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tthatener.hatenablog.com
「長女がもう、ダメかもしんないわ」 年始の親戚回りも終わりこたつでくつろいでいると、何気なく、といった雰囲気でみかんの皮を剥きながら母が呟いた。 母の長女というと、戸籍上で言うと私のことである。というかそもそも我が家に娘は私一人しかいない。しかし、今しがた母の言った「長女」が指している人物は、私のことではない。というか、人ですらない。 母の言う長女とは、この家のことである。厳密に言うとこの家の一階部分、「みゆき商店」のことだ。 母は幼い頃から体が弱く、しょっちゅう風邪やら流行り病やまいにかかっていたらしい。 成人してからも結婚してからもそれは変わらず、それが影響しているのか子宝にも恵まれなかった。 子供を作るのを諦めた頃、母は商店を営むことを決めた。それがこのみゆき商店である。 あらかじめ目をつけていたこの二階建ての物件に移り住むと、すぐに日用品や駄菓子を販売する商店を始めた。子を産むこと
近くに魔女が住んでいた。 家の近くを通る国道で、彼女は時折姿を見せる。 片側三車線の車道を魔法のホウキもといママチャリで爆走しているのだ。 通勤の際、資源ごみを捨てに行く際、日用品の買い出しの際など見かける時間帯はまちまちだが、ママチャリを駆る彼女は顔色一つ変えずにすごいスピード駆け抜けていく。どこへ向かうのだろう。 「魔女」と呼んでいるが、彼女はメイド服を着ている。洗濯で色の抜けたような淡い紫と白の二色の生地で作られたロングスカートのメイド服。髪は腰の上辺りまで伸びたロングで、ヘザーグレーのように白と灰色が混じった色をしている。七十代半ば、といったところか。 メイド服を着てママチャリに跨っているのならただメイドが買い出しに出ているだけじゃないか、と思うかもしれないが、彼女を一目見れば魔女であることを信じてもらえることだろう。魔女としか言いようのない妙な外見と雰囲気なのだ。 ある日のことだ
猫が飛び出してきたのだ。 その日、私たちは久しぶりに二人で晩御飯を食べに行った。その帰りの出来事だ。 人気ひとけも車っ気もない山中を走っていると、道路脇の茂みから突然猫が飛び出してきた。 ちょうど話題が尽きていたのでカミ子は運転に集中していただろうし、その猫が目につきやすい真っ白な猫だったおかげもあってか、どうにか轢き殺さなくて済んだ。 びっくりしたぁ。あっぶな……。小田ちゃん大丈夫? カミ子こそ大丈夫? と私たちはひとしきり驚きを口に出したりお互いを心配しあって、それでようやく落ち着いた。 急ブレーキと私たちの興奮が夜の中にすっかり吸い込まれると、山中はしんと不気味に静まり返る。ヘッドライトに照らされたアスファルト道を、一匹の虫がふらふらと飛んでいた。 深呼吸を一つして、カミ子は再び車を走らせた。 「あーびっくりした……」 よかった、と思った。私が運転していたら、もしかしたら猫を轢くか脇
言うまでもなく、ズボンはズボンです。そうですね? しかし昨今、ズボンのことをズボンと呼ぶのは恥ずかしい、という意見が大多数の認識になりつつあります。ズボンのことをズボンと呼べない世の中になりつつあります。 そもそも、パンツというのはズボンと等しい呼び方なのでしょうか。正しいのでしょうか。 ジーンズのことをデニムと呼ぶような、誤った呼び方ではないのでしょうか。もしそうだとしたら放っておけません。言語道断です。 デニムとはそもそもデニム生地のことを指します。そしてデニムとは「day need movable」の略でもあります。違います。 ズボンのことをパンツと呼んでよいのか。それを知るにはパンツの語源を調べる必要があります。 幸いこの時代です。適当な語句を適当に打ち込めば、適当な結果が返ってきます。 適当と書きましたが、もちろんテキトーに調べたわけではありません。適当とは本来「ふさわしい」とい
