サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
www.homarex-homare.com
中間駅へと一気に滑った卓は、足元が甘い感覚を感じひとまず滑りこむ事にした。 いつものパウダーばかりを滑るのではなく、斜度がきつく荒れがちな通称ハン3を流す事にした。 中間駅から再びゴンドラへ乗り目当てのコースへと向かう事にした。 年末に居た頃とはゲレンデにいる客層はがらりと変わり、篭りの人間ばかりが山に残り若いライダー達が多く居た。 馴れ合うように滑るグループ、卓のように黙々と滑るライダー、様々なタイプの篭りがゲレンデには居た。 卓はそんな篭りの人間と相乗りする事になった。 無口な卓はイヤホンをしたまま音楽を聞きぼぉっとしていた。 そんな卓を他所に何やら盛り上がっていた。 それでも卓は空気のようにそこに居た。 「スノーボードしに来てるし仲間とか別にいい」 そんな事を心の中で呟く卓だった。 少し羨ましさを感じた卓だったが、まるで自分に言い聞かせるようだった。
風呂道具を部屋へと置いてすぐにパブリックスペースへと向かった。 電気はついておらずまだ誰も居ない様だった。 パーティの準備でもしているのかと厨房へと様子を見に行く事にした。 しかし、厨房にも誰も居ない。 宴会している宿泊客の声が館内に響いている。 卓はひとまずパブリックスペースで待つ事にした。 暗いパブリックスペースを開けると 「おめでとう!」 卓は驚いて心臓が張り裂けそうになった。 ろうそくの火が灯ったホールケーキと共に 「誕生日おめでとう」 そう言いながら部屋の影からチカさんが現れた。 神戸屋のみんなが拍手で 「おめでとう」 と声をかける。 卓は照れながら 「ありがとうございます」 そう言って微笑した。 「ほらっローソク消して」 ちかさんに促され卓はローソクを一息に吹き消した。 部屋の明かりが付けられ 「おめでとう」 盛大に皆の声が響き渡る。 そこにはチカさん夫妻の息子のゆうき、持病の
夜の仕事も終わり宿泊客は年越しムードで盛り上がっている。 そんな光景を横目に風呂へと向かう。 途中康之さんが居た。 「後で皆で年越しそば食べるで」 「あっはい。わかりました」 卓は年越しらしい雰囲気を味わえるのだと少し嬉しい気持ちになった。 宿泊客は皆酒盛りで風呂場には誰も居ない。 さっとシャワーを浴び、大きな湯船を独り占めにしながらくつろぐ。 「今日誕生日やけどもう1日終わるなぁ。」 独り言を漏らす。 その時、今朝彼女からメールが来て居た事を思い出した。 寝る前にでもチェックしようと今は忘れる事にした。 誕生日だからと言っても、ペンションで住み込みの仕事をしている卓にとっては何ら特別に感じなかった。 この後、年越しそばを食べる以外を除いては。 何も無く年を越し、明日も朝早くから通常通り仕事をするだけなのだ。 そんな事を考えながら1日の疲れを癒した。 風呂から出て、部屋に戻ろうと本館の二階
気分が乗らず珍しく直ぐにペンションへと帰った卓は、気分を紛らわそうとパブリックスペースで漫画を読む事にした。 普段は小説等の活字しか読まない卓だが、小説は持ってきておらず、神戸屋には漫画しか置いていなかったのだ。 仕方なく棚にずらりと並んだ漫画から、なんとなく背表紙で選び読み始める。 読んでいる様で話は全く入ってこない。 すると、カップルがパブリックスペースへとやって来た。宿泊客だ。 「こんにちは、ここって使ってもいいんですよね?」 カップルはベッタリとくっつきながら卓に聞いた。 「大丈夫ですよ、自由に使って下さい」 そういって卓は部屋を出た。 「ここもかよ。昼寝でもしよ」 ぶつぶつ言いながら屋根裏へと戻った。 お客さんにカップルが居る事ぐらいは想定内だったが、ここまで気分を掻き乱されるとは思ってもいなかった卓は、仕事が終わり風呂もさっさと入り、屋根裏からこの日は出る事は無かった。 少しの
