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都営西台アパート (にしだいあぱーと) 東京都板橋区高島平 東京都住宅局(東京都住宅供給公社アパート併存) 昭和45年入居開始 1-1 前述のとおり人工地盤の上に建設されているため、団地敷地内に入るには必ずスロープか階段を上る必要があります。4棟のツインコリダー型の高層住宅で構成されています。 1-2 見てのとおり、本当に車庫の上に建っているんです。この時間はほとんどの車両が出て行っていましたが、終電後はこのヤードにびっしりと車両が埋まるんでしょうね。 1-3 西台駅とアパートの位置関係。 1-4 建物によって、このような突起物のようなものが見受けられます。 1-5 ベランダが奥まっている、ワッフルのような見た目の建物です。エアコンの室外機置き場に苦慮しているのが分かります。 1-6 世帯数がものすごく多いので、ポストの数もすごい! 1-7 1-8 ツインコリダー型住棟の内部。わりと綺麗な
近年、廃止・取り壊しが急速に進む電電アパート(NTT社宅)についてちょっと研究してみました。公団住宅と違い、資料が少なく調べるのが極めて困難な電電アパートですが、頑張って調べた結果色々なことが分かってきました。このページでは、その一部をまとめて紹介したいとおもいます。 |1.電電アパートとは?| 電電アパートとは、NTT(日本電信電話株式会社)の前身である電電公社(日本電信電話公社)が建設した社宅のことを言います。 数十世帯の小規模なものから100世帯以上を収容するものまで、全国至る所に存在します。 私は、電電アパートが公団住宅と似ている点が多いため、てっきり住宅公団の特定分譲住宅(企業の依頼を受けて住宅公団が建設した住宅)だと思っていたのですが、電電アパートは電電公社自身、「日本電信電話公社建築局」によって設計されたものであることが分かりました。 |2.電電アパートの歴史と特徴| 電電ア
電電アパートとはNTTの前身「日本電信電話公社」が建設した職員住宅のことで、今で言うところの「NTT社宅」です。数10世帯の小規模なものから300世帯以上の大規模なものまで、全国津々浦々に存在しました。スターハウスが多数建設されるなど公団住宅との共通点も多く、官舎や国鉄アパートとは違った魅力を持っていました。2000年ごろから社宅の廃止が急に進められ、現在は比較的築浅な物件を除いてほとんど取り壊されてしまいました。 電電公社は、現在とは比べ物にならないほど多くの職員を抱える組織でした。自動交換機(クロスバ自動交換機)が全国に普及する1967~1978年以前は、電話局に「交換手」と呼ばれる人がたくさんいました。電話機に付いているハンドルをぐるぐる回すと「交換です」と交換手の応答があるので「淀橋2番の文明堂さんへ」のように伝えると、交換手が手動で回線を繋げてくれるといった具合です。映画「となり
スターハウスとは、昭和30年代を中心に建設されたY字型の住棟のことです。住民からは「星型」と呼ばれていました。1フロア3戸の部屋を有し、建物の中央に三角形の階段室があります。スターハウスは一般的な住棟に比べ、日当たりや通風に優れているため人気を集めました。 スターハウスは中途半端に残った土地(板状住棟を建てにくい傾斜地や敷地外周部の不整形地)を埋める役割を持つと同時に、景観にアクセントを与える効果を持っています。かつて、板状住棟が規則的に並ぶ街並みは「同じ形の住棟が墓のように並んでいて無機質な景観である」などと非難されたこともありましたが、スターハウスはその単調な景観に変化を与える役割を担っていました。また、冬至でも4時間以上の日照時間を確保するため住棟間は一定距離を離して建てる必要がありますが、スターハウスは、この特色ある外形により板状住棟に比べ、より広いスペースを空けて建てる必要があり
日本住宅公団ひばりが丘団地ひばりがおかだんち 東京都西東京市ひばりが丘・東京都東久留米市ひばりが丘団地 公団賃貸住宅 昭和34年入居開始 (竣工当時は「ひばりヶ丘団地」と表記されていました) 1 2 » ひばりが丘団地の解説 総戸数2714戸。北多摩郡保谷町と田無町(現在の西東京市)・久留米町(現在の東久留米市)の3町にまたがる広大な土地に建設されたマンモス団地です。完成時点で、大阪府の香里団地、東京都日野市の多摩平団地に次ぐ3番目の規模の公団住宅でした。団地の東半分は、旧中島航空金属田無製造所の敷地の一部でした。団地は「全く独立した新しい町」であり、上下水道やガスなどのライフラインや商店街などの利便施設、テニスコートやグラウンドなど生活に必要な全てのものが団地内に整備されました。もともとこの辺りの地名(小字)は北原・西原・中原など、原のつく地域でした。戦前は、竹林のヒバリで「竹の花ひばり
団地の魅力に迫る!全国の住宅団地の写真と解説。
日本住宅公団阿佐ヶ谷住宅あさがやじゅうたく 東京都杉並区成田東 公団分譲住宅 昭和33年入居開始 1 2 » 全戸分譲の団地です。公団内部資料には「阿佐ヶ谷団地」と表記され、募集パンフレットには「阿佐ヶ谷分譲住宅」と表記されるなど呼び方がはっきりしていませんでしたが、入居開始後、住民により「阿佐ヶ谷住宅」が正式名称となりました。 総戸数350戸のうち、2階建てテラスハウスが232戸(三角屋根174戸、公団標準型58戸)を占めており、阿佐ヶ谷の低層住宅地の中に溶け込んでいました。配棟設計は、公団東京支所のエースであり赤羽台団地や高根台団地を手掛けた津端修一で、コモンと呼ばれる緑地帯が配置されました。阿佐ヶ谷住宅を特徴付ける三角屋根のテラスハウスは前川國男の設計で、米軍ハウスのような外観でした。公団史のみならず建築史にも名を残す存在でしたが、平成25年に解体され、分譲マンション(プラウドシティ
団地ファンサイト「公団ウォーカー」#団地
団地の魅力 「日本は美しい国です。今、日本は急に移り変わりつつあります。私たちのまちを美しい国土にふさわしい新しい日本人のふるさとにすること、それを私たちは念頭にしているのです。」 これは、日本住宅公団(現在のUR都市機構)5周年を記念して作成された冊子「生まれくる住宅と都市」に記された、設計課長本城和彦まさひこ氏の言葉です。その言葉のとおり、今や団地は多くの日本人にとって心のふるさとになりました。懐かしいけどどこか新鮮な団地。そこにはいったいどんな秘密が隠されているのでしょうか。 続きを見る» 団地写真集
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