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昨日自転車で西荻〜吉祥寺〜三鷹台〜久我山とぶらぶら散策してみた。というか毎日仕事にとりかかる前にやってることなんだけど。 いま読んでる『回想の太宰治』の中に出てくる、まだ田舎だったころの三鷹に思いを馳せながら現在の武蔵野の写真を撮ってみた。 なんだかムカつくコアラ。なので有刺鉄線ナメで撮ってみた。 「くがやまほいくえん」だって。なんかいい。柵の飾りは園児たちによるものなのか。ポップだ。 なにか工作のためなのか。同じような穴を開けた石ころがいくつか捨ててあった。 営業中だけど店主はいなかった。 玉川上水沿いには舗装されていない散歩道がある。そこをおばちゃんが、寄り道しようとする犬を叱りながら散歩してた。 ちょっと『CURE』に出てくる廃墟っぽくない?
親を食う子。 黄色い家。
これって有名なの? 中野坂上で打ち合わせをしたあとぶらぶら散歩してたら、とある建物の外階段がとってもキュートだったので思わず写真を撮ってしまった。 ちゃんと階段の横の壁も翼としてデザインされている! そのあと、こんなもの発見した。 「民」が押しつぶされている……。
さっき駅前の美容院の前を通ったら、こんな看板が……せ・ん・り・つ!
今日もその少女は焼き芋を売っています。その芋を食べたものはみな皇居に招待されるんだよ、という育ての父親の話を信じて。 けれど、誰も振り向いてはくれません。 「おいしい、おいしい焼き芋ですよ……」 声がかすれがちになるのは、もう数日なにも口にしていないからだ。 「お前のような育ちの悪い子は、こんな高貴な食べ物を口にする資格はないんだよ!」、そう女将さん(a.k.a.相田ショウコさん)は仰っていたもの……。商品に手をつけるような意地汚い真似はできない。 この少女は、西西荻窪(a.k.a.吉祥寺)で今日も焼き芋を売っているのです。 少女の名前は鈴木サチコ。みなさん、おぼえてあげてください。彼女は関東地獄地震の犠牲者の一人なのです。 以下に参考リンクを貼っておきます。 http://d.hatena.ne.jp/ayakomiyamoto/20080306#p1 http://d.hatena.n
昼間、仕事に煮詰まると近所の公園に自転車で行く。あったかくなってきたしね。井之頭動物園は年間フリーパスを買ったので、しょっちゅう行っている。昼間、動物園のベンチで文芸誌を読んでるおっさんがいたら、俺だね。あとは善福寺公園。ここは人が少ないから静かでいい。 自分とナカヨシー。 夫婦でナカヨシー。 異種間でナカヨシー。 ちなみにシロクロサイチョウは、もともと千葉県の南房パラダイスで飼われていたんだけど、繁殖のために西荻の隣の吉祥寺(つまり西西荻)にやってきたんだよ。
最近『エンブリヲ』ってマンガを買ったんだけどさ……。 エンブリヲ 1 (1) 帯の惹句が「人類優位の最後。」ってあって、「生物學(バイオロジカル)ホラーの傑作」って紹介してるから、ワクワクして家に帰ったんだよ。 そしたらさぁ……。 登場人物の名前を以下に列挙します。それで俺の気持ちを察してください。 布良衿子 三里塚宗吾 勝浦透 鴨川尊志 麦丸 香取裕美 安房俊吾 成田 多古 布良麻菜 市原 大喜多 我孫子 葛西 久留里 すべて本当です。 大きな地図で見る
もう一週間ほど前のことですが、また酷い酔い方をしてしまいました。ありえない人格の壊れ方して、立ったまま店の中で吐いた。わたし内ルールで、たとえ泥酔してもやっていいことと悪いことがあって、お店の人に迷惑をかけるのは一線を越えるダメなことなので、それをやったのは肉体的ダメージより精神的ダメージがデカかったです。ほんとに周りの方にはご迷惑かけてすみません・・・。心配していただいた皆様、ありがとうございました。 http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20080207#p2 俺内ルールでは、トイレではいいけどフロアでは吐かない、っていうのがあって、これは24歳過ぎてからは、今のところ守られているっぽいです。(微妙に記憶が定かでないい時があるのでぽいというのがあれですが。) http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080207#p1 そうですね、俺の