部屋へと戻り当たり障りの無いメールを彼女へと返信した。 ひとまずはこのまま乗りきろうと思っているのだが、感情の無い虚しい付き合いの時間を彼女に強要しているようで複雑な気分だった。 ベッドでそんな事を考えながら眠りについた。 それからクリスマスまで淡々と日々の仕事をこなし、大好きなスノーボードに明け暮れた。 その頃には仕事にも慣れ、ペンション生活にも慣れていた。 クリスマスのゲレンデは初心者のカップルで溢れ帰り、そこら中に座り込んでいるカップルがいた。 卓はまるで自分が場違いに感じる程の光景だった。 そんな光景に嫌でも彼女の事を考えてしまう。 スノーボードに集中したくても心のそこから楽しめない自分にもやもやしていた。 卓にも彼女が居るため、一見クリスマスは楽しいイベントのはずなのだが(離れているためなんとも言えないが)、今の卓にとってはスノーボードの妨げとなる辛いイベントだった。
仕事が変わり1日一区切りの小説ができない日が出てくる状態になりました。 文書を書けないのは自分に取っても苦痛なのですが… 自分勝手に書いているだけなのですが、自分の趣味に目を傾けて頂ける事が嬉しいためこのような事を書いています。 今まで通りみんなに読んでもらえるとは思っていませんが、目を向けてくれている方には一言お伝えしたかったのです。 休みの日に小説をストックして行こうと思いますが、日々途切れる事も出てくると思います。 それでも気長に読んで頂けると嬉しく思います。 突然辞める、小説を辞める事はありえません。 誰もそれを望んでいなかったとしても。 自己満足の小説で誰かが暇を潰す事ができるだけでも光栄です。 どうか温かくこれからも見守って下さい。 誉
駐車場からペンションへと向かう下りの道に差し掛かった。 卓はそこで板を履いた。 除雪された道路はコンクリートを感じる程の雪面ではあったが、かろうじてソールに傷はつかない程度の雪はついていた。 歩いて帰るにはまぁまぁの距離だが、滑って帰ればどうという事は無かった。 斜度はほとんど無い道路のためノロノロと滑っていたその時、村の除雪車が後ろから走ってくる音がした。 卓は端に寄って止まった。 除雪車が卓の近くに来た時、クラクションが鳴る。 明らかに攻撃的な怒りのこもったクラクションだ。 除雪車が卓の横に差し掛かった時、窓が開けられ 「ここ道路やぞ!お前どこももんじゃ!どこのペンションのバイトや!」 卓は叱られた犬の様に小さくなった。 「すいませんでした」 卓に深々と頭を下げて謝罪した。 「危ないやろが!二度とするなよボケ!」 運転手の怒りは収まらない様子だが、そのまま走り去って行った。 卓は走り去
気がつくと少し眠っていた。 15分程眠った卓の身体は少し回復はしていたが、少し冷えてしまっていた。 暖房の前へ移動し、床に座り込んで軽くストレッチをしながら暖めた。 身体も目もスッキリした所でもう一本ゴンドラで山頂へ向かう事にした。 ひとまず一番下まで滑り、それから考える事にした。 山頂から林道を通り、ゴンドラの乗り場の方へと向かって行く。 ここからはとてもなだらかな緩斜面で家族連れやカップルなどが楽しそうに声を挙げながら滑っていた。 卓はそんな経験をした事が無く、少し羨ましい気持ちになっていた。 スノーボードをするために来ているとはいえ、滑り仲間が居る事は羨ましいのだ。ただ、卓の滑り仲間とは誰でも良い訳ではなく、お互い干渉せず高めあえる、あくまでもスノーボードありきの仲間なのである。 そんな事を考えてるうちに乗り場へと到着した。 「卓!」 その声に辺りを見渡す卓。 恐らくタカシだろうと思
