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買ってよかったもの
morinonote.hatenablog.com
君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ 『万葉集』巻十五冒頭に収められた遣新羅使人の贈答歌の中の一首*1。天平八年(西暦736年)六月、当時、関係が悪化していた新羅国に向けて難波を発った一行は、翌九年三月、予定を大幅に遅れて帰朝しますが、新羅国との交渉においては捗々(はかばか)しい成果を挙げることもできず、大使の安倍継麻呂は、帰途、対馬で没するなど、その船旅は文字通り苦難の連続だったようです。 上掲の一首は、一行に加わった夫に贈った若妻の惜別の歌です。ただでさえ危険な船旅。しかも旅の目的に思いを致せば、これが今生の別れになる可能性も否定できなかったはずです。 彼女は、愛する夫がこれから泊まるであろう海辺の湊(みなと)に朝な夕な立つ霧に、万感の思いを託して歌います。この歌を受け取った夫は、吾妹子(わぎもこ)*2への愛しさで胸がいっぱいになったことでしょう。 最愛の妻からこんなにも
「……番線に、七時二四分発特別快速○○行きが参ります。黄色い線の内側に下がってお待ち下さい」 聞き慣れた駅の構内アナウンスが遠くに聞こえ、私はうっすらと目を開けた。いつの間にか居眠りをしていたらしい。七時二四分発○○行きと言えば、通勤の際、いつも使っている列車である。乗り遅れたらやっかいだ。 急いで起き上がろうとした私は、そこでようやく、自分が駅のプラットホームのベンチに横たわっていることに気がついた。 朝のラッシュ時にも関わらず、私のいるホームは閑散として、人影もまばらである。一方、向かいのホームは、間もなく到着する特別快速を待つ人々で溢れ返っていた。これが夕方のラッシュ時であったら、ホームの様相はまるで逆になっているはずである。 この状況から察するに、私はここで一夜を過ごしたらしい。恐らくは、仕事帰りに何らかの理由で引っかかったのだろう。酒に飲まれた記憶はないのだが、「記憶に無い」こと
夏休みが明け、二学期が始まっても、菜々の保健室登校は続いていた。南校舎の前庭として設られた、今はコスモスが千々に咲き乱れる花壇の後ろを抜け、くすんだ灰色の外扉を開けて、保健室のほの白い闇の奥に消えるまで、もはや誰一人として彼女を気にかける者はいない。 菜々の保健室登校は一学期の後半から始まった。もっとも、それまでのひと月ほどは完全な不登校状態だったわけで、その点からすれば、多少の進展があったと言えないこともないのであるが。 不登校のきっかけは、新学年になって早々、唐突に始まったいじめにあった。いじめの原因については、もはや当事者の誰も明確に指摘することはできまい。そもそもが、いじめに走った側の誤解だったのだから。 しかし、誤った情報をリークした元・友人らは、自らの勘違いを訂正することなく陰に隠れて、シカト・嫌がらせの輪は一気にクラス全体へと広がっていった。 担任は、保健教諭とも連携して、何
うっとりと流れるあの川の岸辺を離れて、どれだけの時が経ったのだろう。目の前に立ちふさがる青葦をがむしゃらに掻き分けながら、健次は思った。 最初はほんの悪戯心だった。兄の康太を追いかけて、春の日差しの中にぽっかり浮かんだあの白い河原から、永遠のように広がるこの葦原に飛び込んだのは。 前方から聞こえる葦の葉擦れの音を追いかけながら、健次は兄の後を追いかけているつもりだった。 「康ちゃん、康ちゃん」 だから何度も兄の名を呼んだ。しかし、兄は戻ってこなかった。健次は兄と逸れたことを認めざるを得なかった。 青葦の間を、泳ぐように、喘ぐように進みながら、健次はふと背後に迫る何者かの気配を感じた。思わずぎょっとして立ち止まると、追跡者も足を止め、こちらを窺うように息を潜めた。 追っ手の隙をつくように、健次は再び走りはじめた。前方から聞こえる葉擦れの音を追いかけ、背後から追いすがる何者かの気配から逃れよう
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