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買ってよかったもの
misaki-taku.hatenablog.com
小さなどんぐりが道端に落ちていました。この季節、ちょっと樹木がある公園でも空地でも、ときには庭木や街路樹にもどんぐりを付ける木が選ばれるだろうか?すなわちありふれた木なのだろう、楢やクヌギや椎からどんぐりが落ちています。けっこうな頻度でどんぐりに遭遇するものですよね。だけど子供の頃は行動範囲が狭いから、その範囲内にどんぐりを落とす木がないと、当たり前だけど、どんぐりは「珍しい」ことになります。 わたしの場合、住んでいた家の隣にあった総合病院の敷地内に何本も椎の木があったから椎の実だけはいくらでも見つけることが出来ました。だけど一方でその範囲内にはほかのどんぐりの木がなかった。植物図鑑でどんぐりの絵を見て、どんぐりの傘がいがいがとしたクヌギは、実も大きく丸くかっこいいと思ったものでした。しかも夏にはその樹液にカブトムシを集めることも出来る。ということから子供の頃のわたしにはクヌギという木はヒ
1990年前後の横浜のどこか。公衆電話はあちこちにあり、ときには前の人が空くのを列を作って待っている。この写真は簡易的な屋根があるだけですが、いわゆるガラス張りの公衆電話ボックス、なかに人が入れるボックス内には小さな鏡があって、外で待っている人がいるかどうかをいちいち振り返らずとも気付けるようになっていましたね。 コンサートなどのチケットを予約するときにも、電話を使った(いまもそういうのあるのかな?)もちろん家電(いえでん)でも良かったけど、国際通話ができる公衆電話ボックスからが、いちばん繋がりやすいという噂?都市伝説?本当にそうだった?があって、わざわざそういう電話ボックスまで行ったこともありましたね。いちばん失敗したのは友だちたちとBBQをやることになった休日に、トヨタカップ(いまはクラブ世界一を決めるサッカーの大会として別の名前になっている)のチケット販売が10時からスタートとなって
十日ほど前の茅ケ崎海水浴場。考えてみれば、踝まででいいんだけど、波に濡れたことがずっとない。足を波に浸してみれば、なにかちょっと気分が変わるかもな、と、夜にブログを書きながら思ったりもします。こんど行ったら足を濡らしてみようか。 シャインマスカットっていつからシャインが付いて華々しく人気商品になったんだ?むかしむかしは巨峰の方がちょっと人気が上で、マスカットはそこに迫っているが追い付けず、あとは小粒の名前ももう覚えていないブドウだった。巨峰が大鵬で、マスカットが柏戸・・・とこんな比喩はある年代以下の方には余計に混乱を招くだけですか。それがシャインが付いて、皮ごと食べられるようになって、いまや人気絶頂。いつのまにやら、ですね。 先日の猛暑日に何年振りかで、誘っていただきバーベキューに参加しました。そこで冷凍したシャインマスカットを持ってきた方がいて、さんざん肉やら焼きそばやら焼き野菜を食べた
先日、東京工芸大学にある写大ギャラリーまで立木義浩写真展を観に行った。写大ギャラリーは地下鉄丸ノ内線の中野坂上駅から徒歩10分くらいの場所にある。上の写真は駅近くの中野坂上セントラルビルというオフィスビルの一階ガラス窓の向こうと反射しているこっち(わたしの後方の景色)がダブルイメージになった写真です。 昨日のブログに象の写真を載せておいて、文章では、象とは関係ないが・・・と前置きしたのちに大辻清司展のことを書いたのだが、書いたあとに、象と関係あることを思い出しました。 この上の写真を撮った中野坂上の町を、写真展を見た後は住宅地のなかの車も通れないような細い路や階段を辿って駅まで戻って来たのだが、その途中に小さな公園があり、そこに立て札がありました。読むとこう書いてあるのです。 『象小屋(象厩(きさや))の跡 江戸名所図会に「中野に象厩を建ててこれをかはせられたりし」と書かれている中野の象
