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木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 自分は親孝行をしていたはずなのに、与えようとする意識とそれを受け取る意識の価値観が違うがために、親不孝をしていることがわかったのです。親孝行や人を想うことは、相手と通じたときに価値があるのです。どんなに相手を想う心であっても、それがいかに尊くても、相手と通じなければ意味がないと考えたときに、自分は間違っていたと気付きました。その極めつけとして、「自分は世のため人のための人生を生きると言っておきながら、結局自分の先祖や両親を優先して考えていた。ここにも我があることを知って、天はこの我も取りなさいと教えてくれているのだ」と気付き、親元を離れ、富士山へ行き、この生活をしようと決意したのです。 このようにして、ふるさとでの理想郷づくりを半年で断念した僕は、ふるさとを出発する当日、その志を
なぜこのような生き方が重要なのかといえば、今の社会を観ればそれは一目瞭然です。今、世界中が様々な問題で大混乱を迎えています。そういった中、人間たちは一体これから何をしていこうとしているのでしょうか。どのように突破口を開いていこうとしているのでしょうか。 その突破口のひとつとして、ケア滞在を申し込んでここに訪れた人たちが健全になっていくプロセスから新たな世の中が始まるヒントがあると思うのです。彼らがそのままの病的な状態でいて改善しなければ、先が観えず、同じ現象が続いていくだけです。そして、それと同じような混乱が世界中で起きているのです。ですから、単純にひとりの人の人生が行き詰まり、それを改善するためのプログラムを私たちは提供しているのではなく、ひとりの人生の行き詰まりが時代の変遷を解き明かすことにもなり、そして新しい世界を切り開いていくことにもつながるのですから、これはたいへん重要な取り組み
今日、9月23日は秋分の日です。滝沢泰平さんによると今日の天体の配置は、「最後の審判が始まるタイミング」を表しているようです。以下、天下泰平ブログ「ピラミッドのカウントダウンとヨハネの黙示録」から引用します。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ヨハネの黙示録の第12章には、最後の審判の前に出現する天のしるしについて記されています。 12の星の冠をかぶり、太陽をまとい、月を踏む1人の女性が天(宇宙)に出現すると。 そして、その女性は妊娠しており、やがて男の子供を産むとも書かれています。 この物語、実は聖書の書かれた当時における未来の宇宙天体図を予想しており、宇宙の天体で上記のような配置となったら、いよいよ最後の審判のタイミングとなることを意味しているようです。 さて、奇しくも、この宇宙天体図は今現在の宇宙の配置とぴったり一致しており、あらゆる条件が一致するのは2017年9月23日の秋分の日であると言われてま
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 木の花ファミリーではNPO法人ぐりーんぐらすとの協力の元、自然療法プログラムを提供しています。自然療法プログラムでは、心身の病等の問題を抱えた方が、自然に沿った暮らしの中で健康を取り戻していきます。それを支えるのが、調和した心の元にみんなで助け合う木の花ファミリーの暮らしといさどんによる滞在者との面談です。面談では、数多くの事例に接してきたいさどんから客観的な視点が伝えられ、滞在者はそれを元にして自己認識を深め、自ら回復していくのです。先日、そんな面談の場でいさどんは健康について以下のように語りました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 健康には肉体的健康と精神的健康があります。肉体的健康とは、太陽と月のリズムに沿った生活、つまり規則正しい生活を送ることであり、精神的健康とは考え方に無駄がないこ
再びミサイルを発射した北朝鮮。これはタイミングからして国連による制裁決議に対する抗議なのだと思います。この北朝鮮についていさどんはこんなふうに語っています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 北朝鮮が今やロシア、中国、アメリカに匹敵する核武装をしています。それは水爆を核弾頭に搭載するということ。そういう世界の軍事力のトップクラスのところの技術を持っている可能性があるという話ですが、これ画期的なことです。何が画期的かと言ったら、覇権を握る国、世界を支配している国々が自分たちの覇権を維持するために核を持って世の中を支配してきました。だから他の国には持たせません。俺たちは持ってもいいと。ところがとんでもない国が持ったということはそのバランスが崩れるということです。覇権を持っている国々にとっては恐ろしいことです。ましてや、その傘の下にいる日本にとってはとんでもないことです。自分たちは核を持っていないけれども、その
