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買ってよかったもの
pooh-taro.hatenablog.com
人生においてやる事が無い。 そういった虚無感を抱えながらも 日常は過ぎて行く。 マラソンランナーで言うならば、 僕はある意味走り終えた人間。 いや、リタイアしたのかもしれない。 とにかくレースには参加していない。 果たして、僕に何ができるだろうか? 最近はブログが楽しい。 言葉を扱う事に何か生き甲斐を 感じている。大袈裟かもしれない。 本気でそう感じている。 走り終えて旗を振っているのか? それともリタイアして見守って いるのか?そもそもレースには参加 せずに誰かを見守っているのか? 色々と考えてしまう。 僕の出した答え。それは僕は 普通のランナーでは無かったと言う事。 【人生をマラソンに例えるなら】 僕はマラソンという競技の中で 何を担うのか?きっと、そもそも の話が普通の競技者では無い気がする。 妄想力で言うならば、僕は少年時代は 将来を期待されたランナーだったが 不慮の事故で片脚を失
向こう側の世界を知っているだろうか? アナザーワールド。境界線の向こう側。 言わば、ピリオドの向こう側。 人間世界には狂った世界がある。 ギリギリの生きるか死ぬかみたいな 世界がある。 僕はちょっとだけその世界を 覗いたことがある人間なのだ。(どや) 簡単に言えば、生きるか死ぬか を迫られるような精神状態。 そういう扉が実はある。 多くの人はそれを開かないで 済むのだけれども、たまに 開いちゃう人がいる。 僕の暗黒歴史に数年間の昼夜逆転 していた時期がある。ボロボロの ボロ雑巾。翼の折れたエンジェル。 もう完全に壊れかけのレディオ になりかけた。というか、 壊れたレディオだった。 その期間は本当に精神的にギリギリで いつ死んでもおかしくなかった。 今生きているのが奇跡だなと思う。 何故、この話をするかと言うと、 僕が異常なギリギリの状態から 帰ってきた事をアピールする為だ。 ミヒャエル・エ
人間は溺れている時は ジタバタ水中で動かずに ジッとしている方が かえって良いらしい。 スポーツの世界でも 力みすぎると良くない という話を聞く。 人生もそうではないかな。 やばくなったら休む。 本当にやばい時は逃げて良いよ。 逃げられなくて一度壊れたけど、 故障は復旧まで時間がかかる。 追い込まれたら 最低限のやる事をやって プータラすれば良い のではないか。 ゲームでも漫画でもアニメでも。 スポーツとか映画とか、健全な 娯楽でもして過ごせば良い。 このブログを書いてて 救われているのは、 「なんかわかります」とか、 「似た悩みがあります」と 言ってくれる人の存在。 皆、決められた道を歩めなくて、 思い通りに行かなくて苦しんで いるのではないだろうか。 ありきたりな事を言ってしまうけど、 衣食住と少しのお金と仲間、 ちょっとした好きな事があれば 人生どうにかなるのではないかな。 僕はそう
最近やっと気付けた事。 自分は飲み会が好きじゃない。 お酒は飲めるけれども、 飲んだ後2~3日は体調を壊す。 酒のせいで悪夢を見たりする。 飲みたくないのに煽られたりする。 二次会に行きたくないのに参加 せざる得なくなる。 何か不快な事がやたら多い。 もっと別の遊び方を模索した 方が良いのではないか?と思った。 僕のような人間にとって 大勢の飲み会は実は地獄である。 今まで飲み会で 辛かった事。 面と向かって悪口とか 嫌味を言われるとか。 普段はそうでも無い人が 急に豹変したりする。 とどめに言われたのが 「酔うと本音が出てしまう」 なんだそりゃ。 ヤバい人だこれ。 たった今自分ルールを作った。 少人数の自分にとって安全な人 としかお酒は飲まない。 いや、以前から徐々にそういう 方向性へシフトはしている。 でも、どうしても付き合いで 行かざる得ない場面は多かった。 皆煽ってくる。下ネタや謎
常に変化する自分でいたい。 成長とかそういう言葉も好き だけど、なかなかできていない。 常に生きやすさを考えている。 我慢や苦労の場面があっても、 結果的には、僕は少しで良いので できれば楽したいなぁと思う。 色々と改良し続けてきた結果、 最終的に辿り着いたスタイルが 隠居しながら家業を手伝い 謎の創作や文章の制作などを を続ける日々である。 これがパーフェクト・ワールド。 ハロー・ワールド。こんにちは。 この10年間は色々な事があり、 色々な出会いもあったけれども、 結果的に多くの人と別れた。 そういったポンコツ野郎 が自分だ。屑野郎だ。 だが、そのポンコツだけど 自由なのが自分なのだ と思えてきた。 ちょっと自分がかわいく 見えてきた。 一般的に友達が多い事は良い事 だとされる。勉強ができる事や スポーツができる事も。 後は何だろう、体形がスリムとか 性格に癖がないとか。そういう人は