いまは横浜の赤レンガ倉庫と大桟橋のあいだの遊歩道や象の鼻パークになっているおしゃれな観光スポットは、1980年代には赤レンガ倉庫は廃墟だったし象の鼻のあたりは倉庫や港湾の水揚げ場や貨物船のあるような場所だったと思います。刑事ドラマのロケ地によくなっていたな。刑事ドラマではないけれど森田芳光監督の映画「の・ようなもの」で主人公の落語家しんとと と、秋吉久美子演じるトルコ嬢(当時の言い方)エリザベスが夜のドライブに来て歩くのも横浜の港湾地区だったような気がする。たぶんこの写真は1980年代にそのあたりで撮ったものだと思います。たくさんペプシとファンタのロゴが貼ってあるけれど、廃車になった車がペプシとファンタの倉庫になっている・・・そんなわけないか。当時はこういう場所によくドラム缶が置いてありました。いまもドラム缶はあるのだろう、けれど、むかしほどの頻度では出会わない気がする。ドラム缶には何が入
昨年の11月の写真を見直していたら、京都に旅行に行っていて、9日の夜に満月(正確には8日が満月だったので十六夜なのか・・・)と京都タワーの写真を撮ってありました。人の眼が満月を見ていると、なかに兎を見立てるような月の海の作る陰影まで見極めることができて、そこを注視していると、満月は感覚としては大きく見える。写真に写る満月の大きさは人の心とは関係なく、冷徹な物理的で正確な大小で写るから、このときもこういう風に月とタワーは「あった」わけだけれど、いざこの日に戻ると、自分の心の感覚としたら、この写真から満月部分を切り出して、そうですね・・・4倍くらいに拡大してからまた貼り直すと、心が見ていた大きさになるんじゃないかな。 十六夜。満月の十五夜より遅く現れるから、それが躊躇うという意味のいざようと重ねて十六夜をいざよいと読むようになったとか、これちゃちゃっと検索したら書いてありました。 これからふた
むかしはいろんな会社名を掲げたガソリンスタンドがあって、それが統合されていった系統図を作ってネットに上げているページがあった。日本石油はほかのいろいろを吸収合併しながらいまはよく見るエネオスになっているらしいです。1990年頃に自分が撮ったネガを眺めていたら、この江の島と思われる場所の、何故なら画面の右にヨットのマストがたくさん写っている、ガソリンスタンドの写真が撮ってあった。それにしても当時なんで私はここにカメラを向けたのだろう?なにが動機でここを撮ろうと思ったのだろう?1990年時点でこの建物がすでに古めかしく珍しいものだったのかな・・・ ずいぶん前、十年か二十年か前に坂倉準三設計の神奈川県立美術館鎌倉でその「坂倉準三展」を観た。記憶があいまいだけど、たしか出光石油のガソリンスタンドの設計デザインを坂倉準三がやっていて、それがなんだかかっこいいと思った。その時点でほとんどが「現存せず」
車を停めて、公衆電話から電話を掛けている。当たり前のようにあった光景だけれど、実はもうこんな光景にはまず当たらなくなった。実は19年前かな、そんなに昔の写真であります。この頃のコンパクトデジカメの画素数は300万画素でいま普通の2000~3000万画素よりぜんぜん少ない。だけどこうしてブログに使っている分にはそれでも大差はない。この車の車種はなんだろう?いまならステーションワゴンと呼ばれるのだろう、この頃はバンだった。 先日会社で、ジーンズのことをGパンというかジーンズというかデニムというか?という話題になった。昼休みのなんてことのない雑談のなかでです。その後、ジーパンのジーがジーンズ(JEANS)のジーならば、字で書くとJパンなのになんでGパンなのか?という疑問が生じたが、調べると、戦後にGIが履いていたからGパンと呼ばれるようになったので、JeansのJとは由来が違うらしかった。 以前