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 1年前の9月6日、僕は「自分ごと」から全体性へと至る道を書きました。この投稿は、自分の衝動に翻弄され続け、そしてそれに向き合い続けた僕にとって一つの到達点です。以下、その一部を引用します。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。 そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。 だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。 自我が与えられた人間は、当然
木の花ファミリー創立メンバーのまりちゃんは、昔、いさどんからこんな言葉を貰ったそうです。分からなくても一生懸命にいさどんに食らい付いていったまりちゃん。その様子はいさどんブログ「15年目の合格」に描かれています。以下、一部引用しますね。 本当に出来が悪かった。まれに何も滞りのない1日が過ぎようとしていても、「今日は何か心配りをしたのか」のいさどんの一言から始まり、「正直、素直」が身についていない私は、正解を出そうと悪戦苦闘、最後は自分の正直が何なのか、分からなくなってしまう始末。丁度、昔のジャッキー・チェンの映画で、師匠は全部を語らず平然としている中で、師匠にへばりついて痛い目をしながら技を学んでいく、あんな感じです。 その日々の中で、いさどんに言われてきたのは、「空気のような存在にならなければいけない。そこに居るのかいないのか分からないが、なしでは生きていけないものだ」。つまり、自己主張
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 ずっとずっと続く天の物語があって、その一部として僕はこの世に生を受けました。だから僕が生まれた意味を本当の意味で読み解くには、天の物語を読み解く必要があります。そして天の物語を読み解くには、天の流れを感じる必要があります。 天の流れは天体の動きとなって示されます。その大きな流れとしては、2012年12月21日に迎えた銀河の冬至、その前後7年間の銀河の夜明けがあります。銀河の冬至、闇のピークへ向けて、人間は個々の欲望を追求し分断と対立を極めていきました。ナチスのヒトラーはそんな中で生まれた人ですが、ヒトラーについていさどんは以下のように語っています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ヒトラーが上行菩薩であるという捉え方もこの世界にはあるのです。ヒトラーという魂が地上に降りる前、天の神様はたくさん
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 何か必要なことを推し進めようとする時、自分の中に漠然とした抵抗感が生まれる時があります。何が・・・という理由があるわけではないのですが、なんとなくそれを避けようとする気持ちが生まれます。それはきっと、僕の元々の性質が受け身であるからなのだと思います。 話しは大きく変わって。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 エジプトよ。あなたは一人ではないよ。みんな民主主義に向けて努力していることを忘れないで。民主主義は専制政治に対する抵抗から始まった。専制政治は目の前の現実。だから戦おう!でも専制政治はみんな(+すべての組織)の中にあるロールでもある。みんな、時には自分や誰かに対して専制的になる。民主主義がずっと続くように。内なる戦いに踏み出そう。そして自分の中にある専制的な要素を取り除こう。そして、他者の視
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 カフェ&ショップ・ロータスランドははちみつを看板商品としていて、様々な種類のはちみつやはちみつ関連商品を販売しています。販売スタッフは、お客様が求めるはちみつの知識を提供する必要があり、その再確認の場として、先日、いさどんによる養蜂プレゼンが行われました。僕はロータスランドのスタッフではありませんが、木の花を訪問するお客様の見学ツアーの担当をしています。養蜂の知識は知っておく必要があるため、その場に参加しました。いさどんからは様々な話がされたのですが、ここでは最後に語られた言葉を引用したいと思います。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 蜜蜂に接するには蜜蜂のことを理解しなければならないのです。人間が、きっとこうだろうと自分の欲を掛けて接したら絶対に蜜蜂を駄目にします。蜜蜂の都合で、それにそってい
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 公立中学校で学校事務職員をしていた頃、職員室で当時の教頭先生に対して怒りをぶつけたことがあります。僕に頼りがちで調子の良いことを言って仕事を振り続けていた教頭先生に対し、僕は不満を溜めていました。そして、勇気を振り絞って、「しっかりしてもらわないと困る」と伝えました。教頭先生は、そんな僕に対し謝罪をし、その後、お互いに協力し合って仕事をするようになりました。この時、心が通じ合ったように感じ、僕はこういうことを伝えたのだから、「さらにしっかりしなければならない」と気持ちを引き締めたのを覚えています。 この経験は、僕の中で大切な思い出として残っていて、自分は成長したように感じて来ましたが、それは僕からの視点です。僕は今、この体験を違ったものに感じています。 僕が普段から筋を通して淡々