友人たちがパフューム好きになるのをそばで見ていると、なんか変な宗教にかぶれ始めたようにしか思えず、「奪還」したくなってくる。いや、なにを好きになろうが勝手だけど。 ただ、今後、彼女たちの方向性が以下のように変われば、俺も好きになる可能性は大。 天狗のお面をかぶる。 笑い声が「ギョギョギョギョ」と聞こえる。 多摩川べりで石を売り始める。 ダンスの最初のポーズが、上半身裸で左腕を押さえた格好。 曲のタイトルが「病院はどこだ!」。 そんな彼女たちは、実はまだ二階にいるのです。
大晦日の昼間から咽喉が痛くなってきて、正月はずっと寝込んでた。風邪です。 というわけで、ずっとほったらかしにしてた本を二冊読んだよ。 『荒野へ』は、ショーン・ペンが映画化したということで今後話題になるのでは? 監督としてのショーン・ペンは本当に素晴らしいので、いまからとても楽しみなんだけど、この本自体とても興味深く読むことができた。 「そういうふうにしか生きられない生き方」というのは、実際にある。文明から遠く離れて生きることを決意した若者が、アラスカの原野に分け入って、そこで得られるものだけを口にして生きようとして、そして死んだ。 その事実が報道されたとき、多くの人たちは「無謀な若者の愚かな行動」と彼をさげすんだ。例えば狩猟を生業とするような人たちはことさら、そう批判したらしい。もしもそういう生活をするのならば、それ相応の準備や知識・知恵が必要であるのに、死んでしまった若者にはそういう自覚
ここのところずっと聴いている曲がある。HOSEというバンドの「Piano」という曲。深夜、飲み屋からの帰り道、俺はiPodに入れたこの曲をなるべく大音量で聴くことにしている。最近では、ふと口ずさんでしまうこともある。そうやって口ずさむことで、俺は自分もこの曲のコーラスに参加しているような気持ちになる。 歌詞の一部。 すがる杖もなく 空を飛ぶ羽根もなく しゃがみこむ床もなく もたれかかる壁もない もしも世界があるのならば 人型のかたまりが ある体積占めるほかに 存在する意味はなに? そして僕らは消えてゆく 限られた時間をへて たとえピアノが弾けたとて 死はひとしく訪れる 感傷的な歌詞だよね。でもね、この後に訪れるクライマックスに、俺は不意打ちを食らったんだ。 「るるる〜」とスキャットが続く。すると、突然誰かがスタジオの床を踏みしめる音が聞こえる。それは「かそけき」と表現したくなるような音だ。
どんな死に方をしたいか、という話を昔友人としたことがあった。そのときに俺が語ったのは、次のようなシチュエーション。 飢えて気が荒くなっているライオンが俺の背後にいる。 俺の前方100メートルには、そこまで辿り着けば助かるゴールがある。 さて、俺とライオンとの距離が問題だ。 その距離Xは、俺が人類最速のスピードで100メートルを走れれば助かる、という設定になっている。 つまり、(100メートル+X)の距離をライオンは9秒台後半で走破する、ということ。 ぎりぎり。 というか、確実に俺は死ぬだろうな。 それでもやる。やらなければならない。自分の持っている体力すべてをそこに投入して、その自分でできる努力以外のことはすべて天に任せるだろう(もしかしたらライオンが転ぶ、という可能性にだって賭けるかもしれない)。 想像しただけで、膝が笑ってしまう。 俺は私生活で一切賭け事をしないんだけど、自分にとってギ
今月号の「文學界」、佐藤優の「私のマルクス」を読んでいて(井之頭動物園のヤクシカの横のベンチで)、思わず声を出してクスクスと笑ってしまった。なんだか変なユーモアが漂っていると感じて、これはどんな種類のユーモアなのだろうと考え込んでしまい何度も読み返しているんだけど、まあ面白いのだからそれでいいのかな。深沢七郎みたい、などと言うと褒めすぎだろうか? でも佐藤優って人の文章には、生真面目な顔ですごいくだらない駄洒落を言っている空気を読まない人、っていう雰囲気(真意を図りかねた聴衆がポカンとあっけにとられて間抜けな表情を浮かべる様が想像に浮かぶ)が漂っていて、俺は好きだ。 ロシアのキリスト教の一派、「分離派」についての説明がある。17世紀のロシアで、宗教改革に従わなかったグループなんだという。で、このグループ、ロシア皇帝に弾圧される。 分離派の指導者だった修道士アバークムは火あぶりになった。炎の
