サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
災害への備え
lost2decades.blogspot.com
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 以下、『デフレ経済と金融政策』の序から各論文の概要と、吉川氏の議論、自分の感想をメモ書きしてみることにしよう。個別の論文については、同タイトルの(その2)・(その3)という形で順次関連文献にふれながらまとめる予定(どこまでできるか分からないが)である。 1.誤った「理論」を論じているのは誰か? まず、序の議論をはじめるにあたって、ケインズの有名な議論-『経済学の理論や哲学は、普通考えられているよりも実は大きな影響を現実の社会に与える。「理論」が政策当局、政治家、アジテーターに与える影響は、「既得権益」などよりも遥かに大きい。だから「理論」は危険なものであるのだ』が引用される。 吉川氏が「理論」として論難する相手は誰なのか。それは、端的に言えば米国主流派の経済学者、そしてFRBの「理
前回の(その1)から随分と日が経ってしまった。引き続き、(その2)では感想を交えつつ、財政、デフレの話題についてみていこう。 3.財政 財政については山崎養世氏と菊池英博氏のお二人が論じている。まず山崎氏の議論を少し敷衍しつつ財政の現状をまとめよう。山崎氏が論じるように、日本の財政状態は敗戦直後の水準まで悪化している。2010年度予算では、1946年以来初めて、新規財源国債の発行額が一般税収を上回った。財政赤字は歳入と歳出の差である。歳出の中で特筆すべきは社会保障関係費の増加であり、10年度当初ベースの一般会計歳出総額に占める社会保障関係費のシェアは5割を超えた。この背景には高齢化があるが、高齢化は既に以前から見通されていた動きでもあり、寧ろ低成長の持続による税収の減少の要因が大である。以上の推移の中で山崎氏は、国債発行の大幅拡大を指摘する。90年の国債発行総額は20兆円程度だったが、20
DSGEモデル周りについて興味深いエントリを矢野さんが幾つかされており(例えばこことかここ)、中々キャッチアップするのが大変ではあるのですが、以下はもう少しDe Macro(松尾先生風味)なマクロ計量モデルや折衷型(ハイブリッドタイプ)の論文も含めつつメモ代わりにまとめてみます。ほとんどのペーパーはネットで手に入れられる筈。 1.全般的な話 De Macroなマクロ計量モデルは少なくとも我が国の政策分析においては現役です。なぜなのかは色々と理由があるのですが、直感的に分かりやすく扱いやすいということに尽きるのかなと思います。各官庁等で用いられているモデルについては以下が参考になるかと。後はDe Macroなバックワードルッキングモデルではなく、De Macroな意匠を維持しつつフォワードルッキングを取り入れたモデル(伴先生らが開発しているもの)もありましたね。そしてDSGEモデルといったと
先日の竹森俊平氏の論考に引き続き、特集の中身について紹介しつつ感想交じりでまとめておこう。テーマは7つであり、円高、日本株、財政、デフレ、成長戦略、米国経済、新興国というものだ。いずれも2010年に話題になった話であり、来年も引き続き話題となるだろう。(その1)では円高と日本株の二つについてみていこう。 1.円高 最初の点は円高である。円高は現在ややその勢いを弱めているものの、83円台が続く状況であり、楽観視することはできない状況だ。このテーマでは榊原英資氏と北尾吉孝氏が論考を寄せている。 榊原英資氏は、現在は円高というよりもドル安の状況にあると説く。だが二国レートが円とドルといった二つの通貨の交換比率である以上、この区分は意味がない。加えて円高が進む状況では円が独歩高の状況だったが、ドルはそうとはいえない。榊原氏の論説はこの意味で事実認識を欠くものである。榊原氏は史上最高値である一ドル=
早月刊誌は12月号が刊行される状況となった。過ぎ行く月日の速度が増しているという思いが募る今日この頃。さて、2010年の日本経済も様々なことがあったわけだが、2011年に向けて現代の課題・視点ともいえる話題をどう見たらよいのだろうか。Voice12月号の特集「激突対論!2011年の日本経済」は、対論という形を取りながら同じテーマに即していくつかの視点を提供してくれる。既に内容はご存知の方が多いと思うので、感想を混ぜながら簡単にまとめておきたい。まずは竹森俊平氏の論説「漂流を始める世界経済」から見ていこう。 竹森氏の見立ては、次のようなものだ。まずユーロ圏。今年の半ばあたりからPIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の一国、ギリシャの債務危機という形で表面化したが、ユーロ圏の危機が完全に終わったわけではない。危機は先送りされたのであり、2011年にはアイルランド政
本日夕方、菅首相は就任にあたり記者会見を行った。マニフェストと現実との狭間で、やるべき事とやるべきでない事、出来る事と出来ない事の区別すらつかず、政策実行に必要な調整や周囲の補佐を欠いて自滅した鳩山政権の事はもう言うまい。昨年8月に政権を奪取した民主党にとっても、日本経済にとってもまさに正念場である。菅首相は国民の期待に応えることができるのか、果たしてそうでないのか。 会見では、まず菅首相自らの認識が語られる。曰く、政治の役割は最小不幸の社会をつくることである。曰く、「失われた20年」の経済停滞、社会の閉塞感を脱し日本を元気の良い国にするために、日本経済・財政・社会保障を立て直す必要がある。そして、この停滞の背景には20年間の政治のリーダーシップのなさがあるという。 私も首相の指摘する認識には同意見だ。経済成長は政府が行うものではない。しかしバブル崩壊以降の長期停滞には、適切な政策が早期に