☆彡 ☆彡 ☆彡 困りごとから果実が生まれる 昨日、なぜかこの言葉を思い出しました。 このプレゼンをした時は、ホワイトボードに模造紙を貼ったのですが、準備をする時、内容を書いた方ではなく、何も書いていない方を表にして貼っていました。真っ白。そんなものを見せてもプレゼンが出来るわけがないのに。これも人から言われて気づき直しました。そして、笑いを取りました。笑いを取って、まさに困りごと(失敗)から果実(笑い)が生まれましたね。と話し始めました。 間違えや失敗など。人は不都合なことに出会うと困るものです。ですが、困りごとに心を開くと自分を改善するきっかけとなり、自分の幅を広げてくれます。 ・・・と簡単に書きますが、現実の社会を見ると人は間違えを繰り返し、そこから学んでいるようには思えません。長崎市長は、平和宣言で原爆の悲惨さを訴えると共に、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない日本政府へ、その
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 日本列島を台風が通過する中、8月8日3時11分の満月、そして2時22分~4時19分の部分月食を迎えました。僕の住む静岡県は台風の影響を受け、それらを目にすることは出来ませんでした。 目には見えなくても天体は動き続け、この世界に流れを生み出し続けています。だから常に目の前の出来事や自分の感情の奥に目を向けていく必要があります。そして、台風が一つのメッセージなのだとしたら、それは人間社会の混乱の現れであり、人々は混乱のために天の流れが見えなくなっているということなのだと思います。 8月7日は立秋。立春正月からちょうど180度の地点となりました。僕は立春正月に「ひっくり返った」宣言をしています。それは自分の立脚点の大転換です。それまでの僕が自分の側から世界を見て、世界をどうにかしようと
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。 心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。 だから何より心を磨き続けることです。 そして、自分を高める努力をしてい
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 天の流れを忘れる人々 人が自然の一部だった頃は、人は天(天気、天候、気候、季節)のリズムと共に生きていました。 自然の流れを読み、それに沿って生きる必要がありました。 その後、近代文明が発達し、人は自然の影響からある程度自由になりました。 人工的な環境を作りだし、季節に関係なく1年中同じように暮らせるようになります。 そんな中、人は天のリズムを忘れていきます。 我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム) 私が存在するのは、私が思考しているから。 自分の存在基盤を自分の思考に求めたこのデカルトの言葉は、 自我による自然からの独立宣言で、 他者の存在なしでも自分は存在出来るという幻想を生み出しました。 そして自然や他者との関係性を無視し、人々が思うがままに行動した結果、 現在の発
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 出会う出来事を感情を挟まずにいただいていくように、出会う感情も感情を挟まずにいただいていく。それは感情から自由になるということです。出来事をいただくということは我慢とは違います。常に感情から自由でニュートラルである必要があります。 過去に滞りをいただいた時のことを思い出すと、大抵、何らかの感情に飲み込まれていることに気づきます。それは自覚している時もあれば、無自覚の時もあるのですが、感情が物事を見えなくさせているのは事実です。 自らの感情を表現しながらも、それを離れて眺めて、どう展開していくかを楽しんでいく。そんな姿勢が大切なのだと思います。この世界の中のものはすべて変化していきます。ならば感情も変化していくのですが、感情に飲み込まれてしまうと、それが絶対になり感情を満たすことに
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 木の花ファミリーの経済について説明している時、いさどんはこんなふうに語りました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 うちの経済は本当に面白いよ。NPO法人や農事組合法人、合同会社などがあって当然それぞれが独立した帳簿を持っているんだけれども、その奥には生活共同体木の花ファミリーがあって、生活共同体がすべての組織の運営をしているんだよ。だからどこにお金があってもみんなにとっては同じ。みんなのために使われている。それで6次産業化も完全に実現している。いや、6次どころではないな、1次+2次+3次で6次産業、うちはそれに4次も加わるから10次産業だよ。「4」は「死」。生きるものが行きつくところ。つまり究極。そして、「10」はカタカムナで言えば、統合。1+2+3+4=10、ヒフミヨイムナヤコト、「ヒト」を
