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toki.hatenablog.com
(その3)からの続きです。 90年代半ばから0年代半ばまで、かなりの部分「小林よしのりの時代」と言える時期があったように思う。小林さんは一人でさまざまなタブーに挑戦し、それまで語りにくかった問題を表に引きずり出し、論点をオープンにした。快刀乱麻を断つ彼の議論は論理も感情も表現力も含め、その圧倒的な迫力で多くの論敵を沈没させていった。 その中で小林さんは常に共感する相手を求めていたように思うが、そのたびに決裂して行った。それは、彼の性格だとかそういうことではなく、思想で共同することのむずかしさを表しているのだと思う。 今でも小林さんの発言にはときどきはっとさせられることがあるし、さまざまなメディアを使いつつ目指すべき方向性を示そうとはしているのだけど、『台湾論』『沖縄論』まではともかく、『天皇論』からこちらになると、むしろ感覚的なずれがあるところが大きくなってきた。女系論争なども重要なことだ
特定秘密法が成立したのを受けて、時事問題を扱うブログをやめた人が出ているのだそうだ。どういうことかと思う。河野太郎さんも書いているように、この法律で取り締まる対象になるのは特定秘密に関わる上でその資格審査を受けた人(6万人くらい)だけのはずだ。マスコミでかなり誇大広告が出ているし、拡大解釈を危ぶむ人がいるけれども、私は今の日本政府はそこまで酷くない、というかそんなことをしても自分たち自身に不利益が降りかかってくるだけだから、そんなことはしないと思う。 そういう記事を読んで、私は時事ブログをやめる人が増えるなら、私は始めようかな、とさえ思った。正直言って、きちんと記事を丹念に読み、裏を取りながら内容をきちんと把握してそれに対する自分の意見を言うというところまでは、やり切れないと思う。問題によってはそういうこともあるかもしれないが。 ただ、この記事にはある種の危機感と疑問、というか憤りに近いも
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