酔っ払ってのエントリーだし、もともと映画が終わった瞬間から冷静じゃないから、許してくれ。でも、今夜書かないといけないんだ。 俺、今日、夕方17:10から六本木ヒルズで『グラインドハウス』を観たんだ。 二本目の『デスプルーフ』、半端ない傑作だった。でも、でも、これだけを観ても駄目だ。昔、映画館で一日過ごして、ドヨーンとした気持ちになることがよくあったけど、その最後の時間に奇跡に出会う感じ。 ああ……そんなこと言いたいんじゃない。 例えば。 昔、東京ファンタスティック映画祭で『オペラ座 血の喝采』(@渋谷パンテオン)を観たとき。突然ロビーでアルジェントのサイン会が始まったこと。 例えば。 昔、一回だけあったファンタゾーンというイベント(@シネマミラノ)で、ヘネンロッターのサイン会が急遽ロビーで始まったこと。 あるいは。 14歳のときに出会ってしまった『悪魔のいけにえ2』(@新宿アカデミー)の監
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20070829#1188356432 え? バタイユ読んでる(知ってるだけでもいい)女のほうが、話がはやくていいじゃない。 と、思ったのも、こんな思い出があるから。 俺が大学生になった年だから……いまから16年前(うわ、もうそんな昔か)。サークルのたまり場には俺ひとりしかいなくて、暇つぶしに文庫本を開いていた。そこに、仏文の先輩がやってきた。ショートカットの似合う、すっげえ可愛い先輩だった。俺、ちょっとどころじゃなくて、その先輩のこと好きだったんだよな。だから、俺は自意識過剰になってしまって、読んでた文庫をサッと隠したんだ。ほら、読んでる本を知られたくない、っていう自意識ってあるじゃない。でも、その先輩はすかさず俺が本を読んでいたのに気づいて、「なに読んでるの?」と訊いてきた……。で、以下のやりとりがあった。 俺「あ、ええと、(う
あるいはスーパーフリーハグ。 ぬくもりは、ぬる燗だけで結構です! 殺伐とした人間関係こそ人類の未来! ハグしてる連中を見かけたら、槍で突き刺して、二度と離れなくしてやればいい! ……「って深町先生なら言いかねないよなー」って村長が言ってたよ(千葉→西荻直通電波で。ホント、毎日毎日僕の頭に直接電波を送ってくるのはやめてください。ヒリヒリするから歌を歌うしかなくなるじゃないですか。これ本気の九条苦情ですよ。もうこんなことはやめたまえ! なんか苛々してきた。ナタでも磨くか……)
忘れないように口ずさみながら帰ってきたら、夜道で警官ににらまれた。 著作権フリーです。
パリがフランスの西荻なんだと思う今日この頃ですが、クーラーのない生活はきついですね。セーヌ川(a.k.a.善福寺川)沿いを散歩しながら考え事ばかりしているよ。 なにを考えてるかって? 新しい小説のこと。次号の「習慣プレイボウイ」に掲載する予定の、『半島は出たけれど』っていうタイトル。千葉島の生活に不満を持った自衛隊員が、テロリストとして東京ドームを占拠するんだけど、その要求が「野球中継でドラマの時間をずらすな」とか「ビートルズを再結成しろ」とか、なんだかパッとしないものばかり。 というところまではすでに執筆していて、このあとの展開なんだけど……。 一応、ノートにはこんな感じでメモしている。 テロリストの息子がいる。 息子はお父さんを尊敬している。 お父さんが、説得に来た村上龍にペコペコしているのを見て、息子がっかり。 息子、家出。 ラスト。なにかないか? 派手に。千葉島、飛ぶ? で、いい案