こういう話を聴くと、「そんな都合のよいように行くわけがない。」と反応する人もいるかと思います。ですが、その反応自体が自分を守る心です。自分を守ろうとする心を持ちながら、形だけ宣言をしても、そこには思惑が働き、その思惑に相応しい出来事が起きるものです。加えて、これは今まで実際にやったことがない話です。結果を所有しない覚悟を持って行動に移した時、どんな展開になるかは誰にも分からないことです。ですが、多くの人は今の自分の視点から未来を予測し、やらないことを選ぶのです。それもまた自分を守る心の反映といえます。
☆彡 ☆彡 ☆彡 今の社会は一人ひとりの欲望を最大限に尊重することで発展してきました。テレビCMは人々の欲望を刺激し、ニュースや新聞は、経済発展を神のように祭り上げ人々の消費を促します。個の尊重、プライバシーという名の下、人々の自我(エゴ)は膨らみ続けて来ました。 そのような社会の中で、自我を手放し血縁を超えて生きる木の花ファミリーの暮らしは人々の理解を超えることもあるのでしょう。「不自由の自由、それが本当の自由」に書いているように、僕らは今まで多くの無理解に出会って来ました。ですが、僕らが生き生きと生きる姿は言葉を超えた説得力があります。そのためか、僕らは無理解と共に支援者とも出会って来ました。だから、この道を生き抜き幸せになっていくだけ。友人からのメールを読んであらためてそう思いました。 個人の幸せを追求する視点から僕らの生活を見てみます。 すると、給料がなく休みもなく、毎日朝早くから
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 カフェ&ショップ・ロータスランドでは今、土用の丑の日フェア!を開催しています。その初日の朝、準備に慌ただしくしているみんなを眺めながらいさどんはこんなふうに語りました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 こうやって賑やかにしていると、人の目は表面に顕れる出来事にいきます。ですが、その奥に流れているものがあってそれは常に新しい流れを生み出し続けています。そこに目を向けていないと新しい動きには間に合わなくなっていくものです。 ロータスランドが始まり、私たちの暮らしは特に忙しくなりました。忙しい毎日を送っていると、給料を貰い生活をしている人々ならば、ストレスが溜まってきます。そのためストレスを解消するためにお金や余暇が必要となります。ですが、ここの人達は忙しい毎日を送っても疲れて眠くなるだけです。それ
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 昨晩、大人サミット開催中の大人ミーティングで、僕は「不自由の自由、それが本当の自由」をシェアしました。それを聴いたプラサンコム氏(タイの仏僧)は、仏の道について「飛行機の離陸のようなもの」と言い、以下のような話をしました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 飛行機はとても重量があります。それが飛び立つためには長い助走、そしてエネルギーが必要となります。ですが、一度飛び立つと、それはスムーズにどんどん上昇していきます。私は、ガールフレンドや社会的地位、家や財産を手放し仏の道に進みましたが、初めの7年間は、ヴィパッサナー瞑想、特にウォーキングメディテーション(歩く瞑想)に集中して取り組みました。仏の道は自分の大切なものを手放し、より大きなもののために自分を捧げる道です。最初は辛い想いもしました。です
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 以下の言葉は2015年10月、自分の感情に囚われ大きな滞りを生み出していた僕に対するいさどんの言葉です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 なかのんは、自分の状態は問題だということは言います。 だけれども、駄目なところに情を掛けて執着してしまっているのです。 そこはシビアになって抜け出さないと次の段階に行けません。 そこに情を持って執着していると、言っていることとやっていることが違ってきます。 それは矛盾を創ります。 そんなことをずっとやっていたら霊的には罪を犯すことになります。 問題があると認識しているならば、 そのことを認めて改善する意志を明快に示すことです。 そして、常に問題を意識して生きるのです。 毎日を冷静に見ていく。緻密に見ていく。 客観的に自分を離れてみていくことが必要なのです。
