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都知事選
ossanmeisocyu.hatenablog.com
約1ヶ月ぶりのブログ更新となりました。 この間は、仕事が忙しくて、疲れが溜まってはいるものの、気分が落ち込むなどの鬱症状もなく、過ごしていました。 そんな中、良い変化を感じていました。 8月、9月は、コロナの影響で職場では、濃厚接触者になってしまい休む同僚が絶えませんでした。そんな状況下で職場では、コロナ対策が強化されたこともあり、入所されている利用者さんにもストレスが溜まっているのがよく分かりました。 コロナの影響が少しだけ落ち着いて来た8月下旬頃…利用者さん達の表情が暗い事に気付きました。 そこで…もともと折り紙やら手芸やらが得意なわたしは、折り紙でコスモスの花を作って見せました。 そしたら、利用者さん達の目の色が変わってきて…コスモス作りが始まりました。 それと同時にネットで見つけた『赤とんぼ』作りを始めると、これまた作りたいという利用者さんが増えてきて…食堂や廊下にコスモスと赤とん
2度目の社会復帰から4か月が経ち、新年を迎えると、わたしの周りが動き出してきました。 自分の中では… 「やっていけるのか?」「大丈夫なのか?」と言う不安と、 「もっとやれるはず…」と言う気持ちに毎日振り回されていました。 そして、主治医からのアドバイス「無視しすぎない」「今までのような仕事の仕方ではダメ」と言う言葉が、さらにわたしを空回りさせていきました。 そんな状態で新年を迎えると、「主任をやらないか?」と言う話が出てきました。 「自分の頑張りを認めてもらえたのかな…」と少し嬉しくもありましたが、現状では毎日が精一杯。 そして、自分自身がまだまだ、病気をどう理解して、自分をどうコントロールすべきなのかなど、どうしたらいいのか分からず… 主任を引き受けるなんて無理だったので断りました。 どうやら、当時主任をされていた方が体調を崩されていたらしく、フォローして2人でやって欲しいと言う理由もあ
鬱病4年目のお話です。 年末年始を自宅で過ごしてみて、鬱病が再発しなかった事。 一度実家へ戻ったけど、2週間お試しで自宅で生活して大丈夫だったので、1月末頃から自宅で生活するようになりました。 この頃は、父の仕事の手伝いを週3回ほどしていますが、仕事の前夜は必ずと言っていいほど眠れていません。 その代わり、仕事がない日は長時間眠っていることが多いです。 9時間10時間は当たり前のように眠っていたようです。 記録を見ると、『無理しないように』『体を休めよう』『考えすぎないようにしよう』と意識していることが分かります。 でも、自分では意識していても、なかなか思うようにはいかなかったようです。 鬱病3年目から始めた記録には、以前ブログに書いたように自分のエネルギー値を記入していました。 詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com その日の朝の体力
今日から職場復帰しました。 昨夜も、そして今朝も、嘘のように心は落ち着いていました。 「今日はエイプリルフールだから、落ち着いているのも『嘘』なんじゃないかな?」 「仕事行くのも『嘘』なんじゃないかな?」 そんな冗談を言えるくらい余裕がありました。 昨夜見た夢に、わたしが最も苦手な人が出てきました。 それは、わたしが初めて務めた施設の施設長。 今までも、鬱がよくなってきて、そろそろ就職活動をしようかと言う頃になると、その施設長の顔が頭に浮かび、呼吸がしにくくなったり、胸がギューっと痛くなったりしてパニックになることがありました。 それ位苦手な人です。 まぁ、この方とも色々とあったので…。 そんな施設長が、夢の中で廊下の向こうから歩いてきました。 「あ、やばい…」 と思ったら、施設長が、 「がんばれよ」と笑顔で声をかけてきた夢でした。 目が覚めてからも何となく、気になっていました。 そして、
明日から仕事復帰です 気持ちは、妙に落ち着いています。 今までだったら、1週間から10日くらい前からイライラ、モヤモヤが止まらなくなって、呼吸が上手くできなくなって、どうにもならなくなるのだけれど…。 今回は、落ち着いているというか、静かと言うか…自分でも不思議な感覚です。 この感覚になったきっかけは、カウンセリングで「自分を変える」という表現に抵抗がある事を話した時に、「自分はそのままで、余計な荷物を下して楽になる」と考えてはどうかとアドバイスをもらった事でした。 そして、「仕事に対する思いや考えまで変えることはない」と気づいたことが大きいです。 詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com 不安がないわけではないのですが、今は不安が出てきても、すぐに消えてくれます。 「生きてりゃ不安もあるさ」 何て思えるようになりました。 わたしが抱えて