たまに全てを投げ出して 独りで生きられないか? と考えるような少年時代を 僕は過ごした。 気が付いたら今となっては 家族の支えや仲間の支え無し には生活が成り立たなくなっている。 良くも悪くも不自由な状況に なっている。 孤独は悪いものだろうか? 僕はそうは思わない。 孤独と自由は同じものである。 たまに会う人がいつつも、 基本的には独りでいたい。 それが僕の生活スタイル。 小学校から中学校だったろうか。 少年時代は殆ど友達が出来なかった。 おそらくスクールカースト最底辺から スタートし、いじられたりイジメまがい の事をされる事が多かった。 そのせいか独りでいる事を好んだ。 また、自分を鍛えていつか巻き返す という想いのみを胸に抱いて生きた。 所詮、小中学校などの世界は 運動能力と学力、ルックスなどで 立ち位置が決まるわかりやすい世界 なのである。 努力に努力を重ねた。 それなりには巻き返
お金を稼ぐ意欲が湧かない。 一時期燃えるようにお金について 研究したりした時期もあった。 だが、今となってはお金を 手に入れようという意欲が 弱まってきている。 何だか文章とWEBで遊んで いれば当面は満足できそうだ。 最高のダメ人間である。 そもそも何故お金を稼ぐのか? それは大半の人が生活の為。 後は自己実現の為だろう。 衣食住を手に入れて、 税金を納める。 その為に人々は働く。 その向こう側に 家族、友人や恋人など との余暇を過ごす為の 費用みたいなものがある。 このブログの作者である 僕の事だけど、何とか 衣食住は揃っている。 だが、その向こう側の 事への興味が薄れている。 友達と酒を飲むのは楽しい けれども、大抵体調を崩す。 そもそも恋人はいない。 旅行などの遠出にはあまり 興味があまりない。 生活インフラはそこまで 一生懸命頑張らないでも手に入る。 家業と言う名のぬるま湯である
人間には生まれ持った 気質やら性格のような ものがあると思う。 途中で適応する為に 多少の無理をしてでも できない事をやろうと したり、身につけようと する。 そういった努力も勿論 大切な事だし否定はしない。 だが、苦手な事を必死で 追いかけ続ける人生。 虚しくないだろうか? 僕はどちらかというと 内向的な人間だ。 競争はそもそも苦手で、 人と話すのは好きだけど 何らかの表舞台でワイワイと 騒ぐのは得意では無い方だ と思う。 スポーツも元々全然 できなかった。だけど、 無理して花形の球技に 中学と高校は挑戦した。 今でも思う。 おとなしく勉強だけして なるべく隅っこにいた方が 楽だったよなと。 もしかしたら故障も しなかったかもしれない。 勿論、苦手に向き合ったという事 はとても大切な財産だ。 様々な後悔はあるが、一度 やって良かったと思う。 そして、もうアラサーの僕。 そろそろ素直に生き
物書きという仕事は 社会不適合者の最後の砦 みたいな表現がよく書かれている。 村上龍氏も同じような事を 13歳のハローワークにて書いて いるが全くもってその通りだと思う。 一応断っておくが、恐らく 単純作業系のアルバイトならば 今の自分でも可能ではあるとは思う。 雇ってもらえるかは別として それくらいのキャパシティならば 僕にだってある。 だが、殆どのアルバイトは作業であり、 時給制であり、拘束される。一緒に働く 人達も選べない。 悪い意味で本当に歯車のような 役割を求められる。 アルバイトで時給900円とかで 働いたとしてフルタイムで得られる 給料は年間で100万円~150万円 くらいだろうか。 やりたくない事をやって 得られるお金が小遣い程度のもの。 それが現実である。 それだったら少しでもやりたい 文章やWEBでの事柄をやって お金を稼ぎたいと思い僕は ライティングをしたりブログを
僕は歌う事が好きだ。 だけれども、歌手になりたいとは 別に思わない。 たまにカラオケに行って 熱唱できれば十分だ。 シャウトしたい。 何事もプロフェッショナルに ならなくてはならない風潮が 世の中にはある。 だが、お金を貰っているから お前はプロ意識を持てという のは暴力ではないだろうか? 労働の対価のようなものについて 考え直してみたいと思う。 仮に時給800円とか900円とか で働いている人間が、 「お金を貰っている以上はプロだ」 と上の人間から叩かれていたと する。 これは一種の暴力だと思う。 そもそも正規雇用では無くて 安い給料で働いている人間に 対してトドメを刺すような ものだと思う。 労働の対価に応じた措置や ポジションに応じた措置が 取られるのが適切だろう。 また、内部でこういった話 が出るのはまだしも、 客の方からこういった事を 言ってくる場合が日本では 多い。 金払ってい
僕はあえて複数の収入源を 作るような生き方を狙っている。 よく投資の言葉で一つのかごに 全ての卵を乗せるなという言葉が あるのだが、そういった感覚だろうか。 仮に一種類の事柄に全てのリソースを 割くと失敗した時に大きいという話。 多くのサラリーパーソンは 一つの収入源に頼っている。 現代は大企業でさえも あっさりと潰れる時代だ。 イメージとしては一つの 組織に勤めて月に額面30万円 の収入を得るよりも、 10万円入る仕事を3つ持つ。 そういった複業のイメージ。 勿論、集中投資の方が 良い面もある。効率的で言えば もしかしたら集中投資の方が 稼げるかもしれない。 一つの事に特化した方が 局面が変わらない限りは プラスに働く。 しかし、仮に何かがあって 状況が変わってしまった時に 今までのやり方が通用しなく なる場合もある。 そうなった時にリスクヘッジ を上手にしていた人間は いきなり収入がゼ
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