スキーヤーが好んで滑るこのコースは、普段はコブになっており、パウダーでも無い限りスノーボーダーはあまり寄り付かない。 卓はスノーボーダーでは珍しくコブを滑る事がとても好きだった。 いつかモーグルコースでスキーヤーと競いたい(到底敵うはずはないとわかっているのだが)と野望を抱いていた。 だが、今のコンディションは絶好のパウダーだ。 昼を過ぎているためトラックが無数に刻まれているが、卓はめぼしいラインを決め早速ドロップした。 数日降り続いた雪で、コブは全く感じられず、またあの宙を浮いているような感覚だった。 次々に残った吹きだまりのパウダーめがけラインを取る。 その度に卓の上げるスプレーが宙を舞い、陽の光に照らされ光輝く。 一気に滑る卓の呼吸は少し乱れている。 しかし、パウダーにとりつかれた卓は一心不乱に滑り続けた。 その勢いのまま少し斜度が緩くなるコースへ出ると、そのまま中間駅へと流した。
雪まみれの姿でそのままゴンドラの中間駅へと滑り降りた。 板を外し雪を軽く払い落とすと、レストハウスの側で板を反対に向けて雪面へと置き、その上に腰掛け煙草に火をつけた。 肺いっぱいに吸い込んだ煙を真っ青な空へと豪快に吐き出すと、座っている板から滑り落ちる様に雪面に大の字に寝転がった。 「気持ちえぇ、ここは天国やな」 澄みきった青空に卓の吐く煙が雲の如く漂う。 そんな極上の時間を大の字で身体全身で受け止めながら、大自然の恵みに感謝するのだった。 一服を終えると再びゴンドラへと乗り込んだ。 ゴンドラから目星をつけたコースがあり、見た目にもハードな斜面のためトラックもまだ少ないようだ。 卓は次のターゲットを定めそこへと向かう事にした。 山頂駅からリフトをもう一本乗り継いだ先にそのコースはあった。 このリフトは本来ならパークリフトなのだが、雪も多く時期もまだ早いためパークはまだ無かった。 元より冬休
ゴンドラの中間駅までに準備を終えた卓はカフェオレで一息ついた。 中間駅でも人は乗ってこず、山頂まで一人でのんびりと向かう。 昨日降り続いた雪はぱったりと止み、この上なく快晴だ。 「ドピーカンやな」 卓は独りで呟く。それほどまでの快晴だった。 ゴンドラから見渡す景色はどこを見てもパウダーが残っている事が確認できるが、どこもコース外のため見るだけで我慢する。 中にはコース外にトラックがあり、マナーを犯した人達もいるのは言うまでもない。 ゴンドラからある程度コースやバーンの状況を確認した卓は、ひとまず中間駅までアップをかねて流す事にした。 山頂駅へ降り立った卓は刺すような日差しにアドレナリンが溢れでるのを感じた。 軽く身体を捻ったり、屈伸して板を履く。 お決まりのイヤホンを装着すると、卓のテンションはすでに最高潮を迎えていた。 ドロップした卓は、雪質やバーンの状況を確認しながら、身体を慣らしつつ
一息ついた皆を他所に、卓はすぐに部屋へと向かおうとした。 「卓飯は?」 康之さんが咄嗟に声をかける。 「おにぎり自分で作って持って行きます。お昼なんて食べてる時間ないです」 「おっけ、ほな準備してこい」 康之さんは笑顔で卓を見送った。 卓は部屋へ入るなり煙草に火をつけると、一服するのかと思えば、煙草を咥えながらウェアに着替えた。 吸い終わるのと同時に準備を終え、休む間もなく部屋の急なはしごを降りて行った。 そこへちょうどタカシが上がってきた。 「早いなぁ、俺も飯食ったら行くわ」 「そうか、また山で逢えば」 卓はそう言い残しそそくさと厨房へと向かった。 厨房へ入ると、形の良い三角のおにぎりがすでにお皿の上に並べられていた。 「飯ぐらいちゃんと用意したるから」 康之さんが卓のために用意してくれたのだ。 「すいません、ありがとうございます」 「これぐらい当然やろが」 笑いながら卓に言った。 「い
別館へ移動しタカシが居る部屋を探していると、チカさんも康之さんも拭き掃除をしてくれていた。 卓が戻った頃にはほとんど終わりかけていたが、今日の内に流れだけは把握しておきたい卓は、あえて掃除では絡みが無かった康之さんに声をかけた。 「おつかれさまです、ヘルプありがとうございます。拭き掃除ほとんど終わってるみたいなんですけど、流れだけ教えて下さい」 すると康之さんは 「ヘルプちゃうで、基本的には俺らも参加するし、バイトに全部やらすとかせぇへんから」 卓はその言葉に、過去に経験してきたアルバイト先での社員との言い争いを思い出した。 こんな人達だったらあの時のバイトもストレス無くできたのだろう。 そんな事を思い少し嬉しい気持ちになったのだ。 「凄くありがたいです」 卓は思った通りの事を康之さんに伝えた。 「なんで?お前やっぱ変わってるな」 笑いながら卓に言った。 「シンプルにそう思っただけなので」
