私はたまに、懐が深いと言われることがある。 でもそれは実家で父と兄と母の要求に応え考え続ける訓練を受けたからであって、自分自身は空っぽの懐の深さでなないのか。 そのように自分を疑うようになったのは、ある人(厳密には複数)との関係の悪化を経験してからである。 私は相手の欲求に応えて、少々嫌なことも無理矢理良い意味に理解して対処いくうちに、私のほうの欲求は殆ど通らなくなってしまったのだ。通らなくなったことすら気が付いてもらえず、強要されることが私の本質(もしかしたら喜びとまで思われたかも)であるかのように勘違いされていた。 そうなった後から何を言っても相手は私への認識を改められないようであった。「自分から積極的にそのような関係にしたくせに」という理不尽な思いも抱えていたようである。しかし相手が、こちらが気持ちを改めたことに無関心だったのは、自分が期せずして得た安楽を手放したくなかったからだろう