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パリ五輪
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2005年の8月3日は私の記念すべき20歳の誕生日だった。 年に1度やってくる誕生日、その中でも20歳の誕生日はいつもの誕生日とは少し異なるアニバーサリー感がある。大人の仲間入りをし、いろいろな人から「おめでとう」の嵐に包まれるような特別な1日になる。はずだった。 ただその日、私はほぼ誰にも「おめでとう」とは言われなかった。集まった人の数はなかなかの規模だったのに。今まで会ったこともないような親戚もいたし、会をスムーズに行うスタッフもいたのに。ただ多くの人が私に「おめでとう」とは言わなかった。 理由はこの会が母のお葬式だったから。誕生日会ではないのだ。母は私の20歳の誕生日の前日に亡くなり、私の誕生日がお葬式となったのだ。私の誕生会と前向きに考えても今後ないだろうという規模の会だった。ただその会は確実に誕生日会ではない、お葬式だったのだ。 母は私が高校生の頃に乳癌になった。寒い冬のある昼、
お通夜のあとに出されるあの食事。成人して、マイカーを持つようになった時期まで、ずっと、あれが、嫌いだった。 お寿司、唐揚げ、ポテトフライ、枝豆、サンドイッチ。ポテチを筆頭とした乾きもの。それから偉大なる「柿ピー」。 僕は大人になるまでのある一時期、そういった「お通夜の食事」を毛嫌いしていた。「味が口にあわない」といった嗜好の問題からでも、宗教的な問題からでも、お通夜の辛気臭い雰囲気からでもなく、ただひたすら一家庭の個人的な経験から嫌いになったのだ。憎んでいたといってもいい。 僕が20歳になる前に父が亡くなり、僕を生んでから専業主婦をやってきた母が、生活を支えるために働きだした。母の就職先は葬儀屋。葬儀屋の仕事は、お通夜が入ったときはどうしても帰宅が夜遅くなってしまう。 今、僕は44才、葬儀屋で働き始めた当時の母とほぼ同じ年齢になったからよくわかるのだけど、長時間の立ち仕事は体力的にかなりキ
“親子飲み”にお邪魔して、そのお話を聞いてみる本連載。普段から仲が良い2人でも、対面でじっくりお酒を酌み交わせば、いつもと違った話題が出てきそう。 今回お話を聞かせてもらったのは、父・堀 好(このむ)さんと娘の彩(あや)さん。 お父さんは京都府の実家から、東京の彩さんの家に遊びに来ているタイミングとのこと。家族でお酒を飲む場面は多いけれど、外で一緒に飲むのは初めてだといいます。 生ビールとハイボールを注文して、乾杯! すぐに2人とも、ごくごくごく……! なかなかのハイペース。 仕事選びにも影響を与えた、小さい頃のお父さんとの思い出彩さん「子どものころは、よくお父さんの単車のうしろに乗せてもらったよね。3人兄妹だけど、私ばっかり乗ってた気がする」 お父さん「そうかもしれんな。上の子2人ともスキーとかにはよく行ってたけど、バイクに乗せてたんはあんただけ。やっぱり、末っ子がかわいいっていうのは昔
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