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 不均衡分析の荒野に足を踏み入れると、勢い「合理的期待」と「均衡概念」との関係が気になってくる。毎回寄り道で恐縮だが、今回は伊藤隆敏『不均衡の経済分析』(東洋経済)の補論(いわゆる「合理的期待学派」について)にヒントを得ながら整理してみる。 主に整理する点は、以下の点である。つまり、「合理的期待学派」の主要な結論(政策の無効性や不必要性)は、寧ろ「均衡」の仮定の必然的帰結であり、「合理的期待学派」という呼名はミスリードで、「均衡学派」もしくは「新しい古典派マクロ経済学派」と呼ぶべきであること、ということだ。あわせて均衡と不均衡の含意についても少しふれてみよう。 1.「合理的期待」について 古典的なサージェント=ウォレスの論文では、合理的期待と自然失業率仮説を組み合わせたモデルに基づい
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 現実経済は貨幣経済であり、我が国の長期停滞を考える場合に貨幣的現象が大きく影響しているのであれば、貨幣経済に正面から取り組んだケインズ自身の著作を再検討することが必要だろう。そして「ケインズの経済学」以後のマクロ経済学の潮流は、一般均衡理論の中における「貨幣」の位置づけを巡って展開しているようにも思われるのである。New KeynesianモデルがRBCモデルに硬直性を付加したものという見方は、まさに以下で見るケインジアンの反革命が繰り返し現れていると見ることもできるのではないだろうか。 以下では、小手調べに花輪俊哉監修『ケインズ経済学の再評価』の中から花輪俊哉氏による簡潔なまとめ(序:ケインズ経済学の再評価をめぐって)の印象に残った部分を纏めてみることにしよう。 1.異端の書『一
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 我が国がデフレに陥って早10年が経過した。「失われた20年」とも呼ばれる長期停滞に、このデフレが大きな影響を及ぼしていることは言を待たないだろう。本書は、デフレに最も大きな影響を与える金融政策、日本銀行について論じた書籍である。 まず一読して感じたのは、「デフレ」という現象と「デフレ」に決定的に影響を与える日本銀行について様々な視点から論じられていることだ。 第一章は「日銀理論」について手厳しい批判がなされる。デフレに最も影響を及ぼすのが日本銀行の金融政策であるにも関わらず、現下のデフレに責任が全く無いと主張する総裁、経済危機やデフレに関する当事者意識のなさ、政府によるデフレ宣言以降の迷走、必要以上にバブルを懸念する政策スタンス、イエスマンが横行する組織、といった特徴が指摘される。
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 岡田靖さんが書かれたインサイトコラムについてのエントリをサルベージしてみました。お会いした際に、「ブログで取り上げられたら止めるに止められないじゃないか(笑)」と照れくさそうに声をかけて頂いた事を思い出します。ご参考まで。 岡田靖「景気後退と資源高、両面の課題に直面するFRB」を読む。(2008年3月14日) http://special.reuters.co.jp/contents/insight/index_article.html?storyID=2008-03-07T043007Z_01_TK0080185_RTRIDST_0_ZHAESMA06696.XMLから。 既にご案内のとおり、我が国の為替レートは円高が進み、1ドル=100円ラインを突破する勢いである。これは裏返せ
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 岡田靖さんが急逝されたとのご連絡を昨日(11日)頂いた。だが不覚にも訃報を知ったのは本日(12日)である。以前から体調を崩されていたのは伺っていたが、お見舞いに伺うことも出来ず仕舞いであった。死に至る可能性も十二分にあるという状況を乗り越えられて、職場復帰をされた際、隣におられたある方(自分ではない)に向かって「まだまだ「リフレ派」は渡さない。俺はしぶといからね。」と冗談を言われていたのを伺ったのが最後となってしまった。研究所の机の上には献本させて頂いた拙著が置かれていた。切れ味鋭い言説で思い切り批判して頂きたかったのに、感想を伺うことも出来ず残念な限りである。 私自身、岡田さんの謦咳に接したのは極々僅かであり、お会いしたのも数度という状況であるため、岡田さんのお人柄について良く知
様々な経済関係の論文・論説・書籍・公表データから感じたことを気軽にメモ風に纏めるブログ。リンク等は御自由に。 『週刊金融財政事情』の特集は「デフレ日本の財政金融政策」ということで、高橋洋一、松岡幹裕、河野龍太郎の三氏が寄稿している。個人的にはこの三つの論考の中で重要だと感じるのは松岡氏による量的緩和政策の評価である。この論考を中心にまとめてみよう。 さて松岡氏の論考は、表題にも掲げた通り、量的金融緩和無効論に対する批判的検討である。この論考のベースは、浜田・原田編『長期不況の理論と実証 日本経済の停滞と金融政策』第二章所収の同氏の論文(日銀理論とは何か:名目短期金利ゼロの下限と金融政策)(同種の論文はESRI DP No.29としても読める)と思われるが、量的金融緩和策無効論についての批判的な検討がなされている。 松岡氏による、量的金融緩和無効論の主張を取り上げてみよう。論説では7つ全ての
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Memorandum of Economic Issues』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く