卓も軽くアドバイスしながら、二人で協力して最後のベッドメイクを終えた。 チカさんは厨房で部屋毎の灰皿を洗っていた。 「ベッドメイク終わりました」 卓が声をかける。 「おっ、ほんなら後は部屋の拭き掃除と全館掃除機で終わりやな。タカシがやり方わかるから聞いてやっといて」 「わかりました」 タカシの元へ戻ると部屋の掃除機に取りかかっていた。 「卓は本館の掃除機二階からやっていってくれる?」 「りょうかい、全館言うぐらいやから全部やんな?」 「そうそう、わからんかったらチカさんに聞いてくれたら」 チカさんにはタカシに聞けと言われたので、チカさんには聞かずに全てのスペースを掃除機する事にした。 細かくする事に関しては注意されないだろうと思っての事だった。 卓は本館の二階、一階、パブリックスペース、食堂と順に掃除機をかけ厨房の前を過ぎた辺りで、別館の掃除機をしていたタカシと合流した。 「後は拭き掃除す
その部屋のベッドメイクはまだ一つも終わっておらず、二人でちゃちゃっと終わらせるつもりだった。 「ほなさくっとやってまおか、タカシそっち言って」 卓が率先して指示を出す。 卓は仕事をしている時は、バイトの時でも、相手が社員だろうが先輩だろうがお構い無しだった。 タカシに関しては数日早いだけで、ほとんど変わらないのだが… 先程チカさんとベッドメイクした時と同様に、シーツを広げながらタカシにパスする。 お互い均一にシーツを合わせると、卓はさっと角に三角を作り織り込んで、二枚目のシーツに手をかけ、タカシにパスしようとした。 ふとタカシを見ると、まだ片方の三角で苦戦していた。 卓は妙に納得した。 タカシの手が遅いのは、タカシがダラダラしている訳でもサボっている訳でもない。 単純に不器用なだけだった。 卓はそれがハッキリした事で逆にスッキリしたのだ。 「えぇよ慌てんで、それより、雑にやってやり直しくら
シーツをベッドへと織り込んで一枚目のシーツが終わり、二枚目のシーツと毛布をセットする。 二枚目のシーツと毛布は足元側だけを同じ要領で折り込み、最後に掛け布団をかける。 頭側の余ったシーツを掛け布団にかけベッドメイクは完了だ。 枕にカバーをつけ、余りをカバーの中に織り込んで整える。 枕は部屋に入って見たときに、織り込みが見えないように部屋の奥を向くようにセットする。 「ベッドメイクはこれで一通りの流れやけど、もうできるよな?」 「はい、大丈夫です、終わってない所やってきて言いですか?」 まだ終わっていない部屋のベッドメイクへと卓が向かおうとした時 「待って、先にゴミ箱と灰皿の処理教える」 「わかりました」 「まぁ教える程の事でも無いけど説明だけするわな」 本当に説明する程の事では無かった、卓はそう思いながら残りのベッドメイクへと向かった。 卓が一部屋ベッドメイクを終わらせ、次の部屋へ向かうと
広げられたシーツは、上下左右とも均等にベッドに合わせる。 「こっから一緒にやりながら教えるから卓反対回って」 卓はチカさんとベッド越しに向かい合う様に立て膝で位置についた。 「ほんまやったら二人でやった方が早いねんけど、うちは部屋数多いから一人でやってもらうねん。手が空いてる時はちゃちゃっと二人でやるけど」 「一人でもできるならその方が僕は良いです、手空いたらいつでも手伝えるので」 卓は滑る時間の事だけを考えての事だった。 チカさんも恐らく気がついていた。 「あんたやったらすぐ綺麗にできるやろな、さっ、やろか」 「まずは左側からいくで、横に垂れてるシーツを右手でつまみ上げて、上げてできたスペースに左手でシーツを織り込んで」 卓は見よう見まねでやってみる。 「そうそう、そんな感じ。そしたら右手のシーツ離したらベッドの角に三角ができるねん」 「なるほど、できました」 チカさんが卓の方を反対から