先週だったかな、台風がやってきて、上空のいろんな質の空気が複雑に絡まり合ったせいか、雨上がりの順光で見る空ではないところに、虹のカケラ、すなわち長く円弧を描いているわけではないが、空の一部に虹が見えた。同じ日に、またぞろ古い写真を見直してたら、この写真を見付けました。こういうのはどういう原理で現れる虹なのでしょうか?上に書いたようにいろんな質の(湿度分布や温度分布の違う)空気が絡まっているんだろうが・・・ 秋になれば湿度が下がり、気温も猛暑日までは届かなくなり、空が高い。空気が澄んで遠くまでくっきり見えるようになってきて、雲もすごく高い場所にありそうだ。 でも、なんか夏が終わることにひとつ、あれれ?と感じたことと言えば、蝉が鳴くのを聞かなくなったのがずいぶん早かった気がする。マンションの廊下やベランダで見つける蝉の死骸の数も少なかった。なによりツクツクボウシをほとんど聞かない夏だった。 ネ
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に小田原城址公園の動物園が舞台のひとつとして出て来る。『お城のなかに動物園のある町なんて小田原以外にはまずないだろう。変わった町だ。』春樹氏がそんなことを書いたせいかどうか、その後、この動物園は縮小され、最後に残っていた猿舎の猿の引き取り先が決まり、年内には閉鎖される。 今日、その動物園を1980年代頃に撮ったモノクロのプリントをたまたま古い写真プリントを見ていて見つけた。そのプリントを接写した。 小説の主人公は、動物園で『僕らはだいたい猿を見ていた。猿を見ていると飽きない。おそらくその光景がある種の社会を連想させるからだろう。』と考える。写真には上の写真のとおり、その猿の檻も撮ってあった。ほかに撮ってあった写真を見ると、ずいぶん大勢の客が動物を見物している。とくに象が人気のようだ。もうずいぶん前に亡くなった象が元気に鼻を上に振り上げた写真もあった。猿や
9月の写真を求めてHDDへ潜航。7年前でしょうか?葉山の海で撮ってあった写真です。母親かな?大人が一人見守るなかで、波の穏やかな、大人の腰くらいの深さの海で子供が一人泳いでいる。あるいは、泳ぐ練習をしている。もう9月だというのに。もう海の家も閉じて秋の海に泳ぐ人はいなくなったというのに。 つげ義春の漫画で、彼女におだてられて、海を砂浜と平行に行ったり来たり、クロールでずっと泳ぐ男の話があった(例によって確認していないのでうろ覚えです)。この少年はもしかすると夏休みのあいだに××m泳げるようにしてきなさい、といった体育の宿題のテストを控えているのだろうか?そのための最後の練習をしているのだろうか。 あるいは少年自身が夏が終わって行く、その最後の夏の遠ざかる背中に名残惜しく別れを言うべく、母を誘って海へ来たのだろうか? あるいは・・・あるいは・・・ 季節外れの冬の日に、どこも傷んでいない蝉の抜
夏至の日の東京の日の出は午前4時25分で、冬至の日には午前6時47分。実際にはこれより少し早い日や遅い日もあるけれど、まぁおおまかに言えば、一年のうちに東京では日の出時間が2時間20分ほど変化している。日が沈む時刻も同じくらい変化しているとすると、夏至の頃と冬至の頃では日が昇り日が沈むまでのトータル時間は5時間も違うんですね。というようなことを今調べたのは、8月も下旬以降、日が出るのが遅くなってきた、日が沈むのが少し早くなってきた、というのを実感していたからだけど、今ごろ?鈍感だなあ・・・と言われそうなのは、もうすぐ秋分の日だから、そのうちの半分はすでに進んでいるわけですね。写真は昨年の10月の朝に撮ってあった。ノーファインダーで適当に撮ったんだろうな、電柱の位置があまりに画面の隅のぎりぎりにありますね。ひとつ、明らかに電灯が付いている部屋があります。窓明かりというのですかね?寒くなって行
