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mkcubic.hatenablog.com
「これ松本理恵なのでは?」と一部で話題の『ベイビーアイラブユーだぜ』。正直わかりませんが、言われてみると松本理恵っぽいですね。BUMP OF CHICKEN説が広く出回っていて、これまた言われてみると声が藤原基央っぽいので(こっちは多分間違いない)、そうなると本当に松本監督なのかもしれない。 ここの「リバーブ→コツコツ、サッ、パキッ」のリズムのフリクリ感というか、京騒戯画PV第一弾っぽさがそれっぽいですね。鏡のフレーム内フレームもまさにという感じ。 やたらとモブが画面を横切るのも、松本理恵演出の特徴。 あとこれ。こういうタイプのモブみたいなのは、鏡都のあちこちにいた気がする。八瀬の家にいたやつとか、フェムトの後ろにいたやつとかとも系統が近いかもしれない。 コアラのマーチのコアラ? こういうセンスも松本理恵さんっぽい(ハチ公のあれに似てる)。フレームを物理的に背景に置いてしまうあたりも。 あ
『宇宙よりも遠い場所』について言い足りなさみたいなものをずっと感じていて、なんだかもうどうしようもなくなってしまったので話を聞いてもらいました。私の拙い文章力では『よりもい』には敵わないみたいです。 第1話,第2話の画作りと青春 「どこか」から「南極」へ 決壊し、解放され、走り出す。淀みの中で蓄えた力が爆発して、全てが動き出す。 日向と報瀬、日向とめぐみ 「南極」が具体性を帯びるまで 「感染力」と「パーシャル友情」 9話,10話,11話の構成と佐山聖子コンテ 言うことなしの12話 「現実の中に奇蹟を追うこと」 「きっとまた旅に出る」 K:このブログを書いている人。浪人を経て某大学で文学とかを学んでいる。好きなアニメは『アイカツ』と『ARIA』。 T:Kの友人。某理系大学院でセンサーみたいなものを作っている。好きなアニメは『新世紀エヴァンゲリオン』と『〈物語〉シリーズ』。 第1話,第2話の画
朝食にフレンチトーストを食べるというだけのことで、際限なく話が続いてしまう。なんとなく手を背中に回してみたり、足の位置を組み変えてみたり、爪先を少しだけ曲げてみたりする。『リズと青い鳥』に描かれていたのは、そういう青春模様だったのだと思います。少しくうろ覚えではありますが、舞台挨拶で山田尚子監督が「“撮るよ”と言ったらきっと希美たちは隠れてしまう」というようなことをおっしゃっていました(一体この人にはどう世界が見えているんだ)。意図や解釈が介入してしまったら絶対に捉えられない瞬間を、90分のフィルムにギュッと閉じ込めている。その意味で、『リズと青い鳥』は本当に奇跡的な作品だと思います。 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会 そうして見守るような距離感で淡々と紡がれている本作ですが、全体的に被写界深度は浅く、一人一人の心情にもしっかり寄り添っています。この主観と客観のバランスがまたどこま
アニメでオリジナル作品をやる場合、監督、プロデューサー、脚本家あたりで企画を煮詰めて、ホン読み(脚本会議)でしっかりシリーズ構成を固めて… という作業を念入りにすると思うのですが、『宇宙よりも遠い場所』はその辺り、相当根を詰めて準備してきたのではないでしょうか。というか、実際いしづかさんと花田さんの2人でかなり念入りにシナリオを練っていたようで(『ニュータイプ』2017年2月号 84-85頁)、その丁寧な構成によって、『よりもい』はとてつもないフィルムに仕上がっています。 第4話、見慣れたカメラポジションで「不在」を強調 ©YORIMOI PARTNERS 第1話→第4話、これも同ポで「不在」を強調 ©YORIMOI PARTNERS コンテを発注する際に指示を出しているのか、上がってきたコンテに監督が手を入れているのか、それともただ単に各話絵コンテがすごいのか。そのあたりの詳しい制作工程
手描きとCGのハイブリッド方式はもはや当たり前になっていますが、基本的に「手描きと合わせても違和感が少ないCG」を省力化のために使っている、というケースが多いです。そういう場合、理想は「手描きに見えること」で、CGっぽさが残っているとどうしても浮いてしまいます。ちょっと前だと、CGを使うこと自体が「手抜き」と言われていた時代もあったような気がします。 そんな手描き至上主義の日本で、『宝石の国』は異例ともいえるほどのヒットを記録しました。日本式リミテッドアニメーション=「ANIME」の延長としての「CGアニメ」を作り上げたといっても過言ではありません。 と、ちょっと大袈裟な感じではじめてみましたが、ともかく『宝石の国』は、私が今までなんとなく敬遠していた3DCGについて考えるいい機会になりました。多分まとまった原稿にはならないと思うんですが、ここ数ヶ月「CGアニメ」についていろいろと考えてい
DAOKO × 岡村靖幸『ステップアップLOVE』MUSIC VIDEO 松本理恵さんの映像演出には、ジャンプカット*1・同ポジ*2の多用、フレームのある構図、ロングショットの絶妙な間の取り方等々、いくつかの特徴がありますが、映像と音の親和性が異常なまでに高いというのも特徴の一つではないかと思います。 この「映像と音の親和性の高さ」について、一つ興味深い言及があります。 といって幾分かうろ覚えではあるのですが、確か『京騒戯画』配信第一弾のオーディオコメンタリーだったと思います(DVD借りてきて確認します。すいません)。釘宮理恵さんがこんなことを言っていました。曰く、松本監督とはじめて会った時「釘宮さんは赤だと思うんです」と言われて、それでなんだか100%信用してしまった、と。言われてみると、松本理恵さんは、音を「色」として捉えているように思えてきます。 これはもちろん「松本理恵はシドバレッ
それでも… それでも、私は女王になって、私たちを隔てているものをなくしたい case2 Vice Voice 思えば、『プリンセス・プリンシパル』という作品を突き動かしてきたのは、上に引いたセリフに代表されるような、プリンセスの〈革命への意志〉とでも呼べるようなものでした。それは元を正せばアンジェの願いであったわけですが、もはやアンジェはそれを望んではいません。けれど、プリンセスは「カサブランカの白い家に2人で逃げる」というアンジェの計画を拒絶する。「少女たちのスパイアクション」は、実のところこのプリンセスの我儘からはじまっています。 〈革命への意志〉と書きましたが、プリンセスは「革命」という言葉を好んで使ってはいないようです。*1 ですから、ここでいう「革命」とは、端的に「隔てているものをなくすこと」の意味です。このプリンセスの志向する「革命」の在り方は、case24*2において、ゼルダ
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