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naison1214.hatenablog.com
「あることを学ぶ意味を陶冶価値という。」(p.5) 改めて、国語の陶冶価値とはなんだろうか。著者でもある片桐先生は本書で「国語は言葉を学ぶ教科だ」「『言葉』そのものを扱っているのは国語だけだ。『言葉(=日本語、以下同義)の機能』『言葉の役割』『言葉の種類』『言葉の歴史』・・・を他の教科では扱わない」(p.116)と述べている。なるほどと思った。人間は言葉によって思考する。であるならば、言葉そのものを学ぶ国語は思考の基礎を作っていると言える。 言葉そのものを学ぶことが国語の陶冶価値であるならば、生徒が見せてくれるチャーミングな対話はどのようなものだろうか。これからの実践を通して確かめていきたい。なんとなく想像するのは、当たり前に使っている言葉を再考しているとき?伝えるべき言葉を探しているとき?うーむ。
くまのプーさんの言葉に「なにもしないことをする」というものがある。僕はこの言葉が大好きだ。 一般的に、「なにもしない」ことはあまりいいことだとは思われていない。「昨日なにした?」と聞かれたときに「なにもしなかった。」ではつまらない人間だと思われてしまう。それは「なにをしたか」がその人の属性の一部となる以上、仕方のないことである。手帳のカレンダーを埋めること自体が目的になっている人がいるように、常になにかをしていなければ自分の存在を確かめられない。それはラーメンズの「無用途人間」というネタに象徴的に表れている。(Youtubeにラーメンズの公演が載っているので気になった方は是非) プーさんのこの言葉は一見するとただの言葉遊びのようにも思えるし、サボるための理屈をこねているだけのようにも思える。しかし、「なにもしない」ということも一つの「する」ことであると教えてくれるこの言葉は、我々に救いの手
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