ぶのか? 基本的にはその人の語ることが最善に聞こえるものを選ぶ。私たちは、ミスの原因を誰かに帰すのを最小限に抑える解釈を好む。そうでもしないと、人は単純なことに関しても、決して互いに理解しあえないだろう。 こ
どんな人が「法学部に向いていない」のでしょうか。 まず、自分の良心を忘れられない人は、まったく向きません。正義の人は、法学部に来てはいけないのです。法律家という括りにおいては、どういう立場で仕事をするのか、決められていないからです。たとえば、Aさんから借金をしたBさんがお金を返せなくなったとします。法律家ならば、事実関係の中で、AさんBさんのどちらの立場に立った場合でも、正当で有利な議論を組み立てられなければいけません。自分の良心を棚上げして考えることが要求されます。 次に、法律家の仕事は、法律を現実にあてはめる解釈の技術、操作方法を考える仕事なので、ある種パズルで、論理的思考が得意な人には向いています。ですが、議論で他人をやりこめることが好きなだけの人も、大成はしないでしょう。なぜなら一度は棚上げした良心を、最後のところでは戻して、社会が求める正義・倫理感は何かを考え、社会的に正しい結論
私は40過ぎて独身です。本当に辛い毎日を送っています。 つい先日も、こんな事がありました。 ある日、弟夫婦の14歳になる長女の下着類が一切合切盗まれるという事件が起きたのです。 あろうことか真っ先に疑われたのは私でした。 40歳過ぎて独身だというだけで血の繋がった実の弟からこの私が真っ先に疑われたのです。 肉親なのに。 ずっと一緒に育った兄弟なのに。 ただただ40過ぎて独身だというだけで実の兄である私が疑われたのです。 とても悲しいことです。 やりきれない気分です。 確かに盗んだのは私でした。 しかし、ここに至ってはそんなことは瑣末な事です。 論点が ずれています。 私が訴えたい事は“私が犯人だと決まってないうちに” 既に“私を疑っていた”という事実なんです。 つまり40歳で独身だと いう事は常に『気持ち悪い事をしでかすに違いない』という目で見られて いる、という現実なのです。 これではま
○経済学賞:プロのストリッパーの排卵周期が、チップ収入に影響を与えることを発見した米ニューメキシコ大学のジェフリー・ミラー、ジョシュア・タイバー、ブレント・ジョーダンの3氏に授与。3氏らによると、ストリッパーが最も稼ぐのは、生殖能力が最も高い時期であるという。
悩みのるつぼ—朝日新聞6月13日 相談者 男性高校教師 40代 40代の高校教諭。英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され。それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。妻と2人の子供にも恵まれ、まずまずの人生だと思っています。 でも、5年に1度くらい、自分でもコントロールできなくなるくらい没入してしまう女子生徒が出現するんです。 今がそうなんです。相手は17歳の高校2年生で、授業中に自然に振る舞おうとすればするほど、その子の顔をちらちら見てしまいます。 その子には下心を見透かされているようでもあり、私を見る表情が色っぽくてびっくりしたりもします。 自己嫌悪に陥っています。もちろん、自制心はあるし、家庭も大事なので、自分が何か具体的な行動に出ることはないという自信はありますが、自宅でもその子のことばかり考え、落ち着きません。 数年前には、当時好きだった
福祉には熱意よりも大切なものがある 行政では例えば児童虐待で凄惨な被害があった場合、再被害やPTSDの影響を極小にするために、司法面接(被害確認面接)というのが行われます。被害を受けた人が児童相談所、警察、検察などから何回もその事実を聞かれることは適切ではありません。よって司法面接が実施されつつあります。「被害を聞く」行為はそれほど慎重にやらなくてはいけないということです。 さて、人の関わる福祉として私が常に主張しているのは、「やる偽善よりもやらない偽善が正しい」です。同じ福祉でも震災のがれき処理などのボランティアは、どのような人格であっても、結果(がれきが取り除かれた)が明らかです。つまり人格<効果なのです。 しかし、人が対象(子どもや被害者)となる福祉は、むしろ関わることで害になるものがあります。人に関わる援助者が注意すべきこととして以下が挙げられます。 ●熱意があり能力がある→実践し
知的障害をもつ女性(30)が強制わいせつの被害を訴えた刑事裁判で、1審の宮崎地裁延岡支部は昨年 9月、女性の「告訴能力」を否定し、検察官の起訴を無効とする判決を言い渡した。「女性には裁判所に訴える能力がない」。公訴棄却判決は、いわば「門前払 い」の内容だが、女性の周辺にはその判断への疑問の声が相次いでいる。12月21日に予定される控訴審判決を前に事件の周辺を歩き、司法における知的障害 者の人権を考えた。 「携帯で胸を撮られた。みんなに見せるって」。昨年2月24日夕、宮崎県北部の山あいにある福祉作業所。家族や職員ら15人がかたずを飲んで“告白”に聞き入っていた。 きっかけは数日前、女性が友人に相談したことだった。本当だと思った職員は警察官にも同席を頼んだ。 「自分で男について行ったの」という問いに「1回か2回断った。でも早よこれ(車)に乗らんねって怒られた」。「何をされたの」「いやらしいこと
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