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 木の花ファミリーのメイン施設、おひさまハウスひまわりが改修工事に入り、オフィスの引越しをしました。その際、昔の書類がいろいろ出て来ましたが、そのうちの一つがいさどんとの面談記録です。僕といさどんと木の花ファミリーで紹介しているプロジェクターを巡るエピソードを受けてこの面談は行われました(2011年1月16日)。 面談では子どもの頃からの自分の人生を振り返り、それをいさどんに見てもらう機会となりました。例えば、僕は小学校1年生の頃、万引きをして店員さんに捕まりました。そしてその頃は常に嘘をつき続けていました。そんなエピソードに見ていさどんは以下のように話してくれました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 万引きする人ってね、ものを盗ることだけが目的ではないんだよね。そういう屈折した自己表現というの
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 6月21日13時24分、夏至です。銀河の夜明け(2009年夏至から2016年夏至)から1年が経過したことになります。銀河の夜明けが持つ意味については、以下の天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」に明確に示されています。まずはその中に書かれている先住民の長老の話を引用します。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 『 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』 ☆彡 ☆彡 ☆彡 自らを分けると書く自分。自我を持つ人間は、自らを他者から分けて際立たせます。それは海の表面の
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 困った相手に対して正当性を通そうとして同じ土俵に立っている。表面上は穏やかに接していてもその奥には怒りがあって、そのためムキになって自分で対応しようとしている。正当性を通そうとする態度が相手を刺激して、さらに相手を困った存在にしている。正当性を主張するのではなく、こっちが困った人になればいいんだよ。それはおかしな言い分は相手にしないってこと。相手にしなければ、向こうが困るのだから。 まあ、これは最初から然るべき人に相談して頼ればいいだけの話なのにね。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は最近の自分に対するいさどんの言葉です。 僕は最近、困った人と出会いました。それで僕は、筋を通しながら流れを見ていこうと思っていたのですが、筋を通そうとする心の奥には、非常識な相手に対する(あまり自覚していない
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 以下、2年前の大人ミーティングでのいさどんの言葉です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 物事の捉え方はたくさんあってね。 善意で捉えようと思ったら、 この世界にある全てのことは、 善意になるんだよ。 ただ、 人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。 宇宙は全て善意でできている。 なぜかというと、 宇宙は調和でできているから。 調和は、 悪意では保てない。 調和は、 善意によってしか、 成り立たない。 だから、 物事を善意で捉えられないときには、 自分が未熟だと思わないといけない。 そこを悪意で捉えるということは、 自分を観ないで、 悪意は相手から来ると思っているのだけど、 悪意は、 自らの未熟さから生まれるものなんだよ。 だから、 自分が言っていることは全て、 自分自身を表しているんだよ
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 5月20日で木の花ファミリーに移住し、丸8年となり、今は9年目の日々を過ごしています。「9」という数字から思い出すのは、小学校6年生の時、校長先生が語っていた以下の言葉です。 苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない。 当時の校長先生(服部先生)は、卒業式の時、色紙にこの言葉を書きみんな(160名ぐらい)に贈ってくれました。その色紙は今も実家の部屋に飾ってあります。 そしてこの言葉は、遠藤周作さんや河合隼雄さんが生前に語っていた「くるたのしい」という言葉に通じるのではないかと思い、ネットを検索すると以下の文章に出会いました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 「くるたのしい」とは、苦しさと楽しさとが同居している様子をいうようですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。 作家が書いた小
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