イモノヒトってモブノリオみたいだよね。なんでこんなペンネームなのかな。 でも、俺はイモノヒトが書いた処女長編『はてな式渇き』を読んで、感動しちゃったね。 荒涼とした読後感。このせつなさを言葉にすることはできない。ただ、『はてな式渇き』を読んでくれ、としか言いようがないのではないか。しかし、それでは感想にならない。なんとか頑張って書いてみよう。 主人公・地矢倶牟男は、大学中退後、小説家になるという夢を持ってフリーターを続けている33歳の男。一歳年上の恋人・鈴木早智子とは、29歳のときに別れた。「ごめん、私やっぱりわがままな女かもしれない。もう待ってられないの」というセリフは確かに陳腐ではあるけれど、このキャラクターが精一杯偽悪的に振舞おうとしているという心情を思うと、やはり泣けてくる。別れたくはなかったのだ。主人公が、なりふりかまわず彼女を引き止めて、小説家になる夢をあきらめたら……おそらく
ライフ八苦って、なんだろう。最近、その言葉を口にする人が増えている気がする。それで、近所の物知り博士に聞いてみたよ。 俺「博士、ライフ八苦ってなに?」 博士「人生は苦しみに満ちているよなー。八苦とは、四苦(生老病死)に加えて、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦が加わった苦しみのことだよ」 俺「難しいね。どういう意味?」 博士「後半の四苦の意味は、ウィンクの解散とか鈴木早智子の日記がなくなってしまったこと、深町なんとかとか西荻なんとかとかそういうのに絡まれること、アンテナの数が思い通りに増えないこと、アンテナ数・被ブクマ数・はてなスター数・被RSS登録数・アクセス数に執着することによる苦しみで、人間として味わう精神的な苦しみのことをいうんだな」 俺「大変ですね」 博士「はてなユーザーであることも大変だってことだ」 俺「じゃあ、ライフ八苦っていうのは……」 博士「選挙にも行く精神的余裕すら
先週の『習慣プレイボウイ』での一番の話題は、編集長の布袋氏が、芥川賞作家の町田氏の連載を強制終了させるために殴りつける、という事件だった。通常であれば「町田先生の次回作にご期待ください」という編集部からのメッセージがつくところ、「町田先生の小説が読めるのは『習慣プレイボウイ』以外だけ!」とあったのには、驚きを通り越して、吹き出してしまった。 それにしても、布袋編集長が、町田氏を殴って、自らの拳を痛めたことについて、「作家の手を傷つけさせるわけにはいかないから、俺から先に手を出したんだ」とコメントを出したのには、俺も少しだけグッときたね。 ところで、最近『習慣プレイボウイ』の連載が大量に打ち切りになっているのはどういうことなのだろう? 連載をずっと楽しみにしていたヘミングウェイ先生の『部屋と老人と海』までも……。寝たきりの老人が部屋からどうやって出るのか、ハラハラしていたら、まさか建物ごと動
最近、友人が西荻に引っ越してくるというので嬉しくなって話をきいていたら……途中で思わず顔を曇らせてしまって……「どうしたの?」と友人が尋ねるから、渋々答えたよ。 俺「だって君が引越しで利用する業者は、『芋のマークの引越しセンター』でしょ?」 友人「ああ。見積もりしたら、都内で一番安かったから……なんかまずいの?」 俺「まずいよ! まずね、この時期だと、壁紙が丸川珠代にされるよ」 友人「(きょとんとした顔で)え……だって……内装業者じゃないでしょ」 俺「あのね、あの業者は、表向きは通常の運送屋と変わらないけど、実態はカルトなんだよ」 友人「カルト? カルトって言ったら……セックス教団?」 俺「その通り。薄幸そうな美女のポスターばかりを集めて、老人たちがひたすら夢精する、そんな教団なんだよ。モットーは『薄幸一宇』っていうから、なにをかいわんやだよ」 友人「でも、だからって、なんで俺んちの壁紙が
昨日は『ギャンブラー』。劇中、若い兄ちゃんが女を買いに来て、その後撃たれて死ぬ。この死にざまが、「無意味」であったのに動揺した。人の生き死になんて、そもそも意味はない。そうなんだけど、人はそう簡単に意味から逃れられない。 例えば、大概のスラッシャー映画では、犠牲者は「殺され方の見本」という意味に満ちている。人体はこんなふうにも破壊できますよ、という意味。大きな音だったり、殺されるタイミングだとかで、観客はびっくりさせられるけど、死そのものには動揺しない。だって、人がたくさん死ぬ映画だと期待してるんだから。 『ギャンブラー』のあのシーンで俺が動揺したのは……なんでだろう。凍りついた池のそばで、まだ少年という風貌の若者が、氷の上にある瓶(?だった気がする)を的にして銃を撃っている。が、的には当たらず、氷に穴があく。「氷を砕いて、瓶を浮かすんだよ」などと言い訳をして、更に銃を撃つ。鼻っ柱は強いけ