アーティゾン美術館の前の交差点、真昼間、猛暑。信号待ちの人たちは日陰で信号が変わるのを待っている。 ところで、急に話が変わりますが、先日某所のスターバックスコーヒーで、コーヒーエイドクールライムというこの夏のわたしのイチオシのドリンクを飲みながら本を読んでいたら、店員さんが小さな紙カップに入れたスイカ・スムージーを試食にどうぞと配って歩いてきた。それで思わず、わーいラッキー、といただきました。スイカスムージーはなかなか美味しいのですね。 子供の頃もいまもか、あまり積極的にスイカは食べなかった。嫌いじゃないけど、食べたくなるほど好きじゃない。どこかで出て来ると食べる。年齢が一桁だったころは父と縁側に座ってすいかにがぶりつくという行為自体が楽しかったけれど。嫌いじゃないがものすごく好きというほどの味ではない、とういことと、種を飛ばす、というめんどうくささがプラスマイナスゼロになる。というのもス
ひと月ほど前、7月の中旬に桜木町駅付近(横浜市)で撮ってあった写真です。写真の右隅の真ん中より上に、銀色に緑の線が入った電車が走っているのが写っています。JR東日本京浜東北線の電車です。その手前のコンクリートの脚に支えられた高架線は東京急行東横線が走っていた線路の跡地です。いまはこの横浜以西なのか以南なのか・・・その範囲の東横線はみなとみらい線に名を変えて、桜木町ではなくみなとみらいや元町中華街といった新しい観光地をつなぐ路線に変わりました。この廃線となった東横線の高架のうえはほんの短い範囲だけ人が歩けるようになっています。写真を撮っているときに自分が立っているこちら側の歩道をそのままとぼとぼと・・・別に「とぼとぼ」ではなくてもいいのですけどね・・・先へと歩いて行くと、紅葉坂の交差点があり、そこを左折して坂を上ると前川國男の設計したモダニズム建築の青少年センターや旧図書館や神奈川県立音楽堂
台風の余波でまだまだ波が荒れていて、そこに真夏の太陽が照り付けて、海面はきらきらではなくぎらぎらと光っている。海に向かって立っていると、私の短い髪の毛ですら風に煽られて、おでこが露わになる。防波堤から釣りをしている人がいるが、こう風と波が強いと釣果は望めないのではないか?見ていると試しに一度二度、仕掛けを投げ入れるものの、すぐに帰って行く人が多い。防波堤の突先のコンクリートの躯体の上に、たくさんの鳥がいるのを見つけたので、超望遠までカバーしているコンパクトデジカメ(とはいえもうコンパクトとは言えない大きさ)で、その超望遠にして撮ってみた。ほとんどがカモメと思われるが、一羽だけ首の長い鳥も混じっている。このあと、この躯体に近い場所にあらたな釣り人がやってきて、それを機に、鳥たちが飛び立ったが、1/3くらいの鳥はちょっとどうしようかな?と悩んだ挙句に飛ばずにそのままにいた。鳥がここにじっとして
台風一過の快晴とはなかなかいかないのは、通過した台風の南東側に東海や関東地方が位置しているからなんでしょうかね?晴れたと思うと短時間に豪雨が通り過ぎていく。道端の名も知らぬ木の葉も水に濡れて艶やかに光っていました。 築30年以上のマンションの北と西に面した角部屋の自室は北も西もベランダがなく、室外機が置けず、そもそもこの部屋だけはエアコン設置用の電源やダクト穴もなく、30年以上に亘り、昼間は通り抜ける海風と、凪になれば扇風機で夏を過ごしてきました。湘南は東京よりだいたい3℃くらいは気温が低いので、なんとかなっていた。だけどここ数年の真夏の昼間の気温の上昇で、それでは暑さを凌げなくなり、ここ数年は隣室や居間のエアコンをフル稼働させ、扇風機で冷気を自室まで導くような対応をし、なんとか暑さをやりすごしてきました。今年は6月頃に、ポータブルエアコンというのをとうとう買ってみた。あまり評判は良くない
