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パリ五輪
nekooto.exblog.jp
かつて私はずるずるに感傷的な人間だった。 感傷、嫉妬、自己憐憫、自己嫌悪、劣等感。 誰もがそうかどうかは知らないが、 若い日のコントロールできないナイーブさ、 そうしたネガティブな感情は いま思えば通過儀礼のようなものだったと思う。 そんな黒い感情にどっぷり蹂躙されていた中〜高校の頃、 執行猶予が解けた井上陽水の特集がテレビであった。 「なぜか上海」(1979年)が出た直後。 CFで「お元気ですかぁ」と挨拶する前の陽水は いまテレビやライブで見るような陽気なおじさんではなく、 まずめったにテレビに出ることはなかったし、 無表情をさらにサングラスで覆い、凍てついた感傷を歌う、 孤高感漂う恐いイメージの人だったのだけれど、 それはともかく、「センチメンタルな曲を歌う人」 というパブリックイメージがあった陽水が番組のなかで 「私はもうセンチメンタリズムを美しいと思わなくなった」 と答えていて、か
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