オリンピックや世界選手権でフィギュアスケートの演技を見ていると、ときどき採点に違和感をおぼえることがある。すばらしい演技だと思ったのに、意外に点がのびない場合である。 テレビの解説者が、その理由を説明する。あのジャンプは回転不足だった、ステップで正しくエッジが使えていなかった、スピンの軸がとれていなかった、等々。こちらは納得しつつも、素人目にはよい演技にみえたのに、専門家というのはずいぶん感動に水をさすものだという不満が残る。 クラシックの演奏にも同じようなことが起きる。フィギュアスケートでは素人だが、クラシックではこちらが専門家だから、反対の立場になるわけだ。 4月12日、フジコ・ヘミングのリサイタルに足を運んだ。2006~7年に文芸誌『すばる』の依頼で何回かコンサートを聴いて以来だから、ずいぶん久しぶりである。 そのときの記事が5月刊行『ピアニストたちの祝祭 唯一無二の時間』(中央公論