道端を歩いていたら小さな実が蔓に生っているのを見つけました。蝉の声がわんわんと、いや「わんわん」鳴く蝉はいないけど、クマゼミとアブラゼミとミンミンゼミが一斉に鳴くことでわんわんと聴こえているなか、汗がだらだら流れるなか、それでも頑張って写真を撮るのでした。せいぜい5-6mmサイズの球です。 蝉がものすごく煩く鳴いてるときにその森や山の形が、蝉の声の聞こえる方向聞こえない方向を分別して聞き分ければ、聴覚から視覚情報的に置き換えられるんじゃないか?と思ったことがあったけれど、そこまで私の聴覚の角度分解能力はぜんぜん足りなくて、山の稜線の形など把握できなかったですね。これは普通なのか? 子供の頃にはよく自分の聞こえている聞こえ方、見えていること、味、その他の五感が、第三者が感じているのと同一なのかどうか?疑問に思ったり不安に思ったりしました。いや、いまもその疑問は解決していないけれど、ぜんぜんそ
東京都写真美術館から三田橋でJRを越えて目黒三田通りを恵比寿駅の方に下って行くだらだら坂沿いの1960年代くらいに建てられたように見えるビルの一階の窓に、この人が歩くネオンサインが昼間から灯っています。左から右にいくつか人の形があって、順番に灯って行くのです。事務所か店舗の窓でしょうかね?その窓の前には写真のように横断禁止の交通標識があり、そこにも人の形が描かれています。そこに正対して待っていると、真夏の真昼間でもときどき人が歩いてきます。もっと10分20分と粘っていたら面白い写真が撮れるのかもしれませんが、せいぜい20秒くらいでまた歩きだしてしまいます。その20秒に二回か三回、歩行者が来る機会がありましたが、ネオンサインのどこが灯っているか、などなど、なかなか難しい。この電信柱が邪魔だとかなんとか、本末転倒極まりない、自分勝手な思いも起きたりします。 東京都写真美術館の地階展示室では「風
ここ数日地味目な写真をアップし続けてたので、ちょっと決定的瞬間な写真を(笑)。これは旭川から羽田に向かうJALから見下ろした品川の大カーヴを走って行く東海道新幹線の写真です。だからなんだ、と言えば、別に・・・飛行機の影も写ってます。 じゃぁ、これはどうだ!とばかり、もう一枚。新宿副都心が見えます。都庁も写っている。住友の三角錐(角に面取りはあるけど)のビルが一番古いのかな。日本初の200m越え高層ビルで1974年竣工、2020年改修。1990年頃に新宿の高層ビルの上の方の階でなにかの会議だか研修だかがあって、あれは住友のビルだったような気がするけど、はじめて高層ビルから地上に動いている人や自動車を見下ろしたときには、ほんとに足がすくみましたね。手摺ないじゃないですか、ガラス窓に顔くっつけるとすぐ外で。それ以来、じぶんはきっと高所恐怖症というやつだと思うことにしてきたが、飛行機から外を見るの
数日前のブログに、窓の向こうを神奈川中央交通の路線バスが走って行ったことを書きましたが、その神奈川中央交通のバスが写っています。略して「カナチュウ」と呼ばれています。この写真は東海道線(東京ー熱海 すなわち長い長い東海道線のうち東京からおよそ100キロくらいのJR東日本の範囲のこと)の大船駅の観音様がある方の口のバスターミナルです。観音様というのはこの写真にも、緑の小山の上に写っている白い像です。このブログにも書いたけど、少し前、運動部の男子中学生の一群がこの写真を撮った歩行者用デッキを歩きながら「オレ、子供の頃からさ、あの観音様ってウルトラマンに似ていると思っているんだよね」と言っているのが聞こえて来た。 それでよく見ると、上は眉毛と下は細い目ので区切られている楕円形の範囲をこれをぜんぶ目のように見立てると、ちょっとそういう見方になるよう頑張る必要がありますが、ほっほーなるほど確かに・・
このブログに何回も載せている鎌倉駅近くのレンバイと呼ばれている野菜の即売所。レンバイとは「鎌倉農協連協同即売所」だったでしょうかね?この日は日曜の正午頃だったかな、もうだいぶ売り切れてしまったか、そもそもこの日は並べる野菜が少ない日だったのか、いつもなら写真の右側にも奥に向かってもっとたくさんのテーブルが出て緑一色に大量の野菜が置かれているのですが。あるいは真っ赤なトマトが色を添えているのですが。 このブログに以前にも書いたかもしれないが、1990年頃にキューピーだったかカゴメだったかデルモンテか、どこの広告写真だったかもうわからないけれど、畑でいま収穫されたばかりの野菜を、その畑の土の上に置いて物撮りしたシリーズがあって、素敵な写真シリーズだった。物撮りというより野菜のポートレートですね。 いまはあまり広告の写真シリーズに目を瞠ることはないけど・・・ってこれは単純に雑誌を買うことが減った