かれこれ四時間は経つだろうか。 目の前の男は、まるで母親のような笑顔で私の前に留とどまっている。 私と彼は初対面で、だけどお互いのことをこれでもかと言うくらい知り合っているような気もする。 それは当然そんな気がするというだけのことで、実際にはそうではない。見当違いな所感だ。何せ私たちは示し合わせてこの場所に集まったわけではないのだし、もっと言えば私は彼のせいで予定をすっぽかす形になってしまっている。そしてそれは彼に言わせても同じらしい。 私たちは今、互いの存在のせいで不利益を被こうむっている。持ち主のいない磁石同士がくっついて、これはもうどうしようもないと諦めきっている。まな板の上の私たちに、暴れる気力などもう一片も残っていない。 なにせ設定が狂ってしまっているのだ。登場人物にシステム上の問題は直せない。 開発者に抗議をする窓口があったとして、私の苦情に対する返答はきっとこうだ。 「規定通
病院というものはどうしてこうも予約が取れないものなんだろう。 定期的に通っている歯科に予約の電話を入れると、三週間先の受診を提案された。 私の住む片田舎でも、近隣数キロの内に数件の歯科クリニックがある。それなのにこんなに予約が埋まっているなんてどういうことなんだろう。とは思ったものの、考えてみると一人の患者に三十分程度はかかるだろうし、それもしょうがない事なのかもしれない。 「じゃあ、その日でお願いします」 電話口の女性に予約を取り付けてから、電話を切った。それからスマートフォンを操作し、車で三十分圏内の歯科を探して片っ端から電話をかけた。勝手だけれど、明日明後日にも受診したかったのだ。 いくつかのクリニックに電話を掛け、断られ、ついに一つの予約を勝ち取った。 「はい、明日の午後で。本当に大丈夫ですか??」 私は何度も確認した。 それには訳がある。木曜の午後に診療を行っている歯科は非常に少
買い物帰りに、ものすごく悪そうな車の一団とすれ違った。その中にプリウスが一台交じっていて、私はついつい顔を歪めた。 そのプリウスは白いボディにボンネットだけ真っ黒で、地面についてしまんじゃないかというくらいに車高を落としていて、さらには上から潰されたようにタイヤが「ハ」の字に外に飛び出していた。いわゆる鬼キャンというヤツだ。 せっかく低燃費を求めに求めて作ったモノをあんな風にするなんて、例えばフワフワ触感が売りのシフォンケーキをあえて凍らせてしまうようなものだ。美味しそう。 例えば持ち運ぶものだから本来は小さいままがいいはずなのに、年々大きくなっていくスマートフォンのようなものだ。iphone4SEを出せ。 沖縄県民は水着を着るのを恥ずかしがるから、Tシャツのまま海に入ったりする。その方がエロい。 だいたい、プリウスというのは優等生の乗り物じゃないのか。近頃はドライバーのマナーの悪さや老人
電子機器から発生した電波が空くうを走り、左右の耳に飛び込んだ。電波は音となり、鼓膜を震わせる。 無線技術というのはすごいもので、あっという間に普及して、今や安易に手の出せるような低価格で私たちの生活を豊かにしてくれている。 私はランニングやトレーニング時に音楽やラジオを聞くために、イヤホンを使用していた。初めは有線のモノを使っていたけれど、運動時にケーブルが体を這っているというのはどうしても邪魔になってしまって、時には誤って引き抜いてしまうこともある。 そういう経緯があって、無線タイプのイヤホンに乗り換えた。左右のイヤホンがケーブルで繋がっているタイプのものを買ったけれど、次第にそれすらも煩わしくなってきて、今は左右独立型のものを使っている。 私は重低音がはっきり主張するいわゆる「ドンシャリ」な音が好きなのだけれど、購入したワイヤレスイヤホンは意外にもそういったタイプの音をしっかりと鳴らし