忙しすぎて、ブログの更新などできません。GWもありません。そんな俺だけど、近所のパトロールは怠らない。 飼っているインコが失踪したようですが、なになに……。 「むかし、むかし…」と話すと興味津々に寄って来ると思います。 …… …… もしもね、俺が道端で「むかし、むかし」と喋るインコを見かけたら、「え? むかしなにかあったの?」と興味津々に立ち止まると思うけど、なにも喋らないインコに向かってわざわざ「むかし、むかし」なんて喋りかけないと思うんだよね。 忙しいからね。 ホント、なんとかして欲しいよ。
だってさ、例えば商店街のイベントで、アニメのキャラクターの着ぐるみを見ても、「本物だ!」とは思わないでしょ? 子どもの頃、西荻北口の東京ガスのガス展に行くのが楽しみだったんだけど、それは、そこでゴレンジャーショーがあったからなんだよね。本物のモモレンジャーに会えるんだよ!(ちなみに、いまでもショーの内容をおぼえている。モモレンジャー役の女性(まだ生身ね)が、悪役に縛られてベルトコンベアーに乗せられ、倉庫の後ろに連れて行かれる。と、なにか悪役にとっての不測の事態が生じて、さっきの女性がモモレンジャーに変身して舞台に再登場! 俺、小学生低学年だったと思うけど、俺の性の目覚めってこのショーだった気がするんだよね)。 一方、ドラえもんショーとかに行くと、着ぐるみののび太がいたりして、「それって、頭でかすぎじゃん!」とか腹が立って仕方がなかった。 結局、今でも実写作品が好きなのは、「現実と区別がつか
思いついたことを、携帯の送信メールにためるようにしている。 でも、思いついたままで、放置した結果、俺の携帯には無数の意味不明な未送信メールがある。今夜はその一部を、紹介しよう。 吊り橋をたたいて渡る。 まあ、これぐらいは、当時なにを考えていたか理解できる。 メツブシ銀行 なんだろうこれ? ……あ! 三菱銀行とかけたんだ。でも、だからなんだというのか。 モンキーバナナワニ園 ああ……。 縄文式勃起 ……。 次が理解不能。 里子つんでれ 千葉の人のことはこう呼ぼうと思う。 知恵ススミ で、そういう人は、こういう金儲けの手段を考えるかもしれない。 逆日照権 これは以前使用したネタだろうか? そんな気がする。 お前のiPodってオートリバース? これらのネタを、面白おかしく展開してくれるのは、おなじみのこちらのサイトです。
最近の『習慣プレイボウイ』で楽しみなのは、「知られざる戦後の高校野球」という連載記事だ。特にここ数回は、1974年度の春の選抜高校野球での、千葉島代表・鴨川示威世界高校と東京代表・立川侍高校との試合をフィーチャーしていて、これが単なる高校野球史を超えて、関東地獄地震の悲惨さを伝えるものになっていて非常に興味深い。 当時、千葉島の高校球児たちには野球用具が圧倒的に不足していた。関東地獄地震による物資の不足だけが理由ではなかった。モヒカン賊の横行である。「生存すること以外に優先されることはない」という正論だけを身上としたモヒカン賊たちは、暴力こそが千葉島を支配する論理であると考えていた。『人の命は等価ではない。強い命だけが地上に残る。当然、生命を維持する食料は、等価交換されるものではなく、圧倒的な暴力によって自らの命の優位を示したものだけが手に入れるべきなのである』(『モヒカン賊宣言(モスクワ
ほら、ブログをはじめてすぐって、トラバを送ったりするの怖いじゃない? 特に相手が人気ブロガーだったりすると。 そんなあなたに、「初めてのトラックバック」のちょっとしたテクニックを教えます。 千葉島に関する妄想を、無責任に書く。 そして、「ああ、なんだか、書き始めは盛り上がったけど、なんだかネタが展開しないなぁ」と思ってみる。 「続きはこちら」と、id:throwSに石つぶてのように放り投げる。 さあ、これであなたも圧力団体認定がもらえます。
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