それからチカさんのベッドメイクのレクチャーが始まった。 「まず、ベッドに薄いマットレス敷いてるから、これを綺麗に整える。言わんでもわかるわな」 卓に向かって微笑しながら説明を続ける。 「ほんなら、まず一枚目のシーツをベッドに広げて、この時裏表あるから気をつけて。折り返して縫い目のある方が裏やから」 卓は頷きながら説明を聞いている。 「シーツを広げる時のコツやねんけど、端を持って広げながら」 そう言うと 「ほっ」 とシーツを反対側へ投げるように器用にベッドの上に広げて見せた。 「この状態で、端を持ったままシーツを素早く、小さく波たたせるみたいにすると、ほら」 ベッドの上でシーツが蛇のようにうねりながら波を打つ、まるで生きているかの様にシーツは反対側へと向かう。 チカさんがまるで魔法でも使ったかの如く、シーツはベッドの上へとしっかりと広がっていた。 卓は思わず「おうっ」と声を出した。 「布団み
補充が終わりタカシを手伝うためにそれぞれの部屋を覗いていく。 すると、タカシを見つけるよりも先にベッドメイクしているチカさんを見つけた。 「ベッドメイク教えて下さい、っていうかお腹大丈夫ですか?」 お腹の大きいチカさんを気遣って声をかけた。 「ありがとう、大丈夫やで、ベッドメイクやろか」 ニコニコしながらチカサンは答えた。 卓はベッドメイクは初めてだったため一から教わる事になった。 チカさんはまず、和室の敷き布団に使う和シーツとベッドで使う大きめの洋シーツがある事を説明してくれた。 「言われないとわからなかったです」 「わかりやすく、ステッチの色が青い方が洋シーツ、赤い方が和シーツって覚えといて」 「わかりました、それならわかりやすいです」 「和シーツの事はまた本館の部屋掃除の時に説明するわな。ベッドメイクの時は一つのベッドで洋シーツ二枚使うから」 話を聞きながら卓はベッドメイクがしやすい
掃除の時だけチカさんか康之さんが鍵を開ける事になっている。 ペンションの空かずの扉とあって、卓は少年のように胸を踊らせながら、だが表情には出すことなくチカさんが鍵を開けるのを見守った。 南京錠が外れゆっくりと開けられた扉、卓の気持ちをもてあそんだその空間、卓は現実に戻った。 束ねられた洋シーツ、ピローカバー、下の段には掃除機。 そこには卓の描いた妄想は何一つ存在しなかった。 下の段の掃除機の横には、厨房のすぐ側にある自販機に補充する缶ジュースがケースで並べられていた。 卓は鍵の意味をこの時納得した。 ジュースに気がついた卓を見て 「うち2月から大学の合宿で学生が来るねんけど、酔っぱらった学生にジュースやられた事あってなぁ、シーツとかも勝手に使われてゲロまみれになったり悲惨やった事があって…」 その時の事を思い出したのか、ため息混じりに教えてくれた。 「それで鍵がついてるんですね」 「それも
チェックアウト済みの部屋のユニット掃除が一通り終わり、最初の部屋から拭きあげをしながら回っていると、またタカシと遭遇した。 それはさっき出逢った部屋の隣だった。 「嘘やろ」 微かに声を漏らしたがタカシには聞こえてはいなかった。 卓は何か声をかけようかと思って止めた。 この時卓はまだベッドメイクを教わっておらず、そんな人間が作業に口出しするのは違うと思ったからだ。 あえて声を掛けず淡々と、だが、確実にペースを上げて拭きあげを進めていった。 最後の部屋を拭きあげている所に 「まだあそこか…」 と、ぼそぼそ言いながら卓の元へチカさんがやって来た。 やっぱりそうなのかと、卓は思った。 「ユニット掃除バッチリ。そこで拭きあげ終わり?」 「はい、ここで最後です」 ちょうど最後の拭きあげが終わった。 「トイレットペーパーのストックの場所教えるわ」 そう言って別館の廊下の中程にある、鍵のかかった扉へと歩い