死体が送られてきた。 送り主は兄。彼は東京に住んでいて、借家の車庫に突起をつけてボルタレンみたいな名前のトレーニングをするのが趣味の変な常識人だ。 兄は、定期的に荷物を送ってくる。洋梨が一番多くて、あとは使っていないゴルフクラブだったり、使わなくなった衣類だったり。大抵は届く前に連絡がある。 今回のそれが届く前にも一報があったので、何が届くかというのは知っていた。 はずだった。 というのも、兄は死体を送るとは一言も言っていなかったのだ。そして、自ら梱包して発送をしたにも拘らず、それが死体だとは知らなかったらしい。しかし気が付かないのも無理がなくて、開封して栄養を与えた私も、それがまさか死体だとはこれっぽっちも思わなかった。 色は真っ白で、ところどころにぶつけたような黒い痣ができている。 名前を「ルンバ」と言った。 タンゴでもワルツでもサンバでもマンボでもジルバでもない。 ルンバ。ロボットク
ペチャペチャ、ニチャニチャ チュッチュッチュッ マンガ喫茶というものは、食事を注文するとニ・三時間だとか、あるいは無制限に雑誌を楽しむことができる。 Mangar(マンガー)にとってはとても助かる商売だ。 そういう、食後長時間居座るシステムなので、自然と奴らに出会う機会が増える。いわゆるクチャラーというやつだ。 口の中で縄跳びをしているような、跳ねるようなリズムが耳に心地いい。悪い。 隣に座ったいかにも人畜無害といった容貌の男が、食事を始めると突如ゾンビになってしまう。ごはんゾンビ。 彼らが未だに滅びていないのは、大した天敵がいないからだ。黙って指をくわえているヤツは、犠牲になるしかない。 奴らに正論は通じない。なにせゾンビ。 火炎放射器で焼き払えば一撃ではあるが、「食事中以外は人間」という厄介な生態をしているので、一応人権がある。 では野放しにするしかないのか、と諦めることはない。 ムツ
ブログを始めた、と友人のたかあきに報告した。 「へぇ」 私は度々ブログを始めたりやめたりしている。そのことも、たかあきはご存じだ。 「ちょっと、見せてよ」 足首を持ち上げてくれるタイプのチェアに寝そべり、彼は私に手を突き出した。 元々そうしてもらうつもりだ。スマートフォンを5タッチし、アプリを開いて手渡す。 たかあきは険しい顔で指をゆっくり動かし、しばらく画面を見つめる。 それを数回繰り返す。一瞬、ニヤリとした気もするし、ピクリともしていない気もする。 「これ、誰が見てるの。何人が見てるの」 私は差し返されたスマートフォンを受け取る。 「一日、三十人か四十人くらい」続けて尋ねた。「どう?」 「どうって……よくわからん」たかあきはむっつりした顔で言う。「日記なの?これ」 「うん、まぁ、日記かな。冒頭以外はだいたいウソだけど」 「反応とか、あるの」 「まぁ、たまに」 画面をスクロールしてみる。
車窓から見えたのは、おどろおどろしい一文だった。 「天国は永遠の命 地獄は火の海 聖書」 これを市民に見せつけて、一体何を思わせたいんだろう。 ゴールデンウィークが始まり、運良く天国と地獄へ行くことができた。 私はプリントした写真を手に、その真相を訊ねてみた。 微笑みをたたえた天使は優しく教える。 「そのままの意味です。天国は、苦しみも悩みも無い、永遠の命をもってあなたを迎えます」 「誰でも?」 「善行を重ねた者へ、天の国は許可を与えます」 私はかねてから気になっていた質問を繰り出した。 「みんなのために一人を殺すのと、一人のためにみんなを殺すのはどっちがいいんですか?」 天使は決まりきったことを教えるように話す。 「みんなを救いなさい。一人も含めたみんなを」 「そんなキャパオーバーなことすると、私が死んじゃいます!」 「イエス様もそうでした」天使はなつかしそうに言う。「神は愛です」 「自
