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(某所で書いたモノの転載です) これからしばらく、戦後の日本の学生・労働運動と新左翼運動を、自分の知識の範囲で解説していみたいと思います。(ちなみに僕は80年代生まれで、この時代の運動を直接知っている訳ではありません。また、これらの運動を評価したり否定したりするためでもなく、単なる戦後史の事実として、解説してみたいと考えています) 戦後の新左翼運動を学ぼうとする人にとって、まず問題になるのはやたらと組織の分裂が多く、それらの団体が一体何故争っているのか分からないことではないでしょうか? 左翼運動の歴史はそのまま内ゲバ(内部ゲバルト、思想的に似通った左翼同士又は団体内部での仲間割れ)と権力闘争の歴史と言っていいほどです。しかし争っている理由は、基本的には本家と元祖で起源を争うラーメン屋みたいなもので、争っている当事者以外には完全にどうでもいいです。(いや、そもそも当事者たちですら差を理解して
最近起こったある出来事について考えたこと。 人間のいろいろな複雑さは、結局のところ、死すべき存在である個人を集めて、何らかの永続的なシステムを形成しなければならないということに起因するのだと思う。 もし、人生というものが「たかだか一世紀弱生きて、死んだらそれでパー」というだけのものでしか無いとしたら、人間は現世における目先の快楽のみを追求し、将来へ向けた活動、例えば勉強なり社会貢献なりを行う基盤が全く失われてしまうことになる。そのいきつくところは利己主義と拝金主義でしかなく、(例えばマトリックスが描いたように、テクノロジーによって提供される覚めない幻覚のような)退廃と堕落の中で穏やかに安楽に干からびていくことになる。 だから、人間の共同体は、国家も、宗教も、会社も、あるいは家庭という一番小さなものでさえ、「個人の死後もそのコミュニティが残り、何らかの形で個人が存在したという事実が残り続けて
消えるテクノロジー テクノロジーは、発達すると"消える"。 とは言っても、テクノロジー自体が無くなるわけではない。むしろ、そのテクノロジーを使った装置の数自体は増えていく。でも、特定のテクノロジーが発達すればするほど、それは小型化し、他のテクノロジーの中に埋めこまれ、混ざり合い、人の眼からは見えなくなって、意識されなくなっていく。 家庭用モーターの歴史 以前読んだ技術史の本に、モーターが発明されたばかりの時代について書かれていた。 まだモーターというものがとても高価だったおよそ一世紀ほど昔のこと。その値段は当時のホワイトカラーの月収の半分程度であり、普通の家庭ではせいぜい一つしか買えなかったのだという。 だから、当時の家庭用の機械、例えばミシン、フードミキサーあるいはグラインダーのような動力を必要とする機械を使うたびに、一つのモーターをいちいち別の機械に付け替えて使っていたのだという。ここ
この本は、預言書であり革命書だ!と思う。 プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF) 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,Jr. Vonnegut Kurt,浅倉久志出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2005/01/01メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 16回この商品を含むブログ (38件) を見る 「プレイヤー・ピアノ」の発表は1952年。SFのペーパーバックライターから、20世紀の英語圏における小説の巨匠と呼ばれるまでになった、カート・ヴォネガットの処女作長編 です。 始めて読んだのは もうだいぶん前のことになるんだけど(そしてそのときはあまり印象に残らなかった)、今、かなり就活で苦労した後に改めて読み返したら、グサグサと心に突き刺さるものがあったので紹介してみます。 この小説の舞台になるのは、全ての生産手段が機械によって自動化された近未来の世界です。 その世界では、機械
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