詩と言葉。 森という言葉を使うときに、その指すところが不確定であっては意思疎通のツールとしては失格だ。共通語(ここでは日本語に限らず)は個々の単語が指す意味を最低公約数的な、広がりを持たない限定的なイメージまで狭めた上で成立する。森を見たことがないものに対して「森」という言葉を使った時に本来は意味が通じないのがあるべき正しい姿なのだが、我々は「森」という言葉の意味を単に「木がたくさんあるところ」というように貶めることで、意味として通用させるようにして来た。 引き換えとして。森について述べるときに深い森とか美しい森とか、寂しい森、静かな森などという説明描写を要するようになった。 本来「森」といえば、深く美しく寂しく静かな場所なのだけれども今はただ森という字句を投げ出したところでそれは通じない。 そこをあえて 森 として投げ出していくことで、本来その言葉が生まれたときの忘れられた共通認識を取り