鬱病3年目の春から自分のケアプランを作って記録を付けるようになりました。 詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com その頃の自分を振り返ってみようと思います。 この頃のわたしは8割方、実家で生活していました。 週末自宅へ帰って、日曜日の夜、妻が実家まで送ってくれる…そんな生活でした。 今思えば、この頃も鬱で頭が働いていなかったと思います。 常に頭の中にモヤがかかっているような感じだから、何となく頭が働かない。 すばらしいアイディアが浮かんだと思っても、どこか抜けていたり、忘れてしまったり…。 その癖、イライラモヤモヤには敏感に反応する感じです。 その為、大切な事や注意事項を忘れないように、色々と調べてEvernoteを使って、パソコンとスマホでケアプランなどを見れるようにしていました。 当時はまだスマホも出始めだったので、今ほど使い勝手が
前回の記事から随分と間が空いてしまいました。 2月の初旬に3回目のコロナワクチン接種をして以降、どうしても気力が湧きませんでした。 早く職場に復帰したい気持ちと、また同じように鬱が酷くなってしまうのではないかと言う不安に、気持ちが揺さぶられていました。 そんな中でも、ノートで自分と向き合いながら『仕事で頑張ってきた自分を認められない』事に気付いて、今まで自分が仕事でやってきた事、周囲から評価してもらった事などを書き出したりしていました。 詳しくはこちら↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com 3月に入って少し気力が戻ってきたかなと感じましたが、3月初旬の診察で、主治医からは「今の状態ではまだ仕事は無理ですね」と言われました。 一方、カウンセリングでは、「仕事で頑張ってきた自分を認めてあげることは良い事だけど、目を向けるのは子供の頃の事」とアドバイスを貰いました。 (
今回は、鬱病3年目の頃のお話です。 鬱病1年目、2年目はこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com ossanmeisocyu.hatenablog.com 鬱病2年目のお正月。 自分では「もう大丈夫」と思っていましたが、実際は思っている以上に「大丈夫」ではなかったので、またまた実家での生活も2年目に突入しました。 1年目同様、平日は眠り続け、週末は自宅へ帰る日々を繰り返していました。 しばらくして、実家で頼まれた買い物にも行けるようになりました。 この頃も、人に会うと目が回っていました。 そんな時に、 「これじゃ、また同じ事繰り返しちゃうんじゃないか…」と考えるようになりました。 そこで、意を決して大型書店へ行ってみることに! 「何かヒントがあるのでは?」と思って、鬱に関する本を読んでみようと思いました。 この時、ほんの少しだけ、病気と向き合おう
3回目のコロナワクチン接種も終わり、副反応もバッチリ(?)ありましたw その後も、何となく体が怠かったので、ちょっとブログをお休みしていました。 そんな中、以前に比べると大分マシなのですが、小さなモヤモヤが代わる代わるやってきました。 (ここで言う「以前より大分マシ」は鬱状態が悪化していないという意味です…念の為) 小さなモヤモヤ達の正体は、仕事復帰への不安であることは分かっていました。 「仕事へ復帰しても、今までのようにやれるのか?」 「仕事を忘れてしまっているのではないか?」 などなど…。 そんな中で、特に多く顔を出すのが、苦手な同僚の事でした。 モヤモヤが出てくると… 「未来の事はやってみなくちゃ分からない。」 そう思う事で一旦はモヤモヤが消えるのですが、また何かの拍子に顔を出してくるのです。 主治医からは「休職期間中でも、状態が良ければ、仕事に復帰してもOKという診断書を書きます」