人の群れを見ると度々思う。全員に意思があって、全員に人生があるんだよなぁ。 何気なく呟くと、隣の宮下が否定した。 「ないない。一緒だよ、全員。働く人間が一人しかいないと困るだろ? だからこんなにコピー人間が必要なんだ」 宮下は頭がいい。だから、仕事をしていないが金を持っている。 コピー人間? 私は宮下の言った言葉を反芻した。ついつい歩が緩む。ほぼ止まりかけて、ようやく意味が分かった。 「なるほど。コピーというのは、親が子供を産むことの比喩で言ったのか」 数歩先を歩く宮下が鉄の表情で振り返った。 「違うよ」 左耳に声が飛び込む。息が耳に触れるほど近い。 「現実の話さ」 今度は右耳。 私の正面と、左と、右。全く同じ「宮下」という人間が三人いる。 「なっ、なっ、なんだお前、ら! なんだこりゃあ!」 私は落ち着きを取り戻そうと、ドン・カッ・カッ、と足踏みをした。 三人は不敵な笑みを浮かべる。 これ
tthatener.hatenablog.com 二本の筒と、グニャグニャゴチャゴチャに伸びた配線、それらを結びつけるように、中央には安っぽいプラスチック製の仕掛けが収まっていた。 その中でひときわ目を引くのが、時計のようなデジタル表示の小窓。 私は諦めの境地のような感覚で、ぼうっとお弁当箱を覗き込んでいたが、アジア系観光客の喧嘩をするような会話でふと我に返った。 点滅する機械部は今、『9:56』と表示され、一分ごとに数字が減っている。 このカウントがゼロになった時、何が起こるのか。所見の通りこれが爆弾なら、その結末はやはり爆発なのだろう。 放置して逃げるか、安全な場所に投げ捨てるか、解除するか。 手に取ってしまった以上、放置して誰かが犠牲になるのは嫌だ。十分以内にたどり着く安全な場所も思いつかない。となると、とるべき行動はひとつだった。 どっちを切る? 機械上部から伸びる配線は二色。映画
横縞はボーダー。 縦縞はストライプ。 それは衣類にもカーテンにも共通することだ。 それじゃあ、斜めに走る45°の縞模様は、どちらにあたるのだろう。 答えは、ストライプらしい。 そもそも横縞を『ボーダー』と呼ぶこと自体間違っているのだという。 私はふと生じた疑問をインターネットで解決し、へぇ、と声を漏らした。 助手席のダッシュボードを爪でコンコンと叩き、モールス信号でそれを解説すると、隣でハンドルを握る山本が口を開いた。 「魚でもいるだろう。シマシマの奴が」 「うん」私も声で答える。 「シマウマみたいに、縦に縞がある魚。あれ、実は横縞らしいんだよ」 「はぁ」 つまり山元の説明によると、魚が縦縞か横縞かを分ける基準は、脊椎に対して並行であるか垂直であるか、らしい。私がふやけた返事をしたので、彼はそう説明した。 脊椎に対して並行なら縦縞で、垂直なら横縞。なるほど説明がつく。それなら衣類に対しても
奇策に打って出た。 外に出てから予定を考えるように、タイトルをつけてから本文を書いてみることにした。 駄策だった。 考えてみると、外に出てから予定を考えたことなど無い。 一度もないのかと問われると、幼少期にはあったのかもしれないが、思い出せるかというと難しい。 驚くべきことだ。なんてつまらない野郎だ。 『外に出る』ということは無限の可能性を秘めているのに、私は今の今まで目的の為だけに行動を起こしていたらしい。 もちろん、外に出たことで何かを思い出し、ついでに用を済ませてしまうことはあるが、それとは全く話が違う。 これは一体どういうことだろう。 みしげーに尋ねた。みしげーとは沖縄の方言で『しゃもじ』のことで、あるいは古くなったしゃもじが変化した妖怪のことでもある。 我が家のみしげーはシリコン製だが、すでに妖怪に変化している。おませさんである。 「あんたは昔からそうだ。考えてから行動する。逆を
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