「ユニットバスは中全部洗剤で洗って、換気扇つけたまんまひとまず全部屋一気に洗ってしまって」 すると卓が 「やってる間に乾いていくって事ですね」 「説明が楽でいいわ」 チカさんはニコッと笑みを浮かべる。 「洗い終わったら、使い終わったピローカバー纏めて置いてあるから」 そう言って廊下に使用済みのカバーの塊を指差す。 「これで拭きあげてくれたらいいから。後はトイレペーパー戻して、予備を二つずつ補充したら完了。トイレットペーパーは最後に教えるから終わったら教えて」 「わかりました」 ユニット掃除は楽で良かった。 廊下を見渡すと、部屋のゴミ箱、灰皿が出されており、シーツは一枚を風呂敷のように固められていた。 ピローカバーは一つの中に詰め込まれてあった。 順番にユニット掃除をして部屋を回っていると、ベッドメイクしているタカシと遭遇した。 「おつかれ」 「おう、卓か」 タカシはベッドメイクに苦戦してい
「部屋掃除はやる事多いねん、別館は洋室でユニットバスもあるし」 すると卓は 「じゃあトイレついでに水回りも僕やります」 その言葉を聞いてチカさんは 「あんたここで働いた事あるんちゃう?」 と笑いながら言った。 「なんでですか?」 「水回りはまとめて1人で管理した方が部屋毎に分けて誰がどこやったかみたいな無駄なロス無くせるから。それに水回りは濡れるからちょっとした支度もあるし」 「そう思ったのでやりますって言いました」 「午前中の掃除あんたに任してえぇか」 チカさんは笑いながら、また強めのスキンシップをはかってきた。 「冗談なのはわかってますけど、仕事把握すれば全然任せてもらっても問題無いですよ、スキンシップの強さ以外は一応妊婦さんなので…」 「一応?ってどういう意味や?」 ニヤリとしながら言った。 「割りとそのままの意味です、強いし…」 「あんたなぁ」 卓の掃除や真面目な態度にチカさんは冗
本館と別館の残りのトイレの掃除を終え、チカさんにトイレのチェックをお願いしに行くと 「あんたのトイレ掃除は大丈夫」 すると卓は 「僕がサボってたらどうするんですか?それに初日なので一応チェックして下さい」 「あんた見かけによらず真面目やな」 「それは悪口ですよ」 卓が軽く笑みを浮かべる。 「ごめんごめん、ほな一緒にチェック行こか」 二人は掃除を終えたトイレを順に周り、想像通りの綺麗さにチカさんも何も注意する所が見当たらなかった。 「卓が嫌じゃ無かったらでいいねんけど、トイレ掃除卓の担当にしてもかまへん?その方が掃除も早終わるし早滑りに行けるし」 すると卓は 「そうします、滑りたいので」 特段トイレ掃除がどうとも思わず、何よりも、一秒でも早く滑りに行きたい、ただそれだけだった。 「よし、ほな明日からトイレよろしく」 「はい」 二人は部屋掃除をしているタカシの元へと向かった。
チカさんは謎の驚きの声をあげたと思ったら、扉を閉めて 「やっちゃ~ん!」 と叫びながら厨房へと走って行ってしまった。 卓は何が起こったのかわからず、何かまずい事をしたのかと、チカさんが戻る迄掃除の手を止めて待つ事にした。 掃除初日から何を言われるのか、気持ちよく掃除をしていた卓の気持ちは勝手に青く染まっていった。 「ガチャ」 扉を開けたのは康之さんだった。 その後ろにニヤニヤしたちかさんの顔が見える。 「立ってるやんけ!なんやったら手止まってるやん」 康之さんがチカさんの方を振り返りながら聞いた。 「ちゃうねんって!なぁ卓、あんたさっきトイレの床手ついて拭き掃除してたやんなぁ?」 卓は答えに戸惑った。そんなにいけない事なのか?食べ物を扱うとは言え、勿論しっかり手を洗いアルコール消毒までしてから仕事しているはずだと。 卓は瞬時に脳を高速回転させたが、素直に 「そんなにダメでしたか…?」 落ち