一昨日に続き、6月7月にフイルムで撮った写真が続きます。写真を撮るときに仔細にあたりを観察するわけでもなく、森山大道氏おっしゃるところだと路上と私の擦過の瞬間を記録しているということだけど、写真になって改めてみて、出窓に置かれた可愛い人形の仔細を見たり、この出窓の建物はアパートなのかな?戸建て?と考えたりします。 街を歩いてみる。観光地でもなんでもなく、たまたまとある用事ができた初めていく町で、数十分かせいぜい一時間、歩くことが出来る。はじめてと言っても、同じ県内の、同じ都心への通勤圏内にある、駅の名前は知っている町。私鉄沿線の、普通しか停まらない駅のある町。 初めての町を歩いた午後にはピアノを練習する音が聞こえてきたり、別の町の別の日の夕方にはカレーを作る匂いが漂ってきたり、そしてまた別の日の別の町の朝には、きのう子供たちが白墨で描いた絵をアスファルトに見つけたり。それから、こうして出窓
あまりにカラーネガフイルムが高価になったので、デジタルカメラでは相変わらず月に何千枚と撮るけれど、昨年秋から再稼働させているいろんなフイルムカメラで撮る本数は月にフイルム二本(72枚)程度に低下せざるをえなくなり、デジカメで撮る枚数に対しては1/50~1/100になってしまった。そして撮り終わったフイルムを四本か五本溜めてから現像に出すので、撮ってから写真を見るまでに、長いとふたつき掛かっている。一見、負の連鎖ってやつに見えますね、すなわち、フイルム高い→枚数減る→撮った結果がわかるまで時間が掛かる→リアルタイム性を失う。ほかにも、失いますよ、すなわち「どこで撮ったかもう覚えてない」「撮った季節と今が違う」。この鹿の絵の写真、どこでしょう?覚えてないです。だけど、「リアルタイムではないから少し前を思い起こさせる」「どこで撮ったかわからないから場所の無名性が増してくる」「今とは違う季節が懐か
とうとう流行り病に感染してしまいました。このブログはここ1年半くらいかな、必ず毎日、ポストして来ましたが、すこし体調が落ち着くまで、出来れば二日か三日で回復したいものですが……お休みせざるを得ないですかね。 写真は今はもう廃止された、阿蘇中岳ロープウェイで噴火口駅まで行った2010年の写真です。霧の中噴火口などなにも見えないけど、観光客がやってきては降りていきました。その後の噴火や地震で、ロープウェイは廃止になったとのこと。 タクシー観光の運転手と客のおじさんと思われる二人です。霧と風でも噴火口に行ってみたい、理由があったのでしょうか?客は引退した火山研究の学者で、思い出を辿る旅の途上にあるのかな、ネクタイ締めてスーツ着て、昭和中頃までの観光客の服装みたいです。想像が膨らみます。
小田急線の代々木八幡駅近くの踏切です。 暑いですね・・・なんて書くこと自体、もう当たり前すぎて、書いてどうするんだ?という気がするくらい。そして、それ以上なにを書いていいのかわかりません(笑) むかしはこんなじゃなかった・・・という話が、どの世代からも聞こえてくる。これからの将来、むかしも今も夏はこんなもんだよ、と思うようになっていくのかもしれない「夏は当たりまえに35℃越えと思って育つネイティブ世代」は5歳か10歳くらいまででしょうか?だから本当は同じ××年代の「むかし」を思い出しているわけではないのに、珍しく、十歳くらい年下、ニ十歳くらい年下、三十歳くらい年下、の連中と話していても「むかしの夏はこうじゃなかった」ということでは意見が一致する。これはすなわち、ここ十年くらいに一気に暑い夏になっているということで、そのうち北極の氷が地中に冷凍して閉じ込めているガスが噴出しはじめると、もう人
