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雑誌「潮」の1970年7月号で三島由紀夫と寺山修司が対談している。三島が自衛隊で自決したのが同年11月25日で、この前に書いたものやいろんな人とやった対談は、何かをサゼスチョンしているようで興味深いが、寺山との対談も面白い。 最初の方で寺山は、当時の新左翼が政治的言語と文学的言語を混同しているという。政治的な言葉でだめになったら文学的な言葉にすりかえてしまう、というのだ。三島も「ぼくのいいたいこともそれですね」とまずは賛同する。 そのうえで寺山は政治的言語と文学的言語の波打ち際をなくしていく、わけのわからない乱世に面白味があるという。三島は、それでは文学も政治もダメになると反論する。 さて話が進んで、だいぶあとになってからこの問題がまた出てくる。寺山が、三島の「楯の会」の国立劇場屋上で行ったパレードについて触れ、「武器を持っていない兵隊っていうのは魅力ないと思いますね」という。三島は「ほん
朝日のオピニオン欄「異議あり」が面白かった。三度映画化されるという「三丁目の夕日」、その世界を、経済学者の飯田泰之氏が厳しく批判しているのだ。団塊の世代の人口が多く彼らにうけるのだから「三丁目」の人気が高いのは当然としながら、飯田氏は質問にこう語る。 ――日本では社会の改革期に、ともすると懐古趣味が現れる、とお考えだとか。 「例えば倒幕運動のスローガンである尊皇思想は一種の懐古運動です。ただし、その目標である『勤王の世界』は、現実には存在しない理想の対象でした。その虚構を原動力にしつつ、ある時点で上手に反転できたから、近代日本がある。昭和初期にも理想化した日本を懐古する向きがありましたが、このときは大失敗しました」 ――懐かしむのが悪いことだとは思えませんが。 「そもそも昭和30年代はどういう時代かといえば、殺人や強姦などの凶悪犯は現在よりはるかに多く、国民の所得は低い。環境破壊もひどく、
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