休憩を挟み、この日から午前中の部屋掃除と館内の掃除が始まった。 タカシは既に経験済みのため、指示を受け先に掃除へと向かって行った。 スタッフの屋根裏がある棟は神戸屋の本館にあたり、本館の各部屋は和室になっている。 本館には宿泊客はいないため本館の部屋掃除は無かった。 タカシも別館の部屋掃除に向かったのだと卓は思った。 この日卓はトイレ掃除をチカさんから教わる事になった。 食事の事は全て康之さんが仕切っているのだが、掃除は全てチカさんが仕切っていた。 卓はこの時チカさんが掃除の鬼である事、神戸屋の掃除ルールの細かい事など全く気にもしていなかった。 しかし、チカさんもまた卓の恐ろしく几帳面な面に気づくはずも無かったのだ。 二人は早速本館のトイレ掃除をする事にした。 本館には一階と二階にそれぞれトイレがあり、一階のパブリックスペースの丁度向かいのトイレから取り掛かる事にした。 ここでトイレ掃除の
「ご馳走さまでした」 食堂の方から声が聞こえる。 ちらほらと朝食を食べ終えた宿泊客が部屋へと戻り始めていた。 卓とタカシは食堂へと出ていき、客が居なくなったテーブルの物を手早く下げる。 タカシはそのまま食堂の片付けへと残り、卓は洗い場へと戻った。 下げられた洗い物をお湯へとつけ、手際よく片付けていく。 手早く処理していても、下げられてくる食器の数が多くすぐに溢れかえった。 洗い物をこなしながら空いたスペースへと下げられた食器類を移動させ、タカシが下げやすいようにスペースを確保していった。 食器が下げられてくる間は洗い場は戦場と化していた。 卓はまるで千手観音の如く表情一つ変えず食器を黙々と捌いていく。 最後の客が部屋へと戻った事を外からタカシが中へと告げる。 「はぁ、ひとまず落ち着いたか…」 卓は軽く伸びをし一息つくと、再び洗い物を再開させた。 食堂ではタカシがテーブルを拭き、テーブルセッ
朝食の時間数分前から焼き魚、ご飯、暖かいお茶を順番にテーブルへと出していく。 康之さんから焼きたての脂の乗った鱒の入ったトレーを受け取り、卓は食堂の魚皿へと盛り付けていく。 魚の皮が座った時に奥になるように盛り付ける。 身が割れてしまっているものは賄いになるため避けていく。 そのため少し多めに焼かれているため、賄いには充分すぎる鱒が残った。 魚を盛り付け厨房へと戻ろうとした時、食事を提供するための小窓から、次々とお米の入ったおひつとお米のポットが差し出された。 魚のトレーを中のタカシへと渡し、それらを各テーブルへと運んでいった。 後はテーブル毎に、味噌汁を宿泊客が来た所から順に提供していく。 卓は中で味噌汁を担当し、タカシとチカさんは食堂で宿泊客の対応をする。 「おはようございます」 外から挨拶をするチカさんの声が聞こえてくる。 すると、小窓が開けられ人数を告げられる。 卓はそれに合わせて
タカシは味噌汁用のおわんを人数分準備していた。 銀のトレーにおわんを並べ、更にトレーを重ねておわん乗せる、それはまるでタワーの様になっていた。 大量のおわんを場所を取らずに準備できる最高の方法だと卓は思った。 ご飯を混ぜ終わると、康之さんからおひつの場所を教えてもらい、テーブルの数の分用意した。 「ほな食堂のセッティングよろしく」 夜の様にタカシにセッティングを教わり、各テーブルに茶碗、おはし、味付け海苔、魚皿をセットして回った。 食堂のセッティングが終わり中へ戻ると、チカさんも中の手伝いをしてくれていた。 「おはようございます」 「あっおはようさん、よう寝れたかい」 笑顔で優しく語りかけてくれた。 チカさんはお茶用のポットにパックのお茶の葉をテーブルの数分用意していた。 卓はこれも中の仕事なのだと指示された訳では無かったが、しっかりとインプットしていた。 卓はこういった観察力がずば抜けて
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www.homarex-homare.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く