前回、前々回と鬱になってからの迷走っぷりをお話ししました。 ossanmeisocyu.hatenablog.com ossanmeisocyu.hatenablog.com この頃のわたしは、現実を受け止めることができていなかったと思います。 壊れてしまった自分にショックを受け、 「どうなっちゃうんだろう…」という不安と 「とにかく、早く働けるようにならなくては…」という焦りから 早く何とか元の自分に戻らなきゃ と思っていました。 主治医には、思うように眠れない事をはじめ、次々出てくる症状を、その都度報告していました。 でも、毎度返ってくるのは、「う~ん。この薬で落ち着くはずなんだけどなぁ~」でした。 そして「もう少し強い薬にしてみましょうか?」と言われ、徐々に薬が強くなっていきました。 カウンセリングでも、「まずは良く寝て体を休めましょう」という事と、症状が出た時の対処法のような話ばか
主に実家で過ごし、週末は自宅へ帰る…そんな生活を2年くらいしていました。 今回は、実家暮らしの1年目のお話です。 (この頃の記憶も断片的です。覚えている範囲でお話しします。) その経緯はこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com 実家では殆ど寝ていました。 今思えば、「人ってこんなに眠れるの?」ってくらい…死んだように寝ていました。 あとは、身体中が痛かった…特に腰痛が酷かったです。 当時の私は… 午前中にトイレに起きると「ご飯食べなさい」と母に言われて、食べたら薬を飲んで寝る。 また昼過ぎにトイレに起きると「ご飯食べなさい」と母に言われて、食べたら薬を飲んで寝る。 18時頃トイレに起きると『お風呂に入っちゃいなさい」と母に言われ、入浴。 夕食後、薬を飲んで、妻とメールしたり電話したりして、22時半位にまた寝る。 ちなみに、目が覚めず、夕方まで寝ち
はじめて『鬱になった』職場は、2ヶ月位で職場との話し合いで退職しました。 理由は… 就職たばかりの為、休職期間を長く頂けない事。 そして、わたしの鬱状態が、良くなる兆しが全くなかった事。 これらが原因でした。 上司との話し合いの席では、ただただ申し訳なくて涙が止まりませんでした。 退職後… それまでの『仕事へ対しての不安』は、今度は『無職』となったことへの『焦りと不安』に代わりました。 『無職』となったことで、今まで以上に『世間の目』と『将来への不安』がわたしを襲い、怖くて仕方なかったのを覚えています。 そんな中、『雲の切れ間から光が差してきた』様に感じました。 詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com すると、不思議と『治ってきた』と思うようになり、少しずつ自分を試しながら、『大丈夫な自分』を確認していました。 そして『大丈夫な自分』を
初めて休職して、殆ど眠れない状態の頃の話です。 当時、時々少しだけ、何とか眠ることができると、おかしな夢を見ていました。 最初に見たのは、わたしが小学生の頃になくなった伯父の家を、子供の頃のわたしが歩き回っている夢です。 子供の頃のわたしが、伯父の家を歩き回っている…VRみたいな感じでしょうか。 あちこち歩き回って、TVの前に座っている伯父の膝の上に座ると、TV(わたしが子供の頃なので、大きなブラウン管のTV)の上に置いてある将棋の王将の置物を見上げます。伯父の膝の上で「ヒゲがチクチク痛いな」なんて思っていると目が覚めます。 それからの夢は、日替わりで、わたしの周りの亡くなった方が次々と出てきました。 亡くなった弟はもちろん、祖父母や、子供の頃よく遊んでもらった父の友人まで。 見た事あるような場所だけど、何か違うような…そして全体に薄っすらとモヤがかかっているような感じの夢でした。 何だっ
最近は、一日の大半を穏やかに過ごせています。 こんなに楽な気持ちで過ごすのは、初めてかもしれません。 それでも時々、仕事へ復帰した時のことを、無意識に予測していることがあります。 以前にも書きましたが、未来の事をネガティブに予想して不安になる事が癖になり、その結果、鬱が酷くなることが多々ありました。 それでも、以前に比べると随分と「軽傷になってきたのかな」と感じています。 モヤモヤと予測が始まったら、「またやってるぞ~」「やってみなきゃわからないじゃない」って自分に声をかける癖を付けています。 また、『ノート』に書いて自分と向き合うことも続けている為か、モヤモヤが出てきても、すぐに消えるようになってきました。 詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓ ossanmeisocyu.hatenablog.com そんな中、考え方と言いますか、物事の感じ方が変わってきたように感じています。 以前は、闇
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