スナップ写真における通行人の配置なんて、偶然でしか「絶妙」な感じにならないから、もうたくさん撮っておくしかない。そしてどこが配置として偶然的に面白いと感じる理由になっているのか?真ん中あたりに上下黒の服で後ろで手を組んでいてゆっくり歩いていそうな方、この方がここにいるのがポイントだと感じるが、では不足しているのは?これはもう工事現場の上の柵のあたりに歩道を見下ろしているような作業員の方などがいれば面白いかもしれないですね。なんて・・・偶然のことを話しているけど、以前写真家のAさんは、天才写真家の前にはいい瞬間が降りて来るんだよ!と言ってたな。 葉山の神奈川県立近代美術館では森山大道と中平卓磨が始まったようですね。早くみに行きたいものだ。 話変わって、先日、静岡県某所で行われた野外フェスに行った同僚から浜名湖名物夜のお菓子「うなぎパイ」をいただいた。あらためて個装されたプラパッケージに印刷さ
猛暑のなか、昨日16日の日曜に、清澄白河にある東京都現代美術館までその前日からはじまったデイヴィッド・ホックニーの展示を見に行きました。上の写真は美術館の地階になるのかな、一階なのかな、池と石のある庭です。あまりに暑いからか、あるいは導線として展覧会とショップの流れにないからなのか、あまり訪れる人がいない場所で、私はこの美術館に行くときには立ち寄ります。西日が水面にあたり、反射した光が天井でゆらゆら揺れるのは、むかしは神奈川県立美術館鎌倉だった坂倉準三設計の建物にもつながります。 ホックニー、1970年代80年代に渋谷のパルコなんかにはちょっと高価なポスターを売っている店があり(いまもそういう店はたくさんあるんだろうけれど、そういう店のある可能性のあるところに行かなくなったせいか、あるのかないのかわからないです)ポップアートの旗手としてホックニーがずいぶん売られていました。今回買った図録に
路面にある服の店のショウウインドウを男たちが立ち止まって見ている。たまたまの瞬間で、いつもいつもきれいにこうやって並んで見ている人がいるわけではないけれど、道路を走る車の音が聞こえ、アーケードの屋根に当たる雨の音もして、そんななか目的の買い物、それはコンビニに行って缶チューハイやビールを買ってくることかもしれない、そういう買い物の帰り道にちょっと立ち止まる。今日はたまたまこの道を帰り道に選んだから、誰かが見ていたので、つられて立ち止まったという人もいるかもしれない。写真を撮ったあとに私自身もショウウインドウを見たら、ビートルズの四人が写っている写真を使ったTシャツが目に入って来た。 二週間くらい前だったかな、早朝、通勤のために自家用車を運転していたらNHKラジオ第一からビートルズのイン・マイ・ライフが流れて来た。間奏のバロック音楽風で、チェンバロなのかピアノなのか?で弾かれるメロディを、一
雨の夜に車を運転していると、雨ではない夜や昼間に運転をしているときより、車の中にいる自分が、第三者のようだ。どこか少しだけ斜め上の空間に、置かれた映画用カメラが私を捉えていて、そのカメラを通して私を私自身が、覗き見ているように思える。右車線に並んで停まっているいると左車線を大きなコンテナトラックが走り抜けていく。このバイパスは結果として最後は右車線で走った方が早く到着するのだが、場所によっては左車線の方がより早く車が流れている。以前はそれを知って、場所により車線を変えてもみたが、もうそんなことはしない。到着時間にすれば一分の違いも生まれないに違いない。夜、帰り道、時間にもよるが会社から家までの所要時間は平均で75分くらいだ。大きなコンテナトラックは通り抜けると同時に盛大に水しぶきをあげ、フロントグラスが水を被るが、すぐにオートワイパーが働いて、前方視野を確保してくれた。そのあと、大きな雨粒
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