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パリ五輪
tui-oku.hatenablog.com
【簡単めしを始めた流れ】 私は元の仕事柄、普通の方の時間とはズレがありました。 朝は夜が明ける前から、寝るのは早い。 もちろん妻子共々ともズレていました。 それで妻にはいつも迷惑をかけていました。 いつも 「こんな仕事だから朝、夜中から迷惑かけるな」 と言いながらも妻は笑顔で 「いいんですよ。わかっていますから」 と。 言葉に言い表せない何かが私を押し潰そうとしていた。 私は考えた。 どうすれば妻だけでも負担を減らせるのかと。 「夜中・・めし・・か・・」 自分が作ればゆっくりさせれるじゃないか。 それから私の簡単めしが始まった。 内容 魚の刺身、チューブのニンニク、焼肉のたれ、生たまご、みりん、しょうゆ。 作り方 1.魚の刺身をタッパーに入れる。 2.上からチューブのにんにく、焼肉のたれ、みりんとしょうゆを入れる。 焼肉のたれは魚が浸かるくらいで、チューブのにんにく、みりん、しょうゆは適当
《最終章》 慟 哭 3月、春はすぐそこ。 栗東トレーニングセンターにも桜花賞、皐月賞へ向けて話題満載の季節がやってきた。もちろん、話題の中心にはムラサキデンセツがいた。放牧を終え、トライアル『阪神4歳牝馬特別』へ向け調整に余念がない。胸前、トモの筋肉は素晴らしい発達を見せるも、全体に丸みを帯びた馬体は牝馬らしくなり、ハツラツとした乙女の姿を見せていた。身体を覆う冬毛が取れ、その黒い馬体は陽光を受け、より紫色に輝く。 はたして無敗のままで桜花賞を獲り、その輝きは伝説となるのか。 調教を終え、いつものように厩務員の石塚に手綱を引かれ馬房に帰るムラサキデンセツは、とある馬房の前に馬運車を見た。まさに乗り込もうとしていたのはクインエスメラルダだ。良血の家に生まれ桜花賞馬となり、その後も長きにわたって栗東で女王として君臨してきたクインエスメラルダ。ついに引退を迎え、繁殖牝馬として北海道に帰ろう
(往年のディープインパクト号) (この記事はリライトとなります) 瞳の輝きに衝撃を受けた ディープインパクト かつて、皇帝シンボリルドルフを馬券で蹴飛ばし続けた男がいた。 8戦無敗で菊花賞を獲り3冠馬となり、生涯16戦12勝、2着1回、3着1回、着外1回(海外)。 共同通信杯を持ったまま、まったくムチを振るうことなく快勝したビゼンニシキ。 「こいつは、強ェーや」おったまげた強さ。 4戦4勝のそのビゼンニシキを弥生賞で破り、4戦4勝で皐月賞へ向かったシンボリルドルフ。 認めた強さ、ゆえに外し続けた。 どこまで強い? ルドルフ。 男にとって、 それは馬券を通じての、皇帝シンボリルドルフへの挑戦だった。 2004年、男の心に甦った挑戦魂。 新馬戦を勝ち、 若駒Sを勝ち、 弥生賞を勝った馬。 450㌔あるかないか、小柄な馬はひとたび走ると驚嘆させた。 直線、体がグッと沈み、低く飛ぶ。 鞍上・武豊に
1980年代後半、競馬界に巻き起こったムーヴメント。 若い男女が競馬場に足を運び、華やかな明るい歓声が競馬場内を包んだ。 アイドルホースの誕生。オグリキャップ、芦毛の怪物。 1989年、平成元年。 オグリキャップと死闘を演じたスーパークリーク、イナリワン。称して『平成の3強』といわれた。 大井競馬場から中央にやってきた大井の怪物・イナリワン。 そして、売出し中の若き天才・武豊に「僕が初めて惚れ込んだ馬」と言わせたのが、スーパークリークだ。 父ノーアテンション、母ナイスデイ。母の父インターメグ。 競走馬としての第一歩、サラブレッドとして買い取られることさえ危ぶまれた馬が、スーパークリークだった。 生まれつき左前脚の膝下から球節にかけて大きく外向し、ゆがんでいたのだ。 庭先取引で買い手がつかず、当歳夏のセール、2歳夏のセールでも買い手がつかず、最後のチャンス2歳秋のセールでやっと買い手がついた
鮮烈なデビューから4連勝、『最優秀3歳牝馬』の称号を得たムラサキデンセツ。年が明けて4歳となり、ひと月間、放牧に出ることとなった。心身ともにリフレッシュし、2月から調教を開始、3月にトライアルに出走、4月第1週の桜花賞へとローテーションは引かれた。 放牧に出され、身体は癒され、元気を取り戻すムラサキデンセツであったが、心はリフレッシュどころか不満が溜まる一方だった。 デビュー当時に得た走りの喜び、快感は無くなり、 拍手・歓声に応える独り舞台の喜びも束の間となり、 ゴール前にくる苦しさが走るごとに倍増する。 なぜなの? きっとゲートを出た時、野口が手綱を抑えるからだわ。早く熱くなりたい私を邪魔するから。ムラサキデンセツは自分の走る喜びを奪うのは野口だと思いこみ、苛立ちを充満させていた。 そして、放牧場で出会う馬たちもまた、ムラサキデンセツを苛立たせた。春に大きいレースを狙う馬はこの時期を放牧
新潟2歳ステークス ◎ウーマンズハート キーンランドカップ ◎デアレガーロ
勝てる、はずの馬だったタカイホーマ。 勝つために西下した。 死出の旅となることなど、誰が・・・・・・、運名よ、邪悪な神に蹂躙(じゅうりん)されたか! 牡馬、秋戦線はタイテエムの独壇場だった。 神戸新聞杯をランドプリンスに半馬身差勝利。2頭で3着トーヨーハヤテを5馬身、ちぎった。 京都新聞杯ではマルブツサンド、ソロナオールが激走も、あっさり交わして勝利。ランドプリンス4着、このレースが秋初戦となったロングエースは6着だった。 トライアル2戦を完勝したタイテエム。ダービー3強から1強への道を切り開きつつあった無冠の貴公子。 関東から菊獲りに参戦は4頭。 皐月賞2着、ダービー6着のイシノヒカル。日本短波賞をスガノホマレの2着のあと、オープンを勝ち西下。 リボー系の地味な存在だった種牡馬マロットを父に、母キヨツバメも14戦1勝、地味な馬だった。おまけに右前脚が外向しており、他馬と抱合せても売れない
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